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ヨーロッパフットボール回廊『W杯を見据えてのENLとWembley』

22・10・14
 
 今年11月よりカタールで行われるW杯を見据えてのインターナショナル・マッチデーが9月末から1週間世界各地で行われた。ヨーロッパは従来から行われていた代表チームによるフレンドリーマッチを廃止し、UEFAヨーロッパ・ネーションズ・リーグとしてトーナメント戦を戦っている。

 注目は何といってもグループA3である。ヨーロッパの強豪ドイツ・イタリア・イングランド、そしてマジックマジャール復活のハンガリーがベスト8の座を巡って2位以内を確保すべき最終の2試合を9月末に戦った。

 既にハンガリー、そしてUEFAユーロを制したイタリアが予選敗退という番狂わせでW杯の切符を手に出来ない波乱があった。一方、カタール行きが決定しているドイツ、イングランドが、あと2か月の準備期間しかない中、どのような戦い振りを見せるのかまた主力選手の状況はどうなるのかを占う好材料なENLであった。

 イングランドはこの週間まで4試合消化したが、ダークホースのハンガリーに思わぬ2敗を喫しており、ドイツには1−1で引き分け、イタリアにも負けており、既にENLのAグループからの屈辱的な降格が決まっている。

 まず9月23日、ミラノ・サンシロスタジアムでの対イタリア戦、サウスゲート監督は従来のイングランド代表選手を中心に先発させた。疑問はプレミアリーグ、マンチェスターユナイテッド(MU)の試合にほとんど出番がないマグアイアをセンターバックでの起用、久しく代表から外れていたスパーズのダイヤー、そしてマンチェスターシティ(MC)のウイングバック、ウォーカーの3バックスでイタリアに対抗した。

 しかしパフォーマンスは多くのイングランドサポーターからもブーイングが出る程テンポなし、フレッシュなし、ましてや攻撃リズムがかみ合わず、結局68分にイタリア10番ラスパドリの強烈なシュートを決められ敗退してしまった。イングランドとしてはオープンプレーでは495分得点なしの「Dull(鈍い)」な試合となった。これで屈辱のグループ最下位が決まった。

 そして3日後のイングランド・ウエンブレースタジアムで宿敵ドイツとの最終戦が行われた。グループ最下位ながらイングランドはドイツ戦だけは格別と、8万人のサポーターが応援する中、英国・故エリザベス女王の崩御を悼み、2分間の黙祷、更に英国内での国際試合では初めての国歌『God Save the King』を斉唱、キックオフとなった。

 ここでも先発にイタリア戦でディフェンスの穴となっていたマグアイアを起用。サポーターからはブーイングが起こる程であった。監督サウスゲートは3センターバックのシステムで対戦、MCのストーン(前半でけがの為、交代)及びイタリア戦出場のダイヤーを起用した。このシステムとメンバーはイングランドディフェンスを堅固とすることはなかった。

 後半52分、ドイツがマグアイアのレイトタックルでPKを取りリード、その後67分には、またまたマグアイアが相手にボールを奪われシュートされドイツ2−0となった。しかし、このままではユーロ準優勝のイングランドの名がすたるとばかり反撃し、MUの控え選手ながらショーが左サイドから詰めて1点を返す(72分)。そして若手のマウント(チェルシー)が75分に決め、更に勢いが復活したイングランド怒涛の攻撃となり、87分PKを得て、キャプテン・ケーンが決め3−2と逆転した。時すでに午後9時30分を過ぎ、イングランドの逆転勝ちを確信したサポーターは地下鉄の混雑を避けるため帰り始めた。

 しかし流石、『ドイツ魂』強し。87分ドイツのシュートをGKポープが取れずはじきそれをストライカー・ハベツが押し込み引き分けとなってしまった。この結果、ドイツもグループ3位となり、グループ優勝はハンガリーに勝ったイタリアとなった。このイタリアはW杯予選では敗退しており、カタール・ドーハへは行けない。

 3強が3弱になりかねないW杯前哨戦であった。ただイングランドMFベリンガム(現在ドイツ・ドルトムンド所属の19才)がフル出場し、中盤の要として機能したことで唯一イングランド希望の星となりカタールで花が咲くと期待されている。

 一方、ドイツも昔のドイツではない、日本がW杯で勝てないとは決して言えないのではないか。際だった選手が存在せずどこまで『ドイツ魂』が復活するかによるだろう。イングランドはW杯に適した選手の編成を再構築する必要があることがこのENLで実証された。監督サウスゲートの賢眼と選手の奮起が求められることが課題となった。

 
 上写真/9月26日、UEFAネーションズリーググループA3最終節イングランド対ドイツ戦を観戦しにウエンブレースタジアムへ向かう人々


 さて筆者はこの試合をウエンブレースタジアムで観戦した。イングランドがドイツ戦に勝ってW杯を獲得したのも1966年のウエンブレー・スタジアムである。以来フットボールのメッカとしてのウエンブレーの歴史は長い。

 このウエンブレー・スタジアムを使えるのは英国のThe FA(イングランド)の国際試合、そしてThe FAカップの準決、決勝戦、リーグカップの決勝戦、シーズン開幕のコミュニテイシールド戦、女子国際試合等であり、プロのチームであれリーグ戦には使用出来ないことになっている(例外はロンドンのトッテナムがスタジアム改修時特例としてホーム試合をウエンブレーで行う事が許可された事がある)。それだけに伝統ある、それこそフットボールのメッカと言われる由縁であろう。

 1923年に『British Empire Exhibition stadium』として建設され、以降、多くの国際試合が行われ、1966年イングランドがW杯に優勝した決勝戦対ドイツ戦はこの古いスタジアムで行われた。当時収容人数は82,000人であったが当時は立見席がほとんどであり120,000人収容出来た。しかも1948年のロンドンオリンピックではメインスタジアムとしてピッチの外側にトラックがあった。

 そして1966年のW杯決勝戦後は、このトラックがドッグレース場として機能し、フットボールのない日、特に夜間にはドッグレース場としてギャンブルの場ともなっていた。その後老朽化が進み、3年間の建設期間を経て2007年に改修し現在のスタジアムが完成したのである。

 筆者も1980年に英国に勤務して以来、このウエンブレ−へは試合があるごとに観戦に行ったスタジアムでもある。当時は現在のように近代化しておらず、観客もフーリガズムの真只中であり地下鉄の中ではたばこの煙がもうもうと立ち込め、缶ビールをがぶ飲みするサポーターが大声で応援歌をチャントし、時としては電車の中がトイレと化すこともあった。女性・子供は試合がある日は地下鉄に乗ることを避けるのが生活の知恵であった。

 時代が変わり、女性・子供も安全にスタジアムへ足を運べるようになったのはやはり改装した2007年以降であろう。

 地下鉄Wembley Parkより一直線のコンコースがつながっておりスタジアムへ向かう。80年代・90年代の旧スタジアムの周囲はスポーツセンター、工場、そして倉庫が立ち込めるシャビーな町であった。それが現在では近代的なアパートが立ち並び、ホテル、レストランも多く、全くの様変わりである。元々Wembleyの町は特にインド人村として移民の町の様相を醸していたが、現在は新都市化しアフリカ系、インド系等との混合国際化しつつある街となっている。

 コロナも収束に向かっており、皆様ロンドンへ来る機会あれば是非フットボールのメッカWembleyへ!


 上写真/同日、スタジアム内で電光掲示板に映し出された英国の故エリザベス女王に黙とうがささげられた。(写真はいずれも伊藤庸夫氏提供)


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫