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25・08・11

上写真/1977年2月6日、国立競技場で撮影、日本サッカーリーグの対三菱重工戦でシュートを決めたヤンマーのFW釜本邦茂
(写真は朝日新聞社提供、1977年2月6日、国立競技場、撮影・石井一弘)
2025年8月10日、日本サッカー界に深い悲しみが広がった。かつて世界を相手にゴールを量産した伝説のストライカー、釜本邦茂(かまもと くにしげ)氏が、大阪府内の病院で肺炎のため逝去された。享年81。
釜本氏は京都府京都市の出身。京都山城高校から早稲田大学へ進学し、在学中に日本代表入りを果たす。大学では関東大学リーグ得点王を4年連続で獲得。卒業後は日本サッカーリーグ(JSL)のヤンマーディーゼル(現・セレッソ大阪)に加入した。
JSLでは251試合に出場し、通算202得点を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間最優秀選手賞7回、ベストイレブン14回など、数々の不滅の記録を打ち立てた。
日本代表としては、国際Aマッチ76試合で75得点を挙げ、日本男子歴代最多得点者としてその名を刻んでいる。
オリンピックには1964年東京大会、1968年メキシコシティー大会に出場。メキシコ大会では6試合で7得点を挙げ、アジア人初の得点王となり、日本の銅メダル獲得に大きく貢献した。
引退後はサッカーの普及活動にも尽力し、全国各地で「釜本サッカー教室」を開催。当時参加していた子どもたちの中からは、後に代表選手になるなど多くの有力選手が育っていった。当地・北海道での巡回指導では「世界の釜本」のキックに驚いた子どもたちのエピソードも語り継がれている。
北の地より、故人のご功績に深く感謝申し上げるとともに、謹んで哀悼の意を表します。
(写真は朝日新聞社提供、1977年2月6日、国立競技場、撮影・石井一弘)
2025年8月10日、日本サッカー界に深い悲しみが広がった。かつて世界を相手にゴールを量産した伝説のストライカー、釜本邦茂(かまもと くにしげ)氏が、大阪府内の病院で肺炎のため逝去された。享年81。
釜本氏は京都府京都市の出身。京都山城高校から早稲田大学へ進学し、在学中に日本代表入りを果たす。大学では関東大学リーグ得点王を4年連続で獲得。卒業後は日本サッカーリーグ(JSL)のヤンマーディーゼル(現・セレッソ大阪)に加入した。
JSLでは251試合に出場し、通算202得点を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間最優秀選手賞7回、ベストイレブン14回など、数々の不滅の記録を打ち立てた。
日本代表としては、国際Aマッチ76試合で75得点を挙げ、日本男子歴代最多得点者としてその名を刻んでいる。
オリンピックには1964年東京大会、1968年メキシコシティー大会に出場。メキシコ大会では6試合で7得点を挙げ、アジア人初の得点王となり、日本の銅メダル獲得に大きく貢献した。
引退後はサッカーの普及活動にも尽力し、全国各地で「釜本サッカー教室」を開催。当時参加していた子どもたちの中からは、後に代表選手になるなど多くの有力選手が育っていった。当地・北海道での巡回指導では「世界の釜本」のキックに驚いた子どもたちのエピソードも語り継がれている。
北の地より、故人のご功績に深く感謝申し上げるとともに、謹んで哀悼の意を表します。
編集部











