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コンサドーレ札幌の新監督に財前兄

13・01・11
 上写真/就任記者会見でインタビューに答える財前監督。写真はいずれも12月14日、札幌ドーム、撮影・石井一弘


室蘭大谷「北の闘将」の教え子

 北海道フットボールクラブ(HFC=矢萩竹美社長)は2012年12月14日、コンサドーレ札幌の新監督に財前恵一氏(44)を選び、就任記者会見を行った。財前氏は、アビスパ福岡のU−18監督からの就任で、2月1日から1年契約。     

 同氏は室蘭市出身で室蘭大谷高校(現・北海道大谷室蘭高校=略称・道大谷室蘭高)卒業後、プロ選手になり、日産、横浜M、柏を経てコンサドーレ札幌でも1年間プレーした。室大谷高時代は、全国高校選手権準優勝の「北の闘将」高橋正弘監督(故人)に指導を受け、1987年の第65回(昭和61年度)全国選手権でベスト4入りを果たした。同期には、国士舘大から日産、横浜M、福岡で活躍した野田知が、財前の弟・宣之も仙台、山形、タイのチームでプレーした。当時は財前兄弟といわれ、道産子Jリ―ガ―として注目の選手だった。また、財前新監督は1996年、発足当時の札幌でプレー、その後、下部組織のユースのU−15やU−18のコーチ、監督、さらに柳下正明監督時代にトップチームでコーチをしている。その後2010年から福岡のU−15、U−18の監督をしていた。

 札幌は今季J1に昇格したが、最下位が続き9月に降格が決まった。石崎信弘監督も早い時期から「今季で退任」を示し、HFCでは後任を探していた。強化部の三上大勝部長は、今季5人をユースから入団させ、さらに来季は6人の昇格者とユース出身の東洋大卒の選手ら若手中心の人選。監督の選考基準として?攻守のバランスを考える?ボール保持するポゼッションを強調する?マインドは良いところを伸ばす?育成を考え、若手を育てる―の4点を網羅できる指揮官として選んでいた。

「北の闘将」高橋正弘さん

 室大谷高が1978年(昭和53年度)第57回全国高校選手権で北海道勢初の決勝進出を果たした。その時の監督が高橋正弘さん(1943年室蘭生まれ)。決勝で古河一高(茨城)に2−1で敗れたが、北海道初の、いやいまだに無い「銀メダル」だ。高橋さんは室蘭から国士舘大に進み1966年室大谷に奉職、サッカー一筋。「今、何をすればいいか」が口癖だった。

 この準優勝のあと、室蘭を国見の監督・小嶺忠敏さん(現・長崎総合科学大学特任教授、同大付属高校サッカー部総監督、長崎県サッカー協会会長)が、祝勝会で訪れている。『小嶺は、ゴールポストの上まで積もっている雪を見て驚き、その時高橋が言った言葉をいまだに肝に銘じている。「小嶺よ、おまえのところはええなぁ。雪も積もらず年中練習ができるんだから」といわれた。「室蘭でできて、なぜ、俺のところでできない。俺のところの方が何倍も恵まれているのに」。「俺は言い訳をしていたんだ」と思い知らされたと―』(小嶺監督のエピソード集から)。この後の国見の活躍ぶりは、顕著だ。「北の闘将」と誰が名付けたか、きっと仲の良かった小嶺監督だろう。

 「今、何をすればいいか」の高橋監督も常に「何か」を探っていた。滋賀国体(1981年)の時だったと思う。サッカーの会場に取材に行った記者に高橋監督は「うちのチームに足りないところは―」と尋ねた。「球際が弱いね。一歩早く」。たぶんそのころは「球際」なんて言葉は無かったと思うが、そんな意味のやり取りだった。いつも「何か」を考えていた「闘将」は1996年他界した。

 財前監督は若くしてJリーグの監督になる。高橋監督も喜んでいるだろう。みんなに注目されている。(昔語りのオマケ)「失敗を恐れるな。隣の芝と比較をするな。個性を伸ばせ」と、こんなところだろうか。
                                        (池田 淳)


 上写真/財前監督(右)就任への経過を話す三上強化部長(左)、中央は北海道フットボールクラブの矢萩社長

写真はいずれも石井一弘撮影