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第99回高校選手権 山梨学院高が2度目の優勝

21・01・13
 山梨学院が2度目のタイトル

  青森山田破り3962校の頂点

 2009年第88回大会の再来の対戦になった山梨学院と青森山田の決戦! 第99回全国高等学校サッカー選手権大会の決勝は1月11日午後2時から、高校サッカーのメッカになった埼玉スタジアム2002で行われた。新型コロナウイルスの「規制」で無観客のスタンド。ライブビューイング(地元での応援風景)と、テレビ観戦を余儀なくされた「親類縁者・ファン・ジャーナリストら」の見守る中、スタメンが電光掲示板に映し出された。

 テレビ中継局は盛んに「全国3千9百62校の頂点」と言う。北海道は、と高体連の書物を見ると1千6百60余校。決して少なく無かった。

 この日の埼玉スタジアムは曇り、気温5.5度、湿度35パーセント、風速は1.5メートルだった。中村太主審(42=埼玉県出身)のホイッスルで始まったが、立ち上がりから青森山田の猛攻が続いた。

 2020年第99回決勝は45分ハーフの90分。2−2から延長10分ハーフは0−0。20分でも決着が付かずペナルティーキック戦。4−2で山梨学院が11年ぶり2度目の優勝ということになった。

 結果は、翌日の道新、日刊スポーツなどで詳しく報道された。「まさかの青森山田の敗戦だった」(私事=理解に苦しんだ)。

 【最後まで信じられなかったので、以下の事を考えてみた】

 山梨学院は準決勝で帝京長岡と対戦PK戦を経験しての勝ち上がり。さらに青森山田の黒田剛監督(50)は「我々はサッカーのスキルにおいては上回っていたが、それぞれが役割を果たせなかった差がすべてだった」と語った。

 一方、山梨学院の長谷川大監督(47)は「まだ実感は湧いてない。選手たちには自信とチャレンジすることをどうやって植え付けるかを大切にやってきた」という。しかし、山梨学院では2年目の監督。母校・秋田商の監督、さらに神奈川大の指導者も経験し「この試合は相手のDFが起点になる。FWをマンマークに付けたのが当たった」と述べた(その通りかもしれない)。

 日本サッカーの世界では天皇杯が第100回で現在のJFAが司る大会では一番古い。今季はJ1の川崎フロンターレが初優勝した。高校大会を振り返ると、日本最大の大会に1つだけ開催が少ないだけ。大正時代から繰り広げられた「大会名」やサッカー地図を振り返って、今大会の意義は「雨にも負けず」でなくて「新型コロナウイルスにも負けず」を顧みたみたいだ。


 高校大会の得点王に「宏太」

 第1回大会は1917年『日本フートボール優勝大会』。御影師範(兵庫)1位。2位明星商(大阪)3位神戸一中、姫路師範。第8回大会(1924年)御影師範、神戸一中、京都師範などが上位に名を連ねた。

 大会名が変わり『全国中等学校蹴球選手権大会』となったのが第9回の1925年で、1926年は「大正天皇崩御のため中止」とある。その後、第23回(1941年)、第24回(1942年)は「太平洋戦争のため中止」。第25回(1946年)は開催され、第26回(1947年)まで、神戸一中、広島一中、埼玉師範、札幌師範も第21回(1939年)にベスト3に顔を出した。

 第26回(1947年)から教育課程が6・3・3制に代わり翌年から『全国高等学校蹴球選手権大会』が大会名称に。まだ蹴球の時代で、関西で大会が開かれ「西宮球場」が中心で「大阪毎日新聞社」が主導権を握っていた。

 現在の『全国高等学校サッカー選手権大会』を名乗ったのは1966年、第45回から。会場も関東地方(首都圏)で開催され、1976年第55回大会から「得点王」の争いも加味されてきた。1995年(第74回大会)の得点王は7得点の吉原宏太(初芝橋本高)が得点王だった。これまでの個人通算在学中最高得点数は平山相太(国見高)の17得点。個人1大会最高得点は2008年の大迫勇也(鹿児島城西)で10得点。1チーム1大会記録は2008年の鹿児島城西で29得点だった。


 札幌大谷は初戦で敗退

 2020年大会の北海道代表は5年ぶり3度目の札幌大谷高で2020年12月31日、東京都の味の素フィールド西が丘で、香川県の大手前高松高と対戦、0−1で惜敗した。札幌の失点は前半24分、相手CKのこぼれ球をファーサイドのMF平田に決められた。札幌は攻撃態勢が遅れ気味で、シュートの段階には入れなかった。大会のスコアラーのデータによると札幌のシュートは4本、高松は7本だった。

 さらに、今大会を通じていえることは「ロングスローイング」。ほとんどのチームがスローインの「名手」を用意、ゴールを狙う構えを見せていた。加えて、40分ハーフは「もう古い」と言いたい。選手の健康を加味した高体連独特の方式だが、女子の天皇杯、高校女子の決勝など「90分時代」の訪れを感じた。さらに「飲水タイム」の設定なども、うまく生かす工夫が必要だ。

 田部学監督は「前回は1勝できたが、今回は、前半は遅れを取った。後半はよくやったが、チームとしてしたたかさを積み上げないとだめだと感じた」と語り、敗戦の苦さを糧にしたいと反省しきりだった。「今大会は2週間も早く現地(関東)で合宿したのに・・・」は、さらに私を寂しくさせた。
池田 淳