コンサドーレ札幌の王道と遍歴2018年11月号

天下泰平
「てんかたいへい」は世の中が平和
スポーツの世界ではそうはいかない
北海道コンサドーレ札幌は上を狙う
2シーズン連続のJ1キープの記録
1998年の加入以来にして初快挙
さらにACL出場への機会も狙える
    
2018年外国人監督として6人目
サポーターを「ファミリー」と呼ぶ
ミハイロ・ペトロヴィッチ監督就任
随所で「ブラボー」と選手らをハグ
勝利にはだれ彼かまわずアメを配る
札幌はセルビアに似て大好きな地と

第1号はウーゴ・フェルナンデス氏
ウルグアイ出身でJFLからJ参入
岡田武史氏が2001年にJ1昇格
次はイヴァンチェビッチ氏を迎えて
張外龍氏とジョアン・カルロス氏が
最後は14年にバルバリッチ氏来札

2016年四方田修平監督J2優勝
17年J1昇格して四方田監督続投
勝ち点43の11位で運営会社任せ
野々村芳和CEOは「別のトライ」
四方田氏をHコーチにミシャを採用
三上大勝GMは「北海道を元気に」
コンサドーレ札幌の王道と遍歴

浦和戦の後半17分、厳しい表情で選手を鼓舞する札幌ペトロビッチ監督。11月10日、札幌厚別公園競技場、撮影・石井一弘

コンサドーレの王道を拓く
コンサドーレ札幌3年連続J1が意味するもの
 サッカーJリーグが始まったのが1993年。発足を記念して、「1994 J.LEAGUEKICK OFF」の表題の入った新聞紙2ページ大のジグゾーパズルが発売された。参加チーム12のエンブレムとチーム名がキャピタルレターで書かれている。今でも我が家の応接間を飾っている。
 あれから25年、現在はJ1リーグ18チーム、J2が22、J3が14の計54チームが、それぞれで競い合っている。
 北海道コンサドーレ札幌は、1996年に東芝堀川町サッカー部(1935年創部)を母体に、札幌市で産声を上げた。高橋武夫監督の下「コンサドーレ札幌」の名でJFLに参入、2年目で優勝してJリーグに昇格した。1998年は18チームで1、2ステージを戦いコンサドは最終年間順位14位で、1999年は10チームのJ2で戦うことになった。
 1998年のフランスワールドカップの日本代表監督、岡田武史氏(当時42歳=現62歳)が札幌の監督に就任した。J2で2年、2001年にコンサドは、初めてJ1の舞台に登場、この年は11位で、2年目のJ1に望むが、岡田監督が去った後は16位で、再びJ2の世界で昇格を夢見た。ここでJ2の5年目にJ2優勝、J1昇格を決める。08年はJ1のステージで戦うも18位でJ2に。12年はJ2で3位での昇格、今季はすでに初めての3年連続J1での来期ステージを迎えることが出来る。
がっぷり四つ柳ペンと石ちゃん
 初のJ1、2年目を引き継いだのが、柱谷哲二監督。開幕3連敗1勝して3連敗で更迭された。次はイバンチェビッチ氏がユーゴスラビアから。韓国から張外龍氏、さらにブラジルからジョアン・カルロス氏。02年から03年にかけて低迷が続いた。明けて04年、柳下正明監督を迎える。しかし、選手の補強がうまく行かず、この年最下位の12位。さらに選手集めを続け06年には、FWフッキを獲得、中堅の6位に浮上、三浦俊也監督に引き継ぐ。三浦監督は1年でJ2優勝とFWダヴィと共に2年でコンサドを去った。練習後ひとりで、白い恋人サッカー場のピッチを幾度も幾度も走り、その日の反省、次への「策」に、走っていた姿を今でも思い出す。
 09年からは、石崎信弘監督。FWキリノを擁して、11年J2で3位になり昇格、12年J1を戦ったが18位という屈辱的な成績に終わり、札幌を去った。13年から再び振り出し。室蘭大谷高(現・北海道大谷室蘭高)から日産自動車(現・横浜F・マリノス)でプレーした財前恵一監督を起用したが、その年は8位と頑張った。しかし14年のシーズンは7月から8月にかけて4連敗を喫し、成績不振で退任、代わってクロアチア出身のイヴィッツァ・バルバリッチ監督が就任、10位に踏みとどまった。翌15年もJ2で戦い、途中解任され、コーチの四方田修平が監督となり、10位に終わった。
 16年も岡ちゃん時代から札幌に住み着いた「名探偵」四方田修平監督の続投。「堅守速攻」を旨に、絶好調のFW都倉賢、内村圭宏の得点力、ベテラン稲本潤一、小野伸二や鉄壁のCB河合竜二、ブラジルからのジュリーニョ、ヘイスらを駆使して優勝した。勝ち点85は、94(岡田監督)、91(三浦監督)に次ぐ記録。17年のJ1進出では11位の成績を収め、札幌6人目の外国人監督ミハイロ・ペトロビッチ監督(61)に引き継いだ。
Jリーグの開幕節とは?
 Jリーグ=日本プロサッカーリーグ(村井満チェアマン)は、公式ページで「Jリーグの開始年1993年、開幕日5月15日」としている。10チームが出場、サントリーシリーズとして試合が進められた。翌年2チームが参加、12チームで行われ、これが本来の「リーグ構想」だったと言われ、93年は開幕節という「説」もあったとか。時のサッカー日本のキャプテン川淵三郎氏が1993年の開会式(国立霞ヶ丘競技場)で「開会を宣言します」とあいさつしたのだから、開幕節はおかしいという結論になったとか。
 このJリーグ構想が始まったのは、1965年にJSLが結成されたというから、30年の紆余曲折の月日があった。これでよいのかと「冠付き」(当時よく言われた)に賛否両論があり、クラブの直接事業かプロという言葉を入れると、スポンサー目当てだとか?かなりの「ご意見」があったものを感じる。私としては、1993年の開会の各地での試合を見て、「遂に出来上がったか」の感を強くする。
 開幕の映像が残っていた。鹿島アントラーズ−名古屋グランパスエイト。93年Jリーグサントリーシリーズ第1節第2日(カシマサッカースタジアム)。5−0で鹿島の勝ち。ジーコ3得点、アルシンド2得点。アルシンドは、この後、コンサドーレ札幌に来た。頭てっぺんの禿げたところは、そのままだった。
札幌の歴代監督の横顔
◆1996年1月から同年12月  高橋 武夫
 札幌初代監督=1947年東京都生まれ、埼玉・川口高東京農大卒。古河電工、東芝でプレー。
 FWでアジア大会日本代表など。

◆1997年1月から98年10月  ウーゴ・フェルナンデス 
 1945年ウルグアイ生まれ、DFとして61年からアルゼンチン、メキシコ、 スペインでプレー、82年
 からコーチ。札幌では「ハートでプレー」を説く。解任後、栗山町でアドバイザーを務める。

◆1998年10月から同12月  石井 肇 
 1959年神奈川県生まれ、日大高―日大卒。DFとして日産自動車などでプレー。徳島・大塚製薬
 などコーチや監督。現在女子サッカー、ノルディーア北海道GM、道教育大非常勤講師。

◆2002年6月から同9月  ラドミロ・イバンチェビッチ
 1950年ユーゴスラビア生まれ、ユーゴの3部リーグからプレー、78年オリンピック代表。82年には
 アメリカのトップリーグに入団してプレーした。

◆2002年9月から同12月  張 外龍
 大韓民国出身、1959年ソウル特別市生まれ、DFとして1982年W杯スペイン大会出場。日本の
 コーチ、監督としてはヴェルディ川崎、鳥栖フューチャーズ、大宮アルジージャでコーチ、監督を
 経験、札幌は03年にも監督。

◆2003年1月から同8月  ジョアン・カルロス
 ブラジル出身、1956年リオデジャネイロ生まれ。40歳過ぎからコーチ、監督を各地で経験、日本
 では1996年から98年途中まで鹿島アントラーズ監督、99年再来日後から2001年は名古屋
 グランパス、途中解任後は続いてセレッソ大阪監督の後に、03年から約半年コンサドーレ監督。

◆2014年8月から15年7月  イヴィッツァ・バルバリッチ
 1962年クロアチア出身、メトコヴィチ生まれ。186センチの大型DF。1988年ユーゴスラビア代表。
 監督歴は 2001年からボスニア・ヘルツェゴビナのクラブの監督、09年にJ2愛媛FC監督、さらに
 14年から約1年札幌を指揮した。

 コラムでは表現できなかった監督の人となりを取り上げてみた。
                                                      (池田 淳)