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ヨーロッパフットボール回廊『Captaincyとは?』

23・03・16
 2023年のシーズンほぼ3分の2を経過し、英国プレミアリーグのトップを走っているのはアーセナル、次いでマンチェスターシティ(MC)が追っている。その差は3月12日現在、勝ち点で5ポイント差。それを追うのは2013年以来のリーグ優勝を狙う復活マンチェスター・ユナイテッド(MU)が3位、久しぶりのリーグ優勝の目があるのか注目されている。

 そのMUはテン・ハグ監督就任後、オランダ人特有の頑固ともいうべきデシプリンを重んじたノン・ナンセンスの指導の下、2月27日の『English Football League Cup(カラバオ・リーグカップ)』の決勝戦、対ニューキャッスルと対戦し、2−0で勝利、6年振りに優勝を勝ち取った。

 優勝杯をウエンブレースタジアムの正面貴賓席で高々と上げたのは、臨時チームキャプテンのブルーノ・フェルナンデスと途中交代で出場した本来のチームキャプテン、マグワイアーの両者が共にカップを掲げサポーターに栄誉を示したのである。

 さてMUの今シーズンのキャプテンは誰なのか?

 昨シーズンまでは、ほぼ毎試合出場していたイングランド代表センターバックのマグワイアーがチームキャプテンとしてアームバンドを巻いて出場していた。しかし今シーズンは、テン・ハグ監督がオランダのアヤックスから就任、チーム編成を見直し、センターバックス(CB)にフランス代表バランとアルゼンチン代表マルチネスのコンビを第一CBとして採用している。マグワイアーはテン・ハグ監督から構想外とみなされてしまったのか?

 そのマグワイアーは、イングランド代表として2022カタールW杯では、MCのCBストーンズとのコンビでフル出場して活躍した。イングランド代表監督のサウスゲートは、マグワイアーをチームのリーダーとして認め、ピッチ上でもオフピッチでもマグワイアーにチーム統括の権限を与えキャプテンとして闘ったのである。

 しかるにテン・ハグMU監督は、マグワイアーをCBとして使わず、サブに落とした為、チームキャプテンは誰なのか不明確なままシーズンに入り混乱している。プレー上の立場からは、当初クリスチャン・ロナウドが出場する時はロナウドにアームバンドを付けさせていた。しかしロナウドがテン・ハグ監督と確執があり、チームを去った為、新チームキャプテン(試合出場時の)は、マグワイアーではなくフェルナンデスが任命された。MUに2人のキャプテンがいることになってしまったのである。

 そして3月4日のリバプールホームでの試合、MUは今季不調のリバプールに屈辱的な7点を取られ惨敗を喫してしまった。この試合、結果も最悪であったが、キャプテンのフェルナンデスは味方の選手をサポートすることなく、プレーする上でも止まってしまったり、味方の選手を鼓舞することなくののしったり、サポーターだけでなく選手からもブーイングされる羽目となった。特にテレビ解説を担っていた元MUのキャプテン、ロイ・キーン及びガリー・ネビルからも「キャプテンの器ではない」と刻印を押されてしまったのだ。

 しかし監督テン・ハグは「フェルナンデスはチームの要である」とし、彼からキャプテンシーを剥奪することは現在の所していない。

 このキャプテンシー(主将たるものの資質)はどこから来たのであろうか。まだ英国にプロリーグ(1888年創立)が成立する以前のフットボールはパブリックスクール(全寮制私立学校=8歳から18歳まで)で主として行われていた。そしてそれぞれのスクール独自のルールがあった。

 例えばEaton Schoolには『Wall Ball 』という、スクラムを組みながら学校の塀の真ん中から端まで「押し競饅頭」のように押し合い、得点を挙げるゲームが行われたり、Rugby Schoolではボールを蹴るのではなく、持ってゴールまで走る、現在のラグビーフットボールの起源としてのゲームが行われていた。千差万別なボールゲームであった。

 そしてルールもそれぞれの学校で違っていた。統一されたルールが出来たのはケンブリッジ大学のルールを基にした、The FA(Football Association)が設立された1863年のことである。

 当時はルールの判定を誰がやっていたのか? その答えは両軍のキャプテン同士が紳士的に合意し試合を続行していたのである。審判が設定されたのはその後のことで、両キャプテンが合意できない場合のみ判定を下したのである。一旦判定が下されれば、一切抗議等は出来ず、選手は従う義務があった。紳士のスポーツと言われるゆえんである。ちなみに審判はセンターサークルに立っており、鳥打帽そしてジャケットを着て判定を下していたのである。

 従いキャプテンの権限はそのチーム(クラブ)を代表するものであり、見識豊かな高邁な人物がなることに決まっていた。このキャプテンという言葉は航海の船の船長から由来とされている。

 船の船長(キャプテン)は法律上の権限が付与されており、刑罰を違反者に課すことができる権限を持っている。1〜2か月もの長い航海の中で争いは不可避の事であり、その時の是非の判定をすることができる人格、常識、法令順守の出来る者がキャプテンなのだ。従い、キャプテンという立場は重い立場である(その意味でいうと航空機の機長は法的権限を保有できないキャプテンである)。

 翻ってMUのフェルナンデスがキャプテンにふさわしいのか吟味する必要があろう。マグワイアーがキャプテンに任命されたのは単なるプレー上の巧拙ではなく、チーム全体の取りまとめ役であったはず。そして人格的にも秀でていたのであろう。しかし試合に出られない。キャプテンが試合に出られなくなった場合は誰が代行するのか? その試合だけの臨時キャプテンにCaptaincyがあるのか、任命の際には吟味する必要があろう。

 得てして、外国人が監督(Manager)の場合はこのキャプテンシーについて深く考慮していない場合もある。言葉と文化の違いからManagerがチームの権限を持つことになると、選手の中で一番うまい選手を任命することが多いがCaptaincyとの食い違いが起こる事はままある。

 今後、MUが優勝戦線においてどこまで行けるのか、内部分裂してしまうのか、見守る必要があろう。

 過去『キャプテン・マーブル』と言われた選手は1966年ワールドカップカップ優勝の立役者ボビー・ムーアであろう。MUではミュンヘン飛行機事故の生き残りのビル・フォークス、最近ではアーセナルのトニー・アダムス、そしてMUのユース時代からキャプテンと言われたガリー・ネビルであろうか。

 さてここまで記述していたら、次なるCaptaincyの問題が起こった。

 かの有名な元イングランド代表キャプテン、ガリー・リネカーがBBCの『マッチ・オブ・ザ・デイ(その週のプレミアリーグのハイライト番組)』のコメンテーター(司会者)をBBCにより一時停止されたのである。彼が自身のツイッターに「英国政府の難民取り扱い法令が議会で可決されたが、これはナチの再来だ」とコメントしたことに発している。
 
 英国政府は過去数年、『難民天国』の異名をもらうほど多くの難民がフランス経由で英国にボートで違法入国している。その数は、昨年来4万5千人を超えており、経由出発国のフランスとの交渉を進めていた。

 最近の難民の多くはシリア、アルバニア、アフリカ諸国からの難民であり、フランス側に渡航を闇で取引するギャング、ブローカーが存在し英国行きを強行している。その為、英国政府はフランスに対策費として500万ポンドをフランスへ供与すると取り決め、英国にボートで不法入国した難民は送り返すか、提携国のルワンダへ強行移送する事としている。

 この行為について英国民の多数は賛成しているが、人権主義者、難民救済機関は国連の難民法に触れると論議は半々となっており政治問題化している。

 リネカーは、強制送還たる行為は許されないとし、政府の決定を非難し、ナチの事に例えたツイッターを発信したもの。一方BBCは「公共放送機関としてこのような政治的な側面を全面的に押し出しナチに例えるコメントは認められない」として『Match of the Day(MOD)』の主宰をとがめ、処分を検討するとしたことのである。

 従い3月11日(土)・12日(土)のプレミアリーグの番組はリネカーなしのわずか20分で結果のみ放映して終わった。他に解説者として起用されている元イングランド代表アラン・シーラーとかイアン・ライトもリネカーに追随し、番組をボイコットした。今後どうなるのか、新たに司会者を任命するのかリネカーが謝罪しMODの司会者を継続するのか、注目の事件となった。

 スポーツ番組での政治的発言は特にBBCという国営公共放送機関としては避けるべき問題であり、一方ではリネカーの契約がBBC職員との雇用契約なのかフリーランサーでの契約なのかも話題となっている。

 例えフリーランサーであれ国民的な番組の主宰司会者での政治的発言は慎むべきというのが英国のコモンセンスであろう。ちなみにリネカーのMODの報酬は1.35百万ポンド=2.1億円/年でありBBCでの最高額の報酬を得ている。

 時として政治に発言することがあったリネカーだが、今回はレッドレーンを超えた発言であり、去就が取り沙汰されている。ちなみにプロフットボーラーは自チームのアカデミー出身者が多く、大学卒のインテリはほとんどいない(英国人選手はほぼ皆無、日本人選手の三苫ぐらいか)。

 ラグビー選手に大学出が多いのとは対比されている。スポーツと政治に絡んだ問題が昨今至る所で勃発しており、その都度論議を呼んでいる。迷惑をこうむっているのはMODを楽しみにしている一般大衆であり早期の妥協解決が望まれる。

 ◇筆者はリネカーとは1992年のキリンカップでスパーズ招聘の際、一緒に彼の遠征先ニュージーランドから東京まで一緒したが、道中分厚い本を読んでおり、若いころから「本を読め」と教育されたと述懐していた。その後グランパスへ移籍時、フランスワールドカップ時にもインタビューしたことが思い出される。非常にインテリジェンスあるフットボールプレイヤーであり好青年であった。

 ◇追記:リネカーのMOD司会については、3月14日にBBCからリネカーに謝罪があり、今週3月18日より再開することが決定された。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫