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ミハイロ・ペトロビッチ監督の歴史

18・02・17
 上写真/1月12日の就任会見でマイク持つのも忘れて熱く語るペトロヴィッチ新監督。プレミアホテル−TSUBAKI−札幌、撮影・石井一弘


ミハイロ・ペトロビッチ監督の歴史

1957年10月18日生まれ、旧ユーゴスラビア(現セルビア)ロズ二ツァ出身。国籍・オーストリア。

選手歴
FKラド・ベオグラード−レッドスター−ローター・シュテム−オリンピア・ライバッハ−ディナモ・サグレブ(いずれもユーゴスラビア)−SKシュトルム・グラーツ(オーストリア)

指導歴
1993年−94年SVペラウ(オーストリア)
  94年−98年シュトルム・グラーツ(アマチュア=同)
  98年−99年NKプリモアージェ(スロベニア)
  99年−2000年NKドモザーレ(同)
  00年−01年NKプリモアージェ(同)
  01年−02年オリンピア・ライバッハ(同)
  02年−03年NKムラ(同)
  03年9月−06年5月シュトルム・グラーツ(オーストリア)
日本のサンフレッチェ広島は06年6月−11年1月。11年−17年7月までは浦和レッズ。

―師匠イビチャ・オシム氏のこと―
 76歳だからまだ若い。サラエボに帰りグラーツで治療に専念している。悩みの種は、日本でも采配を揮った息子がサラエボで代表監督を狙っている。うれしい悲鳴であるが、親なりの葛藤もあるらしい。ミシャとの出会いは、1994年、シュトルム・グラーツの監督に就任したころ。そこでミシャがアマチュアチームのコーチをしていた。「考えて、走るサッカー」は、そのころのオシムの口癖。ミシャは『体だけでなく、頭を使って走れ』。

私見 ミシャ考 「みんなを喜ばせる男」
 12日の記者会見。質問に答えてハッスル、身振り手振りでにこやかにしゃべる「練習は非公開にしないよ」。選手からの質問にも「君がそう思えば、そうやればいい」。君たちの舞台だよ。でも時には「3枚代えも」。選手がどう対応するか「君がどうするか知りたかった」決して水の入ったボトルは蹴ってはいけない。監督の交代の指令は握手して出る。決して振り払ってはダメ。サポーター向けにもピッチでのジェスチャーが大きい。特に審判には「公平」を求める。足は大丈夫かな。あの国から来た人。離れ離れな生活を強いられた「戦い」。「妻と二人の子供が一番喜んでくれたサッポロ」。これは、私たちが知らない国情を知っている、ミシャにしか判らない。 

池田淳 写真は石井一弘撮影