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ヨーロッパフットボール回廊『なじみなき監督、来季のチャンピオンズリーグへ挑戦』

22・05・15
 
 ヨーロッパのフットボールも早5月となり、コロナを乗り越え、ウクライナ危機にも関わらず粛々と終盤に向かっている。そのウクライナも今年のFIFAワールドカップ出場への挑戦を賭け、6月のプレーオフに向けて準備を始めている。多くの代表選手がヨーロッパ各国リーグでプレーをしており全くプレーをしていないわけではない。

 ウクライナ代表は、紛争以来、戦時下の中初めての練習試合を行った。相手はドイツのボルシアメンヘングランドバッハと練習試合を行い2−1と勝利したのだ。チャリテイ試合として2万人の観衆が詰めかけ、6月1日に予定されている対スコットランド戦に備えた一戦であった。

 一方の戦時国ロシアは、FIFAから出場停止処分を受けカタールW杯へは参加できないことになっている。「けんか両成敗なのでは―」という声もあるが、スポーツが政治に巻き込まれることになったことは否めない。

 プレーオフのパスA準決勝のウクライナと戦うのはスコットランド代表である。ウクライナが勝てば更に6月5日のプレーオフのパスA決勝が待っている。ウエールズとW杯出場を賭けて戦うことになるのだ。スコットランドは1998年フランス大会以来のW杯を賭けており、ウエールズも1958年スエーデンでの大会以来の出場を賭けた試合となる。どちらも例えウクライナであったとしても負けられない試合となることは必須である。ベニュー(開催地)がドーハで集中開催として行われることで、紛争地帯と違う第三国での決定戦であり、多くのサポーターが押しかけることもないであろうから平穏に行われることであろう。

 さてW杯出場の一角を狙うスコットランド・フットボールの歴史はイングランドの1888年に次いで古く、1890年リーグ創立。以来グラスゴーの2強がスコットランド・フットボールを制している。

 優勝回数はグラスゴー・レンジャーズが55回リーグ優勝、セルチックが52回であり、それ以外のクラブはほとんどが4、5回しか優勝できていない。

 この2強はそれぞれのコアのサポーターを有し、文化的にも、地域的にも、そして民族的にも、宗教的にも工業都市、産業都市としてのグラスゴーを二分している。レンジャーズのカラーは濃紺、それに対してセルチックは緑。グラスゴーがスコットランドの首都では? と思う人がいればそれは違う。首都はエディンバラである。エディンバラにもハーツ(ハート・オブ・ミドロシアンFC)及びヒベリアンFCの2クラブがあるが、優勝回数はそれぞれわずか4回に過ぎない。フットボールは圧倒的にグラスゴーである。ちなみにラグビーではエディンバラにナショナルスタジアムがある。

 レンジャーズのサポーターは工業都市グラスゴーを担う労働者であり、宗教的にはプロテスタントである。一方セルチックはアイリッシュ系及びカソリック系のサポートを受けている。セルチックの語源は『ケルトに属する』という意味合いであり、現在のアイルランドからの移住者も多い為、セルチックの試合には多くのアイリッシュが海を渡って応援に来る。セルチックのエンブレムは四つ葉のクローバーであり、緑色は祖国アイルランドを意味している。そこには過去現在、闘争が絶えないスコットランドとアイルランドの歴史を象徴しているのだ。

 またスタジアムもそれぞれが保有し、レンジャーズはアイボロックススタジアム(50,987人収容)であり、一方セルチックはパークヘッドスタジアム(60,832人収容)で、収容人数はイングランドのオールドトラフォード(76、212人収容)に次いでいる。

 そのセルチックは、5月11日ダンディ・ユナイテッド戦1−1の引き分けで終わり、あと1試合を残し勝ち点82とし、2位レンジャーズの76点を上回り今シーズンのリーグ優勝を決めた。セルチックは現在のScottish Premiership(スコットランド・プレミアシップ)に2013年改名して以来、2021年度レンジャーズに名を成さしめた以外はリーグ優勝を続けており、レンジャーズとはクラブ同士の闘いだけでなく、民族、宗教、文化を賭けた闘いなのだ。

 このセルチックの優勝の立役者は何といっても監督のAngelos Postecoglou(アンジェロス・ポステコグルー)であろう。日本のフットボールファンなら知っているかと思うが、彼は、2018年から21年途中まで横浜F・マリノスの監督であり、2019年マリノスを優勝させたギリシャ系オーストラリア人なのだ。

 マリノスの前はオーストラリア代表監督でもあった。その彼がセルチックの監督に就任し、リーグ優勝、来年度のユーロ・チャンピオンズリーグの出場権を得たのである。

 しかし就任当時は、多くのトップ選手が移籍しわずか14名しか在籍していなかった。その為彼は、自身のチャネルを利用し、若手、そして外国の名前の知られていない選手をローン(期限付き移籍)で18人も移籍させ陣容を立て直し、リーグに臨んだのだ。

 日本選手を4人も採用し、日本選手を中村俊輔以外知らないセルチックファンにとっては当初はなぜ? といぶかっていたが、彼らの思いもかけない活躍で改めて、選手の資質を見抜く選手眼を持つ監督だと認められている。

 ストライカー古橋(神戸)、前田(マリノス)、そして旗手(川崎)、井出口(ガンバ)の4人も採用しジャパニーズカルテットとして、今までにない得点能力とチームプレーに徹する姿でファンを魅了してきた。監督の意図をよく組み入れたキャプテン、マクレガーのリーダーシップを見込んでの『No.8的プレーヤー』から『No.6的プレーヤー』にポジションを変えたことでのチームとしての安定感を増したことも優勝出来た要因の一つであろう。

 監督のモットーとして『ボールスピードこそ命』というテーマの下、『Attack! Attack! Attack!』のフットボールを展開。今シーズンヨーロッパクラブの中でボールキープ率はマンチェスターシティ、パリPSG、バイエルン・ミュンヘンに次ぐ4番目の魅力あるチームに仕上げての優勝であった。

 来季のチャンピオンズリーグでの活躍が期待される一方、日本人選手も束になれば強い、機能するということも証明されたのだ。

 スコットランドでも、ましてや英国でも「ポステコグルーとは誰?」という程なじみのなかった、そして名前が知られていなかった監督が成果を挙げたのである。フットボールでは小国のスコットランド、今年はこれから注目である。

 追記:筆者はサンフレッチェ広島時代、グラスゴー・レンジャーズからオランダ代表選手であったピーター・ファウストラを獲得したことがあり、よくスコットランドへはスカウティングで行っていた。またオーストラリア代表監督であったエディ・トムソンを監督として招聘したこともあり、久しぶりに、『スコットランド+オーストラリア』のフットボールを思い返している。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫