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大津一貴のエンジョイフットボールライフ『欧州・リトアニアで感じたこと』

21・07・12
 上写真/リトアニアサッカー協会のサッカー専用スタジアム


 北のサッカーアンビシャスをご覧の皆さま、こんにちは。今回は私の近況報告を交えつつ、サッカーの本場である「ヨーロッパ」で実際に体験したことをお伝えします。じかに体験したヨーロッパには、「自然とサッカーがうまくなる環境」が存在していました。


●ヨーロッパ挑戦の経緯

 まず、私自身の近況をご報告します。昨年に引き続き、2021年もモンゴルリーグのFCウランバートルとの契約を更新しておりましたが、新型コロナウイルスの影響により現地へ渡航出来ずにおりました。本来であれば4月にリーグが開幕する予定だったので、3月に現地へ向かう予定でしたが、7月現在も開幕時期が未定であり、渡航するにも多くの制限があり、時間だけが過ぎていく日々でした。

 このような状況を踏まえて、渡航できる目途が立たなければ「契約期間内でも他国へ移籍してもOK」と、話し合いの結果、チームから了承を得ました。

 私の第一希望はモンゴルでプレーすることですが、やはり選手としてピッチに戻りたい気持ちが強く、他国への移籍を模索し始めました。しかし、ここでもコロナ禍の影響が非常に大きく、中々活路が見出せない状況が続いていたのですが、6月に入ったところで欧州の「リトアニア」にてトライアルに参加できる話を受けました。

 リトアニアは6月3日から入国制限が緩和され、日本人はPCR検査の陰性証明があれば強制隔離期間無し(自主隔離はあり)で入国出来るようになり、私は迷わず挑戦する道を選びました。


●欧州の小国でも“サッカーがうまい”

 私がトライアルに参加したのは、リトアニア1部リーグのとあるクラブで、約2週間ほどチーム活動に帯同しました。

 リトアニアはJリーグと同様の「春―秋制」のレギュレーションで、現在はシーズンの真っ最中です。帯同中はリーグ戦とカップ戦を合わせて、3試合見ることもできました(観客動員も制限が無く、現地クラブのファンもスタジアムに足を運んでいました)。

 リトアニアの人口は約279万人(茨城県の総人口とほぼ一緒)と、ヨーロッパの中でも小国の部類ですが、決してサッカーのレベルは低い訳ではありません。むしろ、Jリーグで活躍しそうなレベルの選手も多くプレーしていました。我々日本人が知らないだけで、やはりヨーロッパはサッカーの本場だと思いました。

 特にフィジカル的な要素(球際の強度、空中戦の高さなど)はレベルが高く、172センチの私では、ヘディングの競り合いで勝機を見出すことが出来ませんでした。私が見た限り、どのチームもCBは190センチ超えが当たり前で、更に足元の技術もしっかりしています。

 また、上位クラブはチーム・個人レベルで「サッカーがうまい」印象でした。その時々で「今何をするべきか」という判断が常に正しく、サッカーの本質を射抜いたプレーが多かったです。中々言葉で表すことが難しいのですが、日本のサッカーとは「種類が違う」と感じました。


●環境が選手を成長させる

 私が帯同したチームの選手構成は、リトアニア人選手が一番多く、その他にはロシア、ウクライナ、ラトビア、イングランド、イタリア、カザフスタン、ガーナ、ナイジェリア、日本…非常に多国籍でした。

 というのも、リトアニアリーグではJリーグと同様に「外国人枠」が存在するのですが、EU圏内の選手は外国人扱いされません。その為、ヨーロッパの国籍を所持している選手の流動は激しく、中には「アフリカにルーツがあるけどパスポートはイタリア」のような選手も多く存在します。

 この環境下で必然的に起きることは「競争」と「コミュニケーション」です。

 島国の日本に生まれ育つと中々想像できませんが、レギュラー争いでは常に外国籍の選手たちが加わってくるのです。そのため、試合に出場するには自然と練習から激しさが増します。紅白戦では球際の競り合いも本番さながら。味方へ要求することは当たり前ですし、そこには意思疎通を図る為のコミュニケーション能力も重要になります。また、チームのミーティングは「リトアニア語→英語」の順で行われており、活躍するには言語能力も必須です。

 更に、面白かったのは選手同士の会話です。とある選手同士は英語で話しているけど、別の選手同士はロシア語で話していたり、現地の選手同士はリトアニア語で会話していました。ロッカールームでは様々な言語が飛びかっており、ここでもコミュニケーション能力や言語力の重要性を実感しました。

 ヨーロッパの小国であってもこのような環境で毎日サッカーが行われているので、欧州トップリーグとなると、更に競争は激化するでしょう。また、選手は生き残るために必死に個人とチームの結果を残す必要があるので、母国語が違う人間同士がコミュニケーションを取らざるを得ない環境が自然と出来上がっています。

 日本人の場合、多くの選手はJリーグでの活躍を経てからヨーロッパに行きます。また近年では高卒や大卒の年齢で、直接ヨーロッパに渡る選手も増えました。しかし、ヨーロッパ現地の選手たちは子供の頃から前述のような環境でプレーしているのです。その経験値や場数の差は非常に大きいですし、まさに、「サッカーが自然とうまくなる環境」と心の中で勝手に称してました(もちろん、真剣に練習へ取り組んだ結果という意味で)。

 それを目の当たりにして、「そりゃ日本が簡単にヨーロッパの国々に勝てるわけないよなぁー」と、実感することができました。この事実を肌で知る日本人選手や指導者が増えていくと、日本サッカー界のレベルを更に向上させられるとも思いました。


●驚きの結末…

 さて、肝心なトライアルの結果ですが…。まだ契約の合否が出ていない段階で、びっくり仰天な連絡が届きました。

 元々契約していたモンゴルのFCウランバートルから「ビザを出せるようになったから戻ってこい」との連絡が届きました(本当はこんなにあっさりしていませんよ・笑)。

 7月11日現在、モンゴルへ入国するための渡航制限は色々とあるのですが、なんとかクリアにできそうなめどが立ったので、今のところ8月を目安にモンゴルへ行く予定です(コロナ禍の状況によって変わるかもしれませんが…)。

 思わぬ形でトライアルは終了。人生、何が起こるか分からないものです。斜め45°の角度からアウトサイド回転でシュートを打つぐらい意表を突いたこの結末は、自分でも全く予想できませんでした。

 現地クラブからは、もう少しプレーを見たいと言ってくれていたようで、少し残念な気持ちがあるのも正直なところです。ただ、モンゴルでプレーすることが自分にとっては一番の希望だったので、引き続き良い準備をしていきたいと思います。

 そして、短い期間でしたが、リトアニアでヨーロッパのサッカーに触れたことは、自分のサッカー人生において大きな財産になると感じています。この経験を最大限生かしていくことや、このような場を借りてリアルな情報を発信していくことが、自分に出来る大切なことだと思っています。

 
 下写真/風光明媚なリトアニアの街並み

◆大津一貴プロフィル◆
 少年時代は、札幌山の手サッカー少年団とSSSサクセスコースに所属。中学校時代はSSS札幌ジュニアユース。青森山田高校から関東学院大学へ。卒業後は一般企業へ就職。
2013−2014年は、T.F.S.C(東京都リーグ)
2015年FCウランバートル(モンゴル)
2016年スリーキングスユナイテッド(ニュージーランド)
2017年カンペーンペットFC(タイ)
2018年からは再度FCウランバートル(モンゴル)でプレーし、優秀外国人選手ベスト10に選出された。
2019−20年もFCウランバートル所属
大津 一貴