サッカーアラカルチョ

一覧に戻る

ヨーロッパフットボール回廊『City and Hummers ヨーロッパ制覇』

23・06・17
 2023年のヨーロッパ・フットボールシーズンも終わり、ヨーロッパクラブ3大カップのチャンピオンが決まった。

 まずヨーロッパの頂点に立つチャンピオンズリーグの優勝者はイングランド・プレミアリーグの覇者、そして6月3日の『The FAカップ』決勝戦に宿敵マンチェスター・ユナイテッド(MU)に2−1と勝ったマンチェスターシティ(MC)であった。

 決勝戦は6月10日、イスタンブールで行われイタリア・インターミランと対戦、ロドリの強烈なミドルからのシュートで初の栄冠をつかんだ。1−0の勝利で3冠を勝ち取ったのである。このMCの優勝の立役者は何といってもストライカー、ノルウェー代表ハーランドであろう。今シーズン総得点52点、うちプレミアリーグでは36点を獲得、歴代得点王ランキングで1位となっている。ボルシア・ドルトムンドから51百万ポンドで今シーズン移籍しての快挙である。ストライカーなくして優勝は出来ずの言葉通りの活躍であった。

 そして誰も予想だにしなかったのがヨーロッパの3部リーグともいえるヨーロッパ・カンファレンスリーグの決勝戦に進出したウエストハム・ユナイテッドであろう。

 このウエストハムのチームを知っている日本のフットボールファンは決して多くはないのではと思われる。

 まずウエストハムはどこにあるか? そうロンドンの東部にある、いわゆるコックニー(ロンドン東部の訛りの有る方言)の街である。創部は1895年と歴史は古い。もともとテームズ河のロンドン港に近いところ、倉庫が立ち並ぶ港湾労働者の住む典型的労働者階級の街であり、フットボールチーム名は造船業の会社のチームで「Thames Ironworkes FC」と呼んでいた。その為チームロゴ・エンブレムはハンマー(斧)で、クラブの愛称も「Hummers=ハンマーズ」となっているのはこの発祥のゆえんからである。

 そして1900年に「West Ham United」に改称した。以来2012年のロンドンオリンピック開催後、元々あったBoleynのスタジアムを解体し、オリンピックスタジアムをフットボール専用スタジアムとして改修、移設しウエストハムのホームタウンとしたのである。オリンピックスタジアムはストラットフォードに位置していたが旧来の地名を尊重してウエストハム・ユナイテッドのチーム名は変えなかったのである。

 筆者が英国で初めてフットボールの試合を観戦したのは1980年旧Boleynでの試合であった。以来ウエストハム・ユナイテッドがひいきのクラブとなったのだ。足しげく通ってウエストハムを応援していたのである。

 その後、日本のフットボールが「日本リーグからJリーグ」にプロ化する過程でこのウエストハム・ユナイテッドは多くのことを教示してくれた。

 まずアカデミー制度の導入であろう。英国の育成制度のモデルと言われるアカデミーのニックネームを冠したウエストハムは、元イングランド代表監督のロン・グリーンランド氏が「地元の学校、アマチュアから選手を招集するより、クラブでAcademyを創立し、学校へ行きながらプロのコーチによる選手育成をすべき」と提唱、戦後間もないころからフットボール教育としてのアカデミーを開設し若手選手の指導を行ってきたのである。

 1966年のW杯(英国開催)でイングランドが優勝した時にはキャプテン、ボビー・モア、ジェオフ・ハースト、マーチン・ピータースをウエストハムから代表選手として輩出させたが彼らもウエストハム・アカデミー出身者であった。

 このアカデミー構想はその後イングランドアカデミー制度としてThe FAのユース育成の基本となり、現在のプロクラブのアカデミー制度として確立し、ほとんどのイングランド代表選手はクラブのアカデミー制度の恩恵を受けて育っているのだ。

 そして1997年にThe FAのテクニカル・ダイレクターに就任したHaward Wilkinson氏がすべての階層に渡って、フットボールはウエストハム方式のアカデミー制を取ることを義務付けたのである。現在ではユース育成機関の見本として世界に広まっている。

 日本でもその当時、日本リーグからJリーグへ、アマチュアからプロ化へ、オリンピックからワールドカップへ目標設定を上げる時期でもあり、当時のJFAそしてJリーグがアカデミー制を導入する為のヨーロッパ各国のユース育成システム研究調査団を派遣した。

 筆者がコーディネ―ターとして英国、ドイツ、オランダ、フランス、イタリア等々諸国の専門育成機関を歴訪し、日本の育成制度アカデミーを構築する為の準備を担ったのである。もちろん最初の訪問先はウエストハムであった。日本のフットボール黎明期にウエストハムなくして今現在の進捗は無かったのではないだろうかと思う。
 
 ちなみに、このウエストハムにお世話になったのが、当時日本リーグの雄であった古河電工(現・ジェフ市原)の選手である。現在、協会の重鎮となっている岡田武史氏もウエストハムでの研修を受けており、その後の選手、コーチが毎年ウエストハムで研修トレーニングを受けさせてくれた。現在のようにビジネスとしてのプロクラブの運営方式からは想像も出来ない優遇であった。懐の深いクラブでもあった。現在は当時の幹部の方々は引退しており、古き良き時代の交流が途絶えたのは残念である。

 ちなみに、東洋工業=マツダ(現・サンフレッチェ広島)は、MUのレジェンド、ビル・フォークス氏がマツダの監督として来日して以来、多くの選手がMUでトレーニングを受けることが出来た。森保、高木、前川などの当時の全日本選手を快く受け入れてくれ、当時の『クラス92』のユース選手であったベッカム、ネビル兄弟、ギッグス、スコールスと一緒に練習する機会があり、日本フットボール黎明期に世界トップスターの卵と一緒に練習出来たことは、彼らにとって貴重な体験であったのではないだろうか。

 三菱(現・浦和レッズ)もドイツとの交流が強く、ボルシア・メルフェンバックとのタイアップで多くの選手がドイツで研修出来たことも、その後の日本のフットボール普及と強化につながったのではないだろうか。

 当時は上記3クラブが欧州クラブとのタイアップであり、一方で読売(現・東京ヴェルディ1969)、日産(現・横浜F・マリノス)、ヤンマー(現・セレッソ大阪)がブラジル、南米系列とのタイアップであり、その意味でも世界を二分するフットボールに接することが出来たことが今日の隆盛につながったのではないだろうか。

 そのウエストハムが今年はヨーロッパ・カンファレンスリーグに参加。あれよあれよという間に6月7日の決勝まで進み、対フィオレンチナ(イタリア)と対戦、2‐1と勝利し、今シーズン一時は降格の危機にも瀕していたクラブがヨーロッパの覇を獲得したのである。

 今年のウエストハムは、38試合11勝7分け20敗でプレミアリーグ14位であったが、カンファレンスリーグを制覇した為、来シーズンのヨーロッパリーグへの出場が決まっている。

 また新たな挑戦が始まるが、一つ暗雲がウエストハムには掛かってきているのが気がかりである。この優勝の立役者はイングランド代表MFのDeclan Rice(デクラン・ライス)選手であり、来期の去就がどうなるのか注目である。

 ライスは、ライバルアーセナルから移籍の要請があり、ウエストハムとしては£100ミリオン(170億円)なら放出せざるを得ないとしている。本人も代表としてチャンピオンズリーグ出場したいとの希望もあり、来期はウエストハムでプレーしないかもしれないのだ。

 ライスなきウエストハムが来季活躍出来るのか。ウエストハムファンにとっては大きな問題が出てきたのである。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)

伊藤 庸夫