北海道コンサドーレ札幌の王道と遍歴2017年8月号

ルーチン
「routine」決まり切った事
いつも通りの手順をいかに生かすか
コンピューターではプログラム機能
身近ではラグビーの五郎丸選手の姿
北海道コンサドーレ札幌にもいるナ
サッカーでも注目されている考え方

この話題が2016年の雑誌に出た
五郎丸とサッカーの中村俊輔の対談
ラグビーのゴールは無防備な空間だ
サッカーは壁とゴールキーパー有り
どこを狙うか興味津々で本音に迫る
割と簡単に本音を語り隠し事は無い

札幌にはフリーキッカーの福森晃斗
滔々としゃべってくれたので驚いた
壁の左右を見極めてカーブを掛ける
名手遠藤保仁と同様にポストを狙う
狙いは同じだが遠藤右利き福森は左
蹴る足には差はないが立ち足に注目

五郎丸は最近あの形を辞めたと聞く
観衆のいないオホーツクの空は広いポールの向こうの照準はサポーター
俊輔はボウリングがヒントになった
スパットの先のピンが選手に見える
あとは立ち足が目標を決めてくれる
コンサドーレ札幌の王道と遍歴
横浜戦の後半追加タイム5分、ドリブルで左サイドを駆け上がりクロスを入れる札幌DF福森。8月9日、札幌ドーム、撮影・石井一弘
コンサドーレの王道を拓く
報道・解説者たちのララバイ
 8月に入ってお盆休みも無く多忙な毎日を送っているサッカー関係者やサポーターの皆さん、ご苦労さんです。北海道コンサドーレ札幌を中心に取材や解説をしている皆さんもすべてを顧みず釘付けです。場所は札幌が得意とするホームゲーム。
 9日の札幌ドームの横浜F・マリノス戦は0−2で敗れた。13日のヴァンフォーレ甲府戦は解説者の総括では「勝てそう」。でも、取材記者らも、選手と同様に中3日の連戦。特にコンサドーレは、15位の降格ラインを、どぶ板一枚でしのいでいる。「J1残留」という言葉を使いたくないが、この15位が長ければ長いほど、コンサド贔屓(ひいき)の担当者には切実に迫ってくる。プレスルームに入ってくる相手方の取材者が、大きく見えるのは当然だろう。
浦和連敗ミシャ監督の解任
 多忙の始まりは7月29日、札幌ドームで行われたコンサドと浦和レッズの第19節から。浦和が0−2で札幌に敗れた。けが人(2人交代)、レッドカード(退場)の荒れたゲーム。浦和のペトロヴィッチ監督(ミシャは愛称)は、後半開始直後に3人を交代出場させた。この後、悲劇が起きる。交代要員がいない中で、1人がけがで退場、浦和はフィールドプレーヤー9人で戦い、敗れ去った。
 30日、「解任」が発表された。前日、札幌戦で変な“余震”があった。浦和の広報担当者が、プレスルームでそそくさと担当記者にプリントを配布し、応答に応えている。地元ならまだしも他会場に記者担当広報が来るのは稀。
 札幌ドームの地下2階は、プレスと選手、関係者の会見場所。ミシャが出てきた。私の顔を見つけ握手をして来た。「札幌が浦和に勝ったよ」、私の大喜びとは裏腹にミシャの手は冷たかった。一人寂しく送迎バスに乗り込んでいった。
 私は出身の浦和高校のレプリカ・ユニホームを着て行った。旧友もスタンドに来ていたから。「直会は勝ったほうが持つ」だったが、怒って帰ってしまった。
 私が、ミシャの手の冷たさを、ぴんときていれば、「監督解任」の特ダネを書いていたかもしれない。解説者、記者、フリーランスのジャーナリストの、それぞれの修羅場がこれからも展開されて行く。
平川弘の通信簿
 札幌の解説者は、コンサドーレ札幌の出身者が多い。テレビでの解説や会場でのインタビュアー、新聞のコラム、連載記事、さらに講演を頼まれることもある。
 この中で一番長いのがコンサドの創立時代からのDF平川弘(52)。神奈川県出身で、順天堂大に在学中の1985年、W杯メキシコ大会アジア予選の日本代表。最終予選で敗退したが、DF・MF・FWをこなすオールラウンドプレーヤーだった。1987年横浜マリノスの前身・日産自動車に加入、日本代表監督の横山兼三監督のもとFWで成功した。横浜フリューゲルスを経て1996年コンサドーレに入団、1シーズンで辞めて解説者になった。北海道新聞の毎週水曜日の「燃えろコンサドーレ 平川弘の通信簿」やテレビ解説者などで活躍中。コンサドについては、試合数34の勝ち点34ポイントが残留最低線と説く。
TVアイドル吉原宏太
 吉原宏太(39)は、大阪の初芝橋本高から1996年卒業と同時に札幌に入団した。右のFWで頭角を現し、翌97年に初のハットトリック、99年にはチームの最多得点王(15得点)になった。この年はフィリップ・トルシエ監督が指揮するU−22のオリンピック代表。さらに日本代表キャンプにも参加している。翌2000年からは、ガンバ大阪でプレーしたがコーチや監督との意見が合わず、2006年大宮アルディージャ、09年水戸ホーリーホックでプレー。13年2月2日の誕生日に現役引退を表明した。
 その後、(株)クラッキから派遣という形で現・野々村芳和社長の運営するコンサドーレのスクールコーチに就任。現在はコンサドのアドバイザリースタッフも務める。この他、スカパーの解説者や北海道内のテレビ局の特集番組のコメンテーターとして活躍している。
STVの大森健作
 朝のテレビ番組でスポーツ担当のレギュラーの顔になった大森健作(41)は、愛媛県出身。高校卒業後、横浜マリノスに入団、1995年、FIFAワールドユースのカタール大会日本代表。その後、鹿島アントラーズ、京都パープルサンガでプレー、2000年コンサドーレに移籍した。岡田武史監督が直接電話でオファーを出したという果報者。3バックのストッパーをこなしながらオーバーラップしての得点など派手な動きで人気を集めた。
 04年セレッソ大阪、07年徳島ヴォルティスを渡り歩き引退、札幌に帰って、サッカー解説やスポーツ紙の連載、サッカースクール指導者などサッカーを武器に戦っている。自負しているスポーツコメンテーター、タレントはSTVの「どさんこワイド朝(毎週金曜日)」の情報番組の柱になっている。
どっしり座った砂川誠
 選手生活20年の砂川誠(39)が、人間らしい住み家と決めたのが札幌だろう。千葉の習志野市出身で市船高といえば、サッカーの名門コース。1994年の第73回全国高校選手権大会初優勝に、2年生ながら貢献したというから凄い。1996年柏レイソルに入団、2001年ローンで札幌に。05から15年まで10年間で347試合出場、27得点。ローン時代を入れると415試合、35得点。曽田雄志と共に「ミスターコンサドーレ」と称賛された。その後FC岐阜に半年ほどいて引退した。
 札幌には、スポンサーの石屋製菓が社員登用するなど引手あまた。サッカーの指導者を目指すとともに、札大のサッカー部コーチ、スポーツ紙や北海道新聞に「コンサCHECK」のコラムを連載している。コンサドには「攻守とも一段上を」を望んでいる。
大学講師の曽田雄志
 この人は、「ミスター札幌」だったか「ミスターコンサドーレ」だったか。曽田雄志(39)は、札幌南高出のドサンコプレーヤー。2001年筑波大を出て岡田武史監督率いる札幌に入団した。FWで初めは登録されたが、02年からはDFのセンターで、固定された。以来9年間移籍もせずに232試合に出場、20得点を挙げた。
 選手交代が出来なくなってGKをやった貴重な経験を持っている(2008年札幌ドーム)。良くも悪くも、文句も言わず、何でもやっていく、「人格者」。コンサドのアドバイザリースタッフや北海道教育大学岩見沢校の専任講師、札幌市のシティープロモート戦略会議メンバーなど多岐にわたる。
 自身の選手時代のブログは(外部リンク)「不易流行(コンサドーレオフィシャルブログ)」に残っている。
 コンサドの後輩たちには「自信と危機感を持ち続けて」とアドバイスしている(コンサCHECKから)。
フットボールライター斉藤宏則
 北海道新聞にほぼ1ページ10段を取って「話題の選手」を紹介している。1978年北海道生まれの斉藤宏則(39)は、選手、サポーターや報道関係者らには顔なじみ。北海学園大卒業後、札幌を拠点に全国を飛び回る。スポナビコラムやJ’sGOALのコラムなど著作物も多い。特に目に留まるのはコンサドのホームゲームの「デーリープロ」で、対戦カードのチーム紹介とみどころ。入場者に無料で配布している。【フットボールライター:斉藤宏則】の署名入りだ。
                                                      (池田 淳)