サッカーアラカルチョ
一覧に戻るヨーロッパフットボール回廊『ベッケンバウアー対クライフ追想』
24・04・17
1974年FIFAワールドカップ西ドイツ大会決勝は西ドイツ対オランダであった。ベッケンバウアー対ヨハン・クライフの対決でもあった。リベロ対フライング・ダッチマンとの対決でもあり『ノンナンセンス・スタッボーン(まじめで不屈)』の西ドイツ(当時はドイツは東西に分離されていた)対『トータルフットボール』のオランダとの闘いでもあった。
もし皆様が古いビデオをお持ちなら是非観戦し現代のパワー・スピード・激しいタックル・VARによる中断・大袈裟に倒れファールを誘い、ゴールセレブレーションでひざを負傷するパフォーマンス重視のフットボールと比較してみてはいかがであろうか。そして一般労働者並みプラスの報酬でのジェントルマン選手同士の闘いから、今や億万長者のにわか富裕層選手同士の闘いと比較してみてはと思われる。
この試合をじっくり見てみると現代のフットボールと何が違うのか明らかであろう。まず違いを挙げてみよう。
1:ルール上、当時はGKへのバックバスをGKが手でキャッチすることが認められていた(現代は間接フリーキックとなり相手側のボールとなる)。しかしドイツ、オランダのGKは時間をかけてホールディングせず、早くデリバリーしており、決して時間稼ぎをすることはしなかった。
試合時間は90分であり、エクストラタイム(インジュリータイム)はほとんど無かった。現状はインプレー90分プラスロスタイムを足し、大方の試合時間は100分程度になってきている。90分で終わる試合はほとんどなくなった。一方、50年前のこの決勝戦、プレーが途切れる時間はほとんど無く流れるように展開されていた。清々しい闘いそのものであった。反則があっても即対応し選手は淡々とプレーを続行、審判に異議を唱える選手もおらず緊張感のあるプレーに終始していた。
2:この決勝戦では反則行為に対してイエローカードが1枚出された。このイエロー・レッドカードが導入されたのは70年のメキシコ大会が初めてである。それまでは主審の判断で反則した選手を呼びノートし、口頭での警告、退場を通告していたのである。
元々歴史的には、疑義あるプレーが発生した場合は主審が両軍のキャプテンを呼びキャプテン同士で判定を決めていたのだ。反則された選手が文句も言わず、すぐ立ち上がりプレーに参加。現代の選手同士での揉み合いもつかみ合いもないフェアプレーに終始していた。
3:そして世記を代表するセンセーショナルな選手、ヨハン・クライフ対フランツ・ベッケンバウアーの直接対決の決勝戦でもあった。両選手ともに現在この世にはいない。この2人の前にはブラジルのペレ、その前にはハンガリーのプスケス、そして60年代イングランドのボビー・ムーアとボビー・チャールトンが世界的な選手として名を挙げた。いずれも真のジェントルマン選手であった。めったに汚いファールはしない、しかしゴールへの執念は強い、そして優雅なプレースタイルから強烈なシュートを放つ時代であった。
4:その後90年代からはテレビ放映権の高騰、マーチャンダイズの世界的拡販によりジェントルマンによる優雅な美しいフットボールは金にまみれた激しい闘いを余儀なくされ、インチ単位でボールが出たか入っているかで勝敗が左右されるスポーツに変節してきているのだ。
マラドーナ、ネイマール、C・ロナウド、メッシ等のスピード、パワー、個人技術優先の卓越した個々の選手が生み出され、それがテレビ等メディアを通して世界に席巻しコマーシャルナイズされ、世界中にテレビで放映されている現在、インテリジェンスの有るアソシエーテッドなフットボールは質の転換を強いられ『個の格闘技』のフットボールに変化しているのではないかと思える。
今一度74年の西ドイツ対オランダ戦を戦術的にじっくり見てみたい。
西ドイツは優雅なアウトサイドキックを多用するベッケンバウアーをリベロとして最後列に置いているが、時と見ればまるでプレーメーカーのように前線に出て行きチャンスを作る。攻撃では中盤の要、守備では最後尾に戻り相手チャンスをつぶす。90分間ベッケンバウアーの動きはトップからトップへ攻撃から守備へ、守備から攻撃へと展開する真のリベロ(自由人)であった。
片やオランダの至宝クライフは前半はトップ、センターフォワードとして位置していたが、その後は2列目の攻撃的リベロともいうべき、フライング・ダッチマンとしてディフェンスからのボールをキープ、前にいるヨハン・ニースケンスへのパスを出すNo.10のポジションにおり、時を見てトップセンターへ出てシュートを打つというこれまた超人的な動きを示していた。この決勝戦の両者の動きとパスの精度から見ればオランダ・クライフは後半にさすがに疲れが出てきていたようだ。
一方、ベッケンバウアーはリベロとして最後尾のセンターバックの位置からチャンスと見ればNo.6のポジションに上がりプレーメーカーの役割を全うし、ストライカーのゲルト・ミュウラー、そしてフルバック、フォクツの上がりを支えており90分たゆまなきプレーをしていた。
オランダの監督ミケルスの戦法であるトータルフットボールとは何か。クライフ自身が筆者のインタビューに答えたことは「味方がボールを持ったら、GKを除く10人全員が攻撃に参加する。その時のポジションから点を取るシステムへチェンジするのだ。だからディフェンスの選手といえどもある時はストライカーになり、ストライカーもある時はディフェンスへ戻る、そのことを11人が「点とるパターンへシフトすることだ」と言っていた。
しかし結果はリベロ、ベッケンバウアーの勝ち、クライフのトータルフットボールの負けであった。
後年オランダのディフェンスの要であったビブ・ヤンセンをサンフレッチェ広島の監督に招聘した際、彼が言った言葉は「監督ミケルスのトータルフットボールのシステムパターンは100通り以上あり、それをマスターすればW杯は優勝出来る」であった。結果はそれに及ばなかったが後世に残したものは大きいものであったと思う。
今一度、過去の名勝負を垣間見てその良さを取り入れ、フットボールに関わる皆様が改めてフットボールの奥の深さを噛みしめて欲しいと思います。
ベッケンバウアー及びクライフも今は亡き英雄となってしまいましたが、筆者は両氏とは2002年W杯日韓大会でよく会っており、寂しい限りです。
◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
89−94:日本サッカー協会欧州代表
94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
もし皆様が古いビデオをお持ちなら是非観戦し現代のパワー・スピード・激しいタックル・VARによる中断・大袈裟に倒れファールを誘い、ゴールセレブレーションでひざを負傷するパフォーマンス重視のフットボールと比較してみてはいかがであろうか。そして一般労働者並みプラスの報酬でのジェントルマン選手同士の闘いから、今や億万長者のにわか富裕層選手同士の闘いと比較してみてはと思われる。
この試合をじっくり見てみると現代のフットボールと何が違うのか明らかであろう。まず違いを挙げてみよう。
1:ルール上、当時はGKへのバックバスをGKが手でキャッチすることが認められていた(現代は間接フリーキックとなり相手側のボールとなる)。しかしドイツ、オランダのGKは時間をかけてホールディングせず、早くデリバリーしており、決して時間稼ぎをすることはしなかった。
試合時間は90分であり、エクストラタイム(インジュリータイム)はほとんど無かった。現状はインプレー90分プラスロスタイムを足し、大方の試合時間は100分程度になってきている。90分で終わる試合はほとんどなくなった。一方、50年前のこの決勝戦、プレーが途切れる時間はほとんど無く流れるように展開されていた。清々しい闘いそのものであった。反則があっても即対応し選手は淡々とプレーを続行、審判に異議を唱える選手もおらず緊張感のあるプレーに終始していた。
2:この決勝戦では反則行為に対してイエローカードが1枚出された。このイエロー・レッドカードが導入されたのは70年のメキシコ大会が初めてである。それまでは主審の判断で反則した選手を呼びノートし、口頭での警告、退場を通告していたのである。
元々歴史的には、疑義あるプレーが発生した場合は主審が両軍のキャプテンを呼びキャプテン同士で判定を決めていたのだ。反則された選手が文句も言わず、すぐ立ち上がりプレーに参加。現代の選手同士での揉み合いもつかみ合いもないフェアプレーに終始していた。
3:そして世記を代表するセンセーショナルな選手、ヨハン・クライフ対フランツ・ベッケンバウアーの直接対決の決勝戦でもあった。両選手ともに現在この世にはいない。この2人の前にはブラジルのペレ、その前にはハンガリーのプスケス、そして60年代イングランドのボビー・ムーアとボビー・チャールトンが世界的な選手として名を挙げた。いずれも真のジェントルマン選手であった。めったに汚いファールはしない、しかしゴールへの執念は強い、そして優雅なプレースタイルから強烈なシュートを放つ時代であった。
4:その後90年代からはテレビ放映権の高騰、マーチャンダイズの世界的拡販によりジェントルマンによる優雅な美しいフットボールは金にまみれた激しい闘いを余儀なくされ、インチ単位でボールが出たか入っているかで勝敗が左右されるスポーツに変節してきているのだ。
マラドーナ、ネイマール、C・ロナウド、メッシ等のスピード、パワー、個人技術優先の卓越した個々の選手が生み出され、それがテレビ等メディアを通して世界に席巻しコマーシャルナイズされ、世界中にテレビで放映されている現在、インテリジェンスの有るアソシエーテッドなフットボールは質の転換を強いられ『個の格闘技』のフットボールに変化しているのではないかと思える。
今一度74年の西ドイツ対オランダ戦を戦術的にじっくり見てみたい。
西ドイツは優雅なアウトサイドキックを多用するベッケンバウアーをリベロとして最後列に置いているが、時と見ればまるでプレーメーカーのように前線に出て行きチャンスを作る。攻撃では中盤の要、守備では最後尾に戻り相手チャンスをつぶす。90分間ベッケンバウアーの動きはトップからトップへ攻撃から守備へ、守備から攻撃へと展開する真のリベロ(自由人)であった。
片やオランダの至宝クライフは前半はトップ、センターフォワードとして位置していたが、その後は2列目の攻撃的リベロともいうべき、フライング・ダッチマンとしてディフェンスからのボールをキープ、前にいるヨハン・ニースケンスへのパスを出すNo.10のポジションにおり、時を見てトップセンターへ出てシュートを打つというこれまた超人的な動きを示していた。この決勝戦の両者の動きとパスの精度から見ればオランダ・クライフは後半にさすがに疲れが出てきていたようだ。
一方、ベッケンバウアーはリベロとして最後尾のセンターバックの位置からチャンスと見ればNo.6のポジションに上がりプレーメーカーの役割を全うし、ストライカーのゲルト・ミュウラー、そしてフルバック、フォクツの上がりを支えており90分たゆまなきプレーをしていた。
オランダの監督ミケルスの戦法であるトータルフットボールとは何か。クライフ自身が筆者のインタビューに答えたことは「味方がボールを持ったら、GKを除く10人全員が攻撃に参加する。その時のポジションから点を取るシステムへチェンジするのだ。だからディフェンスの選手といえどもある時はストライカーになり、ストライカーもある時はディフェンスへ戻る、そのことを11人が「点とるパターンへシフトすることだ」と言っていた。
しかし結果はリベロ、ベッケンバウアーの勝ち、クライフのトータルフットボールの負けであった。
後年オランダのディフェンスの要であったビブ・ヤンセンをサンフレッチェ広島の監督に招聘した際、彼が言った言葉は「監督ミケルスのトータルフットボールのシステムパターンは100通り以上あり、それをマスターすればW杯は優勝出来る」であった。結果はそれに及ばなかったが後世に残したものは大きいものであったと思う。
今一度、過去の名勝負を垣間見てその良さを取り入れ、フットボールに関わる皆様が改めてフットボールの奥の深さを噛みしめて欲しいと思います。
ベッケンバウアー及びクライフも今は亡き英雄となってしまいましたが、筆者は両氏とは2002年W杯日韓大会でよく会っており、寂しい限りです。
◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
89−94:日本サッカー協会欧州代表
94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫