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ヨーロッパフットボール回廊『ウインターブレイク明け』

22・02・15
 イングランドプレミアリーグも2週間のウインターブレイクを経て2月8日再開した。

 過去、伝統的に英国ではウインターブレイクをとらず、逆に年末から新年にかけてそのシーズンの去就をかけた試合が続いていた。

 クリスマスデー(12月25日)、ニューイヤーデー(1月元日)は国民の休日であり、ここぞとばかり観客がホームチームの応援に駆け付ける一大イベントであった。もともとフットボールは労働者の息抜きのスポーツとして地域に根差し発展してきた歴史がある。クリスマス、新年はフットボールを楽しむのが英国人の暦となっていたのだ。

 ただ1990年以降、多くのトップクラブがヨーロッパから監督を招聘し、併せて選手もヨーロッパだけではなく南米、そして勃興してきたアフリカからトップ選手を移籍させており、伝統のクリスマス、新年の過密な日程を非難。ドイツ、フランス、イタリアなどの選手・監督からもヨーロッパと同じくウインターブレイクを採用すべきと声が上がり、当時アーセナルの監督であったフランス人ベンゲルはその主導者でもあった。

 現在ではプレミアリーグトップ6の監督がスペイン人(グアルデイオラ:MC、アルテタ:アーセナル)、イタリア人(コンテ:スパーズ)、ドイツ人(クロップ:リバプール、ツチェル:チェルシー、ラングニック:MU)となり、英国人は現在4位のウエストハムのモイエス(スコットランド人)ぐらいである。特にMCのグアルデイオラはこのウインターブレイクの導入に積極的な監督であり、事あるごとにウインターブレイクの導入を提唱していた。

 選手も現在登録25人のうち英国人の比率はトップチームになればなるほど少なくなり30%に減少、制度的にも8人以上は英国人であることと規定されるほどに低下しているのが現実である。それだけにこのウインターブレイクは英国人になじまない制度であった。

 しかし結局プレミアリーグは2020年からウインターブレイク制度導入を決定したのである。但しウインターブレイクとは言わず『Mid−season players break(シーズン途中の選手休み)』としたのである。英国人のための英国人によるフットボールからヨーロッパスタイルのプレミアリーグへ変革を余儀なくされた制度変更ともいえよう。

 そしてこの『Mid−season players break』は1月23日から2月7日までとしたのである。アフリカ選手権(AFCON)の開催時期と呼応して行われ、多くのプレミアリーグ所属の選手がカメルーンでの大会に出場していた。また、この時期は冬季移籍ウインドーが開き、多くのクラブが選手補強が出来る時期でもあり、移籍候補選手にとっても都合の良い時期でもあった。

 ただ英国でのブレイクはプレミアリーグに限られており、PFL(プロリーグ2・3・4部)及びThe FAカップ戦は対象とはならず、ブレイクはない。旧来のノンストップリーグが凍てつく条件で戦われているのである。

 さてこのブレイクの間、プレミアリーグトップクラブはどうなっていたか。まず注目のMUはどうなったか。

 まずラングニック監督はこのブレイクでの補強は出来なかった。一方、放出は出場機会が少なくなったフランス代表マーシャルがスペインセビイルへ、オランダ代表ファン・デ・ビークがエバートンへローン移籍を果たした。今年契約の切れるフランス代表ポグバとイングランド代表リンガードは移籍を希望しているがクラブが出さず、次の8月の移籍ウインドー期間に自由契約となる。そして37歳になったロナウドは今年に入ってから無得点と低迷し、MUを離脱する可能性を示唆している。更に20歳で将来のトップストライカーと期待されているグリーンウッドが強姦罪で訴えられ、現在拘留後の裁判待ちの状態でクラブより無期限練習停止の処分がなされている。

 そしてThe FAカップ4回戦で2部のミドルスボロにPK戦で敗退、プレミアリーグブレイク後のバーンレイ戦1−1の引き分け、サウサンプトン戦も1−1の引き分けと精彩なく、トップ4から落ち現在5位、来年のチャンピオンズリーグ出場もおぼつかない状態に陥っている。

 ラングニック監督が引き連れてきたコーチ陣が世界トップのプレミアリーグ経験が無く、そのチーフであるクリス・アーマスコーチ(アメリカ)のトレーニングが時代遅れと選手から不満が出ており、ラングニック監督とそのコーチ陣は、今シーズンで終わる可能性が高くなってきた。

 システムも画期的と言われる4−2−2−2システムも機能せず、元の4−3−2−1に戻しており、ロナウドの得点枯渇と相まってクラブに暗雲が漂っている。次の監督は誰か、パリサンジェルマンの元スパーズ監督ポチェテイーノが有力との雑音も出てきた。

 最近のトップチームの監督コーチの関係は、まず監督が任命され、その監督が自分の部下としてのコーチを呼び任命する傾向が強い。その時点でクラブの元コーチなどは歴史の陰に消えてしまい、選手は新しい監督、そして彼が引き連れてきたコーチの下でプレーしなければならなくなる。選手はプロとはいえ人間であり、合ったコーチ、合わないコーチもいることであろう。特に外国人監督コーチの場合、言葉も違い思考方向も違うこともあり、その意味では監督コーチの任命者たるクラブオーナー、ジェネラルマネジャーの責任は重い。

 今後MUがどちらに向かうのか、元々家族的なMUであったのがアメリカ人オーナーの下、クラブの歴史、スタイル、サポーターの心情を知らず、場違いな人選をするとクラブの低迷化を促すことになるのではないだろうか。

 一方、現在3位チェルシーはUAEで行われたFIFAクラブワールドカップでブラジルのパルメイラスと対戦し、延長2−1とし優勝カップを獲得。プレミア後半戦に備えていたが、トップのMCとは16ポイント差でありプレミア優勝の可能性は低い。

 AFCONの決勝で戦ったセネガル対エジプト戦は、リバプールの同僚対決となった。勝ったのはセネガル。ストライカー・マネがエジプトのストライカー・サラ(共にリバプール)に勝ったのだ。帰英後、レスターに2−0で勝利、トップのMCとの差は1試合少なく9ポイント差、これからの優勝を賭けた闘いはMCが有利ながら予断を許さない状況である。

 オミクロンの感染者数は日本のそれを下回り、第3回目のブースター接種数も65%を超え、すべてのコロナ規制を解除した英国、これからのフットボールはますます熱狂を呼ぶ試合が続く事であろう。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫