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大津一貴のエンジョイフットボールライフ『FCウランバートル特集』

20・12・11
 上:上段写真/初めてFCウランバートルでプレーした2015年シーズンの集合写真(前列左から2人目が大津選手)

 上:下段写真/2018年シーズン、試合勝利後にロッカールームでの集合写真(中段の中腰でユニホームを肩からかけているのが大津選手)


 北のサッカーアンビシャスをご覧の皆さま、こんにちは。早いもので2020年も残り3週間となりました。今年を振り返る上で切っても切り離せないことは「新型コロナウイルス」です。コロナ禍によってサッカー界のみならず、多くの人たちが辛く苦しい思いをした1年だったのではないでしょうか。私自身も1年間公式戦でプレー出来ず、悔しいシーズンとなりました。まだまだ予断を許さない状況ではありますが、来年こそは世界中の皆さんが思いっきりサッカーをプレー出来るような、楽しい1年になることを祈るばかりです。

 さて今回のコラムは、私が4シーズン在籍しているチームである、モンゴル1部リーグに所属する「FCウランバートル」についてご紹介します。モンゴルリーグについてはコラム内で何度もご紹介してきましたが、今回は1つのチームにスポットを当ててみます(ちなみに、同チームで一番在籍年数が長い外国人選手は私です!)。

 まず、創立されたのは2010年であり、比較的新しいチームになります。チーム名の通り、モンゴルの首都であるウランバートルに本拠地を構えるチームです。設立された翌年の2011年シーズンよりモンゴルリーグのトップディビジョンに参戦し、同年にリーグ優勝のタイトルを獲得しています。その当時、2010年・南アフリカW杯にも出場した北朝鮮代表選手を2人獲得し、強力な助っ人外国人選手を武器に優勝を果たしたそうです。その後、2015年、2018年、2020年はリーグ戦で2位。カップ戦(日本の天皇杯のような大会)では、2015年と2017年に準優勝の成績を収めています。

 私自身は2015年に初めてチームに加入し、その年はリーグ戦とカップ戦、共に準優勝でした。そして、他国でのプレーを経てチームに戻ってきた2018年もリーグ戦が準優勝。プレーは出来ませんでしたが、今年2020年もリーグ戦が準優勝。「シルバーコレクター」という名にふさわしい(悔しすぎる…)記録ではありますが、同チームで全力を尽くしてきました。

 過去にプレーした外国人選手は数多く、私を含めた日本人選手をはじめ、先にご紹介した北朝鮮人選手、セルビア人選手、アメリカ人選手、コートジボワールやセネガルなどのアフリカ出身の選手などが在籍してきました。また、現地のモンゴル人選手たちも力のある選手がそろっており、現在のチームにもモンゴル代表に名を連ねる選手が多数所属しているチームです。

 チームのメインスポンサーは「APU Company(アプ カンパニー)」という国内最大の醸造および飲料メーカーです。大手企業としてモンゴル国内では有名で、FCウランバートルはモンゴルリーグの中で資金力のあるチームと言えます。しかし、日本をはじめとする他国のサッカーリーグと比べると、その規模はまだまだ小さいもので、選手に対する報酬や待遇は改善の余地があると言えるでしょう。逆に言うと、今後さらに大きく発展する可能性もあると捉えることも出来ます。ちなみに、ユニホームの胸には同社から発売されている「ニスレル」というブランドのビールのロゴがプリントされています。2018年には、同年に行われたロシアW杯の開催を記念して、FCウランバートルのエンブレムが印字された限定モデルのニスレルビールが発売されていました(スーパーマーケットやコンビニに並んでいました)。

 チームカラーはレッドです。この色を採用した理由は、首都の「ウランバートル」がモンゴル語で「赤い英雄」を意味しているからです。また、「FCバルセロナ」や「FC東京」のように、その街を代表するクラブであって欲しいとの願いが込められています。しかし、ウランバートルにはモンゴル1部リーグのチームが10チーム中9チームも存在していますが…(笑)。

 ちなみに、チームのユニホームはモンゴル国内のメーカーである「TG SPORT(ティージースポーツ)」が、昨年からサプライヤーとなっています。サッカーだけに限らず、バスケットボールやバレーボールのチームにも採用されており、モンゴル国内では名の知れたメーカーです。デザイン性に優れており、FCウランバートルのユニホームもかっこいい仕上がりになっています。昇華プリントを採用しており、お財布に優しい点も含めてモンゴル国内では人気のメーカーです。


 下写真/2020年モデルのユニホーム(TG SPORT)
 上写真/2019年シーズン、試合直前の円陣を組む様子(背番号14が大津選手)


 続いて練習環境についてご紹介します。まず、FCウランバートルは自前の練習場を所有していません。モンゴル国内では、自前の練習場を保有しているチームは珍しく、8・9割のチームが練習場所を借りています。日本の社会人チームのようなイメージでしょうか。学校のグラウンドをメインに練習していたシーズンもあれば、試合会場にもなるスタジアムを借りて練習するときもあります。時々、「練習場が借りられなかったから、今日は公園で走りね〜」と言われる日もあります(笑)。私自身の高校時代を思い出させるような環境です。

 試合環境についても、日本のJリーグとは少し状況が異なります。前述した通りモンゴルリーグは首都のウランバートルにチームが集まっており、その影響でリーグ戦の全ての試合がウランバートルの中心部に位置するスタジアムで開催されます。チームメート全員がウランバートルに住んでいるので、試合の日は現地集合・現地解散です。各々が車や徒歩で試合会場に集まります。私は昨年、現地で自転車をゲットしたので、試合には自転車で向かっておりました。Jリーグの試合当日にスタジアムへ自転車でやってくる選手は存在しないと思うので、改善するべき部分だとは思いつつ、その状況も楽しみながら現地で過ごしていました。

 最後に、珍事件を1つご紹介します。それは、2018年シーズンの開幕前に起きた「背番号」にまつわるエピソードです。その年、私は他国から移籍してきたので新たに背番号を決める必要がありました。シーズン開幕前に背番号を決めるのですが、元々在籍していた選手が継続して同じ番号を付ける傾向があるので、空いている番号の中から自分の番号を選ぶ必要がありました。それまでの私は「13」や「14」の背番号を付けてきましたが、その当時も同番号が空いていました。しかし、「気分転換で一桁の背番号も付けてみたいな」という「ゆる〜い」理由で、その当時空いていた「4」にしたいとマネージャーに伝えました。攻撃的なポジションを務めることの多い私ですが、当時の日本代表エースであった本田圭佑選手の背番号が「4」だったことも意識して、同番号を希望しました。

 そして、2018年の開幕戦当日を迎えます。「新たな背番号と共に頑張るぞ!」と意気込んでロッカールームに到着しましたが、背番号4のユニホームが見つかりません。「え?まさか俺のユニホーム忘れられたのか…」と心配していると、チームメートが「はい、これお前のユニホームだよ」と手渡してくれました。「ユニホームあって良かった〜」と安心していた矢先、背番号を確認すると数字が「4」ではなく、「14」になっていました。間違いではないのかと思いましたが、しっかりと「KAZUTAKA」と自分の名前もプリントされています。その場にいたマネージャーにも確認したのですが、「それがお前のユニホームだよ」と、何事もなかったような顔で言われました。私は特に理由を伺うこともなく、「俺の背番号は14なんだ」と自分に言い聞かせて、試合に向かいました。そして、翌年の2019年、今年の2020年も自分の背番号はすっかり「14」が定着してしまいました。私は背番号に特別なこだわりが無いのですが、いつかは一桁を付けてみたいとも思い、虎視眈々とチャンスをうかがっているのでした。

 ということで、私が長年在籍している「FCウランバートル」についてご紹介させていただきました。背番号の話しのように、何かとエピソードが絶えないにぎやかなチームでもあるので、早くチームメートやスタッフのみんなに再会したいと願うばかりです。


 下写真/背番号「4番」を希望していたのに「14番」だったユニホーム(作成時の証拠?写真)
 上写真/2019年シーズン、プレー中の大津選手。日本製のシューズは、毎年foot−fut−24.com(株式会社スポトレンド)さんから提供を受けています


◆大津一貴プロフィール◆
 少年時代は、札幌山の手サッカー少年団とSSSサクセスコースに所属。中学校時代はSSS札幌ジュニアユース。青森山田高校から関東学院大学へ。卒業後は一般企業へ就職。
2013−2014年は、T.F.S.C(東京都リーグ)
2015年FCウランバートル(モンゴル)
2016年スリーキングスユナイテッド(ニュージーランド)
2017年カンペーンペットFC(タイ)
2018年からは再度FCウランバートル(モンゴル)でプレーし、優秀外国人選手ベスト10に選出された。
2019−20年もFCウランバートル所属
大津 一貴