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弊紙発刊の書籍が好評につき、販売店舗拡大中!【一部抜粋して紹介】

19・02・11
 上写真/コーチャンフォー新川通り店で、目立つコーナーに平積み販売されている「100万円も借りられなかったNPOが、街クラブ日本一の施設を造った奇跡の物語」。平積みされるのも注目の証し


 2017年、Amazon初登場でカテゴリー別4位、その後口コミで広まり、大型書店「コーチャンフォー」でも取り扱いが開始された書籍「100万円も借りられなかったNPOが、街クラブ日本一の施設を造った奇跡の物語」(出版元:北のサッカーアンビシャス、税込1,080円)が、全国のサッカー関係者から注目を集め、絶賛発売中だ。

 現在、道内でも問い合わせが増え、コーチャンフォー新川通り店、ミュンヘン大橋店、釧路店、北見店と、取り扱い店舗が拡大中(各店舗、売り切れの場合はご容赦を。その他の店舗では取り寄せ販売も可)。

 本紙では、本の中身を少しずつではあるが紹介している。15回目は第十九の巻「社会起業家として生きる」を抜粋し、紹介したい。


【以下書籍より一部抜粋】

第十九の巻「社会起業家として生きる」

 社会起業家という言葉をご存知の方もいるだろうが、特命チームの3人が学生時代の1990年代には、全く浸透していなかった。この社会起業家の概念を簡単に説明すると、社会の問題解決や、社会貢献を目的とする事業体を起業、もしくは社会的企業に身を置き活動する者といえよう。現在は、事業型NPOなどがイメージしやすいが、市民グループや、その他の業態でも可能であると認識されている。

 柴田は大学4年生時に、学生サッカーリーグが終わった翌日から、自分の出身クラブであるSSSで本格的にボランティアコーチとして携わることになる。その当時、SSSは規模的にも財政的にも厳しい局面を迎えており、柴田と入れ替わる形で2人の正職員が退職していった。

 小さな組織で同時に2人の離脱は、本来であればクラブ存続の危機でもあったが、スポーツビジネスに将来の可能性を見いだしていた柴田は、「“火中の栗”も良い加減に焼けていれば食べられる! マイナス(−)とマイナス(−)を角度をずらし合わせて書いてしまえばプラス(+)に変換出来る!自分がボランティアで2人分働けば、給与も2人分浮く。これでクラブを立て直せる!」と、強引にピンチをチャンスに変えていった。

 今のSSSを見れば簡単に物事が進んでいったかのように見えるが、小さな事業体に安定など無い。この時、がむしゃらになってクラブを何とかしたいという一心でかかわり、今日に至っている。

 そして様々な経緯と苦境を乗り越え、2002年にNPO法人化がなされる。主な設立目的は「スポーツを通じての青少年の健全な育成と、地域社会貢献活動を行う」。この目的を明確にし、NPO化を推し進めたのも当時29歳の柴田だった。「提案した私が全責任を負うためにも、事務局長職を置き、私が全てやります。どなたか異論はありますか?」と、役員、職員の前で宣言した。「SSSをNPOに転換すると言った時の“またこいつは何言っているんだ?”という雰囲気は忘れられません。当時の上部役員の反発も強かったですからね」。

 反対意見もある中、強く賛同して付いて行ったのが、後に“影の特命チーム”となる土橋と田古嶋である。また、NPOという法人格を持つために、通常は定款の作成から法人登記なども、行政書士や司法書士に依頼することも選択肢としてある。しかし、大事な部分の苦労は必ず自分たちの手でやるという柴田の下、土橋、田古嶋の3人で全ての申請を行った。このような経験は、スポーツ振興くじ助成を始めとする助成金の申請や、文部科学省事業の申請などでも役立つこととなる。

 現在は、認知されてきたといえる社会起業家、もしくは社会的企業の職員であるが、当時は、NPOという事業体の正職員として生活出来る環境は多くは無かった。医療や福祉関係では広がりを見せてはいたが、スポーツ関連ではほぼ無かったといえよう。そこで北海道では初となるサッカークラブのNPO化である。ただでさえ安定的とはいえない業態で、大きな変革を行ったのだ。

 「欧米では優秀な人材ほど、大企業や公務員を目指すのではなく、ベンチャー企業家や、社会起業家を志す者も多いと聞いていた。さらにクラウドファンディングなどの寄付文化も併せ、日本にもいずれはその流れが出来るのではと考えていた。でも当時はスポーツ系NPO法人で生活出来ると思っていた人はほぼ皆無でした」。

 柴田は、学生時代に経営学部で学ぶなど、早くから起業家としての道を模索し、独立心も強かった。それは、中学卒業を控えた15歳の段階で海外に渡ったことも影響している。渡航先はサッカー先進国のブラジル。Jリーグも存在しない時代に、サッカーで生活することはイメージし難かったが、現地のプロクラブ(2部)の下部組織に所属し、その後トップチーム入りが認められるなど、本場のプロサッカークラブという組織をじかに体験していた。SSSのクラブハウスの2階観覧室から見える風景は、当時在籍したブラジルのクラブに似せているという。「ですが、SSSは室内からグラウンドを一望出来ますし冷暖房完備で圧倒的に快適だと思います。ブラジルで在籍したクラブは2部ということもあり財政的にも厳しい環境でしたから」。

 ブラジル留学中に同じクラブに在籍していたのは、8歳年上の橋本知典氏(52歳)。現地でプロデビューも果たした橋本氏と1年間ほど一緒にトレーニングすることになる。その経緯もあり、柴田がドリームプロジェクトを立ち上げた時には、詳しく内容も聞かずに賛助会員となり協力は惜しまなかったという。

 「吉徳君が15歳の時にブラジルで初めて会いました。最初はユース以下と自分がいたトップチームで分かれていましたが、1年ぐらいで吉徳君が最年少でトップチームに上がってきました。練習生枠だったとは思いますが、生き残りを懸けて本当に厳しいクラブでしたから、遊びで入れた訳ではなく、ユースからは1人だけでした。確か吉徳君が慣れた頃に、トップの紅白戦で目立ったプレーをしてしまい、その瞬間に反則タックルを食らって一発で足の骨を折られたと記憶しています。ブラジルでは一試合ごとに生活が懸かっているようなものなので、紅白戦でもやるかやられるかの日本では味わえないような緊張感だったと思います。そのような中、疲れ切った練習後にサッカー関連の特許を取るとか、いつも理解に苦しむ変わった話を聞かされていまして、当時から面白いやつだなーと思っていました」。

 橋本氏は昔を思い出しながらにこやかに語り、「そんな吉徳君が始めるプロジェクトなら、だまされても笑い話にはなると思っていました(笑)。ですが、今回SSSにお邪魔したら、素晴らしい施設が出来上がっていて本当にびっくりです! 本州からみたら羨ましい北海道らしい風景の中、子どもたちもイキイキと練習しているようですし、一サッカー人として心から感激しました!」と、自分のことのように喜んだ。

 土橋はSSSとのかかわり始めを振り返り「私も学生時代にボランティアでSSSの活動を手伝ったことがありました。卒業した後は、地元の岩手に戻り、業界内では勢いのあった一般企業に就職していました。数年後に、実家の事情を含め、これが既定路線でもありましたが親族の会社に役員待遇で入る話があり、年収約1千200万円を目の前に提示され強力に誘っていただきました。ある意味では恵まれた話なのですが当時の自分には三つの選択肢がありました。一つがその時勤めていた地元の安定的な企業。二つ目がこちらも地元で親族の会社役員就任。三つ目が学生時代にいた北海道のSSSです。

 そして、最終的に私は一番厳しい環境のSSSを選択し、現在に至ります。周囲には反対されましたが、困難な状況でも、一番夢と魅力があると感じた上での決断でした。

 今振り返ってみても、20代で楽な選択をしなかったことが、その後の自分の力や人生の糧になっていると実感しています。もちろん人それぞれの考え方だと思いますが、良い条件や高収入だけを目標にしてしまっては、欲にきりがなくなるでしょうし、どこかでやりがいが無くなってしまうかもしれません。恐らく条件の良い仕事は、他の優秀な人にも話がいくでしょうし、他の“誰か”でも担えると思います。SSSでは、自分以外では出来ない“代えのきかない”やりがいのある仕事が待っていると確信していました。ですが、覚悟して入ったとはいえ、想像を超える困難な状況の連続だったことは認めざるを得ません。吉徳コーチの取り扱いも含めて・・・」

 その土橋よりも、3年先に入ることになる田古嶋も最初からSSSの職員だったわけではない。卒業後、こちらも安定的な一般企業でキャリアを積み上げていた。そこから、当時財政的にも厳しかったSSSを柴田ががむしゃらになって立て直そうとしているのを知り、田古嶋は無償のボランティア職員として入り、前職での貯えを切り崩しながら協力を惜しまなかった。

 「今でこそ、吉徳コーチ(柴田)の仕事量は考えられているようですが、当時はSSSを立て直すために本当に2人から3人分の激務をこなしていたと思います。また、同時期にブラジル留学生の送り出し業務をボランティアで10年以上担当していました。私も手伝った期間がありましたが、海外とのやり取りは簡単な業務ではありませんし、さらにNPO法人のSSS、株式会社スポトレンドと、本来それぞれ専任でやっても大変な業務を三つ並行してこなしていたので、単純に3人分働いていたというのも大げさではないと思います。吉徳コーチは周囲に弱音を言わない分、土橋君も私も何とか協力したい、しなければならないというような気持ちが根底にあったと思います」と、しみじみ振り返っていた。


―この続きにご興味のある方は、ぜひ本書でお楽しみください。店頭でのご購入はコーチャンフォー(新川通り店、ミュンヘン大橋店、釧路店、北見店で取り扱い中。他店舗はお問い合わせください)か、Amazonでも送料無料で販売しております(Amazonサイト内で、「SSS札幌」、もしくは「SSSサッカー」で検索するとトップページに表示されます)。

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編集部