サッカーアラカルチョ
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22・03・11
上写真/2016年、ニュージーランド・スリーキングスユナイテッドに所属中の大津選手(左)
北のサッカーアンビシャスをご覧の皆さま、こんにちは。
この度、5シーズン所属したFCウランバートル(モンゴル1部リーグ)を退団することと同時に、プロサッカー選手としての活動に一区切り付けることを決めました。当コラムを通じて、今まで応援してくださった皆さまに心から感謝を申し上げます。
大卒で就職した会社を辞めて、プロサッカー選手として初めて海外に挑戦したのが2015年。そこから7年間、モンゴル、ニュージーランド、タイのリーグでプレーしてきましたが、選手として大きな結果をつかむことは出来ませんでした。
特に、合計5シーズン所属したモンゴルのクラブ、FCウランバートルでのリーグ優勝を果たせなかったことは非常に悔しい気持ちです。サッカー人生の全てを懸けて、本気でモンゴルから世界を目指していましたが、その目標を実現するには至りませんでした。
2022年シーズン、同チームとの契約延長を打診されていましたが、自ら退団する道を選びました。この選択に至った理由は決して単純なものではなく、精神面での変化、自らを取り巻く環境、クラブのビジョンなど、様々な要素を含めて下した決断です。
また、2021年のシーズン終了時、今まで積み重ねてきたモノが心の中で一気に崩れ落ちていくような感覚に陥ってしまったことも、今回の選択に至った要因の1つです。チームの方々には申し訳ない気持ちもありますが、それ以上に感謝の気持ちでいっぱいです。
大変ありがたいことに、FCウランバートル以外のクラブからも連絡をいただきました。しかし、自分がFCウランバートルに所属していたときと同等、もしくはそれ以上に「本気で人生を懸けてプレーする」という想いになれなかった事が、自分の正直な気持ちです。
何度も繰り返しになりますが、本気でサッカーと向き合ってきた現役生活において、中途半端な心意気でプレーすることが、自分の中では一番納得出来ないことでした。結果を残していないサッカー選手が言えるようなセリフではないかもしれませんが、自らの100%を尽くせないなら、プロとしてピッチに立つ資格がないと思っています。だからこそ、今回はプロサッカー選手としての活動に一区切り付けることを決めました。
残酷ですが、プロの世界では「結果」が全てです。自分はプロサッカー選手としての結果を残せていないので、残念ながら「一流の選手」とは呼べないでしょう。ピラミッドの頂点にメッシやロナウドが居るとした場合、大津一貴という選手の存在を彼らと比べたとき、自分は限りなく遠い場所に位置していたと思います。
こんなサッカー選手ではありますが、今までのキャリアを振り返ってみると、「海外リーグに挑戦して本当に良かった」と心の底から思っています。なぜなら、世界各国にいる「最高の仲間との出会い」が存在したからです。
「”心が通じ合う仲間がいる”という事ほど、豊かな人生はない」と、自分は考えています。
サッカー選手として一流に到達することは出来ませんでしたが、一人の「人間」としては、少しでも一流に近づけたのではないかと思っています。
国籍、人種、宗教、文化、言語…。
様々な壁をも乗り越えて、多くの深い絆を育むことが出来たのは、サッカーを通じて世界に飛び出すことを選択したからこそ、得られた経験です。「仲間」の存在が、今回の挑戦を通じて生まれた自分の大きな財産となりました。
一度は諦めた「プロサッカー選手」という夢。しかし、10年前に患った「がん」をきっかけに再挑戦を決意した当時の自分へ、こう言ってあげたいです。
「最高の人生が待ってるから、迷わず夢に挑戦しろ!」と。
サッカーを通じて出会った仲間たちのおかげで、今後の人生における最も大切な事を学ぶことが出来ました。この経験を存分に活かして、次の道でも全力を尽くしたいと思います。
今まで一緒にプレーしてきた選手たち、自分に関わった全ての人たち、応援してくれた人たち。心の底から、皆さまにお礼を申し上げます。
「ありがとうございました」
下写真/2017年、タイ・カンペーンペットFC所属中の大津選手
(左端)
北のサッカーアンビシャスをご覧の皆さま、こんにちは。
この度、5シーズン所属したFCウランバートル(モンゴル1部リーグ)を退団することと同時に、プロサッカー選手としての活動に一区切り付けることを決めました。当コラムを通じて、今まで応援してくださった皆さまに心から感謝を申し上げます。
大卒で就職した会社を辞めて、プロサッカー選手として初めて海外に挑戦したのが2015年。そこから7年間、モンゴル、ニュージーランド、タイのリーグでプレーしてきましたが、選手として大きな結果をつかむことは出来ませんでした。
特に、合計5シーズン所属したモンゴルのクラブ、FCウランバートルでのリーグ優勝を果たせなかったことは非常に悔しい気持ちです。サッカー人生の全てを懸けて、本気でモンゴルから世界を目指していましたが、その目標を実現するには至りませんでした。
2022年シーズン、同チームとの契約延長を打診されていましたが、自ら退団する道を選びました。この選択に至った理由は決して単純なものではなく、精神面での変化、自らを取り巻く環境、クラブのビジョンなど、様々な要素を含めて下した決断です。
また、2021年のシーズン終了時、今まで積み重ねてきたモノが心の中で一気に崩れ落ちていくような感覚に陥ってしまったことも、今回の選択に至った要因の1つです。チームの方々には申し訳ない気持ちもありますが、それ以上に感謝の気持ちでいっぱいです。
大変ありがたいことに、FCウランバートル以外のクラブからも連絡をいただきました。しかし、自分がFCウランバートルに所属していたときと同等、もしくはそれ以上に「本気で人生を懸けてプレーする」という想いになれなかった事が、自分の正直な気持ちです。
何度も繰り返しになりますが、本気でサッカーと向き合ってきた現役生活において、中途半端な心意気でプレーすることが、自分の中では一番納得出来ないことでした。結果を残していないサッカー選手が言えるようなセリフではないかもしれませんが、自らの100%を尽くせないなら、プロとしてピッチに立つ資格がないと思っています。だからこそ、今回はプロサッカー選手としての活動に一区切り付けることを決めました。
残酷ですが、プロの世界では「結果」が全てです。自分はプロサッカー選手としての結果を残せていないので、残念ながら「一流の選手」とは呼べないでしょう。ピラミッドの頂点にメッシやロナウドが居るとした場合、大津一貴という選手の存在を彼らと比べたとき、自分は限りなく遠い場所に位置していたと思います。
こんなサッカー選手ではありますが、今までのキャリアを振り返ってみると、「海外リーグに挑戦して本当に良かった」と心の底から思っています。なぜなら、世界各国にいる「最高の仲間との出会い」が存在したからです。
「”心が通じ合う仲間がいる”という事ほど、豊かな人生はない」と、自分は考えています。
サッカー選手として一流に到達することは出来ませんでしたが、一人の「人間」としては、少しでも一流に近づけたのではないかと思っています。
国籍、人種、宗教、文化、言語…。
様々な壁をも乗り越えて、多くの深い絆を育むことが出来たのは、サッカーを通じて世界に飛び出すことを選択したからこそ、得られた経験です。「仲間」の存在が、今回の挑戦を通じて生まれた自分の大きな財産となりました。
一度は諦めた「プロサッカー選手」という夢。しかし、10年前に患った「がん」をきっかけに再挑戦を決意した当時の自分へ、こう言ってあげたいです。
「最高の人生が待ってるから、迷わず夢に挑戦しろ!」と。
サッカーを通じて出会った仲間たちのおかげで、今後の人生における最も大切な事を学ぶことが出来ました。この経験を存分に活かして、次の道でも全力を尽くしたいと思います。
今まで一緒にプレーしてきた選手たち、自分に関わった全ての人たち、応援してくれた人たち。心の底から、皆さまにお礼を申し上げます。
「ありがとうございました」
下写真/2017年、タイ・カンペーンペットFC所属中の大津選手
(左端)
◆大津一貴プロフィル◆
少年時代は、札幌山の手サッカー少年団とSSSサクセスコースに所属。中学校時代はSSS札幌ジュニアユース。青森山田高校から関東学院大学へ。卒業後は一般企業へ就職。
2013−2014年は、T.F.S.C(東京都リーグ)
2015年FCウランバートル(モンゴル)
2016年スリーキングスユナイテッド(ニュージーランド)
2017年カンペーンペットFC(タイ)
2018年からは再度FCウランバートル(モンゴル)でプレーし、優秀外国人選手ベスト10に選出された。
2019−21年もFCウランバートル所属
上写真/モンゴル・FCウランバートルに5シーズン所属した大津選手。2021年がプロ生活最後のシーズンとなった
大津 一貴