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ヨーロッパフットボール回廊『ジャイアント・キラー』

25・01・17
 新年明けましておめでとうございます。
本年も皆様にとってより良き巳年でありますように。

 正月早々イングランドのフットボールは伝統のThe FA Cup3回戦が行われた。毎年のことながらプロ、アマを問わない勝ち抜き戦となる、1871年以来の伝統のあるカップ戦である。

 この3回戦には1,2回戦を勝ち上がったアマチュア、セミプロクラブが頂点のプレミアクラブと対戦できる唯一の機会である。過去100年以上アマチュア、セミプロクラブがトッププロクラブに勝った例はジャイアント・キラーとして語り継がれている。

 1972年のFA Cup3回戦、Southern League(セミプロ・リーグ)のHereford Unitedがトップリーグのニューキャッスルとホームで対戦。中盤のRonnie Radford選手が85分に30mの強烈なロングシュートを決め同点とし、さらにアディショナルタイムに1点を追加し勝利した。5部のチームがトップのチームに勝った快挙であった。

 The FAはこのエピソードを踏まえ、2011年よりThe FA Cupでトッププロクラブに勝利したアマ・セミプロクラブにRonnie Radford選手にちなんだ『Ronnie Radford Giant−Killer Award(ロニー・ラッドフォード・ジャイアントキラー賞)』を授与することを決めた。この賞はその後2018年/19年のシーズンまでジャイアントキラーチームへ授与されたが、その後残念ながら廃止された。

 そして本年1月12日、The FA Cup3回戦、プレミアの雄トッテナム・ホットスパーズ対Tamworth FC(タムワース)との試合が行われた。昨今はプレミアリーグに世界中のトップ選手が集まり、ジャイアント・キラーの出現の確率は低い。それでも下位のリーグのアマ、セミプロチームにとっては願ってもないチャンスであり、ホームで試合が出来れば立ち見がまだある地元のスタジアム(といっても収容人数は数千人規模であり、更衣室も整備されていない)で行われる。ピッチも双方のゴールの傾斜が均一ではなく両ゴールポストの段差が1mもあるスタジアムもあり、これもホームアドバンテージの一例である。

 この試合のスタジアム「ラム・グラウンド」の場所はウエールズに近いイングランドの街。監督はこのスパーズとの試合が決定したことで、試合3日前に今までパートタイマーのセミプロ契約であったのをクラブ会長の配慮で「The FA Cup敗退までのプロ契約」を結んだ。本職はコレッジ(日本の高校)勤務の事務員であったがイングランドフットボールクラブの監督に専念した事を証明したいという措置であった。

 選手はと言うと多くはプロ契約をクラブと取りかわしているが、他に職業を持っているパートタイマーも多く、年間選手の平均報酬は1,000ポンド/週から1,500ポンド/週(約18万円から28万円)程度であり、スパーズの選手年間報酬平均1人当たり2百万ポンド(3.8億円)とは20倍以上の大きな隔たりがある。

 試合は満員3,700人の観客の中キックオフ。タムワースは大健闘し0−0で90分を終了。例年のThe FA Cupであれば、この90分での0−0の引き分けは日を改めてスパーズのホームスタジアム(ロンドン・トッテナム)で行われるのが恒例であった。しかし今年から、全てのThe FA Cupの試合は、1日で勝負をつけることに変更されており、結局スパーズが延長30分で3点を挙げ、期待したタムワースFCのジャイアント・キラーの夢はついえた。翌日、出場したタムワースの選手はそれぞれ仕事へ向かった。「11 Part time club 対11 International(11人のパート選手対11人の国代表選手)」の戦いは終わった。

 もし昨シーズンまでの方式でスパーズのホームでの再試合を行っていれば、タムワースは収容人員6万人のスタジアムの半分の収入が補償されていたことになる。5部の弱小クラブにとっては大きな収入であり、あわせてTV放映権料も折半となりスタジアム改修、来年度の補強等クラブが潤ったはずとThe FAの今年の措置を非難する声も出てきている。

 その他、リーグ12位のマンチェスターユナイテッド(MU)のFA Cup3回戦では、アーセナルとアウエーのロンドンで戦い1−1の引き分けの後PK戦5−3で勝利し4回戦へ進んだ。MUは4回戦レスターと当たる。スパーズはアストンビラと当たることとなった。

 日本でも地域リーグや学生チームがJ1と戦いジャイアント・キラーとなるチームが出ると盛り上がりますね。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−94:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)

伊藤 庸夫