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ヨーロッパサッカー回廊『イングランド51年振りの優勝!』

17・06・15
 やったー!! 1966年以来、メジャーな大会での優勝から遠ざかっていたイングランドが51年ぶりの優勝に輝いた。

 昨今のウエストミンスター橋でのテロ事件、そしてマンチェスターでのテロ事件と続き、6月8日には総選挙が行われ、政権担当の保守党が過半数を取れず、果たして今後EU離脱はどうなるかなど、イングランド国民にも先行き不安な要素が続々発生している中、その不安と暗い未来を払拭する快挙を成し遂げたのである。

 2017年6月11日、韓国水原で行われたFIFAワールドU20大会での決勝戦対ベネズエラ戦に1−0と勝利。たかがU20、されど将来の活躍を期待される世代の優勝は、全イングランド国民を鼓舞する出来事となったのだ。

 5月20日に開幕し、予選グループでは初戦アルゼンチンと対戦。シニアでは、1986年のメキシコW杯でマラドーナの『神の手』ゴールにより敗退、1998年のフランス大会でもベッカムの退場事件で敗退しているだけに、将来のトップ選手の卵としてどうしても勝ちたい試合であった。

 そのアルゼンチン相手に、3−0と幸先の良いスタートを切り勢いをつけた。次のギニアとの試合は、1−1の引き分けに終わったが3戦目、地元韓国に1−0と快勝し予選グループトップで勝ち抜きベスト16入り。ラウンド16では、コスタリカに2−1と勝利し、優勝の可能性があると期待されることになった。そして準々決勝メキシコ戦に臨み、これも1−0と勝利。準決勝の対イタリア戦も勢いに乗るイングランドは、3−1と圧倒し決勝に進んだのである。相手は勝ち残ってきたベネズエラであった。

 この試合のヒーローは何といっても決勝点を決めたストライカーのドミニック・カルバート・ルーイン(エバートン)であろう。そして大会の得点王に輝いたドミニック・ソロンケ(リバプール)、守備ではPKを止めたGKフレデイ・ウッドマン(ニューカッスル)もヒーローの一人であろう。

 当初、U20にはマンチェスターユナイテッドのストライカー、ラッシュフォードの名前もあったが、シニアサイドのW杯Fグループ、対スコットランド戦が、同時期の6月10日に行われることになっていたため出場できなかったが、彼なしでも優勝カップを獲得できたのはひとえにチームワークで、作り上げたポール・シンプソン監督の手腕も見逃せない。

 下位リーグの選手として、また下位リーグの監督として目立った働きもしていないシンプソン監督が栄誉を勝ち取った背景には、若手選手を育てる監督として評価されており、選手の力を最大限引き出しチームをまとめ上げた結果であったと言われている。代表監督サウスゲートの信頼も厚いという。

 この21名の選手の所属クラブは多岐にわたっている。エバートンが5人と多く、チェルシー3人、あとスパーズ、ミドルスボロ、リバプール、ニューカッスルが各2人、そして1人のクラブはプレミアのボーンマスからキャプテン、ルイス・コック、その他アーセナル、Mユナイテッドも1人ずつ。プレミアの下のリーグから、ニューカッスルの2人以外にもレディング、チャールトンも1人ずつ入っている。トップクラブのチェルシー所属の選手は3人いるが、いずれも下部リーグへローンで貸し出されている選手である。アブダビのシェイクの莫大な資金を擁するマンチェスター・シティの選手はいない。ユースアカデミーを充実させ、将来のトップスターを生み出そうとしているクラブからの選手はいないのだ。

 5人もの選手を輩出したエバートンの監督クーマンは、オランダ人ながらサウサンプトン時代から若手を育てる名監督として鳴らしており、今後この年代の選手が育てば、ベッカム、スコールス、ギッグス、バット、ネビル兄弟を生んだ、マンチェスターユナイッテッドと同じように黄金時代を築くことができるかもしれない。

 また、スパーズの監督ポチェッテーノも若手を育てて勝っていく監督。そのもとで、2013年イングランドU20代表としてトルコでのU20W杯に出場している(その時は予選リーグで敗退)、ハリー・ケーン、エリック・ダイヤーが育ち、イングランドシニアサイドの常連選手となっており、この2人の監督の下、今回のU20の優勝経験をした両軍の7人の選手(エバートン:カラム・コノリー、ジョンジョ・ケニー、ドミニック・カルバート=ルーイン、アデモーラ・ルックマン、キーロン・ドーエルの5人。スパーズ:ジョシュ・オノマー、カイル・ウオーカー=ピーターズの2人)たちが、将来のイングランドトップ選手に成長していくことが期待されている。

 しかし、この優勝した選手たちが将来、2022年のカタール大会(政治的に揉めており周辺諸国のサウジ、エジプト、バーレーンからIS支援国家として断交される羽目に陥っているため、果たして開催されるのか疑問であるが)以降にイングランドのエンブレム『スリーライオン』を背負って活躍できるかは、クラブに戻りレギュラーとして試合に出場することが第一であろう。今後の努力と活躍を見守って行きたい。

 世界的な選手の多くはこの大会(U20)で優勝経験を持っている。例えば、1979年の日本開催時MVPになったのは、かのマラドーナ(アルゼンチン)であり、2005年のアルゼンチン代表にはメッシ、パブロ・サバレッタ(元Mシティ、現ウエストハム)がいた。2013年のフランス代表には現在Mユナイテッドの86百万ポンド(120億円)の移籍金を背負ったポール・ポグバもいたのである。この優勝経験を生かし、イングランド・ネクスト・ジェネレーションとして世界のトップ選手になって欲しいものだ。

 残念ながら日本は、準優勝したベネズエラに負けベスト8には行けなかった。日本がU20大会で唯一好成績を挙げたのは1999年、ナイジェリア大会で、稲本潤一、小野伸二、遠藤保仁を擁しスペインと決勝を戦い敗退したが準優勝を飾った。

 いつの時代でも優勝する、準優勝するチームからは時を代表する選手が出てくるものだ。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫