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ヨーロッパフットボール回廊『不測の事態発生、その対処にフットボール界が揺れている』

22・09・15
 
 毎年のことながらこの9月の記事はヨーロッパシーズン開始に関わる移籍情勢、新チームの体制を占い、今後の推移を予測するコラムであったが、今年は全く予期せぬことが起こりフットボール界は揺れている。

◆9月5日(月):カリスマ首相として英国の『Brexit(欧州連合EUからの離脱)』を促進したボリス・ジョンソン首相が、コロナ禍の規制時期最中にパーティーを首相官邸内でひんぱんに行なっていたことが判明、罰金刑を科せられ、それが要因で辞任を余儀なくされた。その後任の首相選挙が第1党の保守党トーリー党内でこの日最終投票が行われ、党内57%の支持を受けた、Mrs Liz Truss(リズ・トラス)が英国の首相に選任された。歴史上3人目の女性首相である(サッチャー、メイに次ぐ)。

◆9月6日(火):英国首相の認証には女王の認証が必要であり、スコットランドの別邸で夏を過ごしていた女王をロンドンより訪ね認証を受けた(女王はまさしく凜としており逝去する気配は認められなかった)。

◆9月8日(木):一日おいた9月8日昼、当地のBBCは緊急放送で女王の体調悪化の放送があり、当日夕刻に逝去された。享年96歳。葬儀は9月19日ロンドンのウエストミンスター寺院で行われる。

 この女王の訃報を受けて英国内はすべてのイベント、行事が延期または中止されることになった。フットボールもこの例外ではなかった。

 The FAはDCMS(デジタル・文化・メディア・スポーツ省)からの指示で当面葬儀の準備等警備体制がスポーツまで及ばないとして、まずは9月10日(土)のすべてのフットボール試合(プレミアからアマ、ジュニアーまで)を延期または中止することとなった。ゴルフ、競馬、ラグビー、陸上も一部実施したが、フットボールは国民スポーツとして1会場4−7万人収容かつホームアンドアウエーのサポーター同士の衝突の可能性も無きにしもあらず、不測の事態を避けた措置となった。再開はまだ決まっていないが、女王の葬儀が9月19日のため9月17日、18日の試合も中止となる見込みである。

 ただ女王が逝去した当日、ウエストハムはヨーロッパカンファレンスリーグをホームのロンドンオリンピックスタジアムで実施すべく観客を入れており、主催がUEFAであったこともあり実施され、対戦相手のFCSB(ルーマニア)に3−1で勝利した。
 
 試合に先立つ国歌演奏では、英国史上70年振りに『Queen』ではなく、『God Save the King』の大合唱となった。ウエストハム出身の故モーアは1966年のロンドンW杯優勝のイングランドキャプテンとして、逝去した女王より優勝杯を受け取っていたこともあり、因縁のある試合となった。女王は大のスポーツ好きであり、80年までは必ずThe FAカップ決勝戦にはウエンブレースタジアムで勝利したチームキャプテンに優勝杯を手渡していた。次のキング、チャールズ3世がフットボールに関わることはないであろう。現在のThe FAのパトロンは、王位第一継承者のウイリアムであり彼の時代にはまた王位がFAカップを手渡すのであろうか。

 このような国のトップが逝去した時のスポーツのあり方は様々な対処を行っている。筆者もこの元首の逝去に関わった経験がある。

 それは1989年1月7日、日本の昭和天皇が崩御した。当時筆者は『第1回FIFA 5 a side Football (ファイブサイドフットボール)大会』の日本代表チームの責任者としてオランダ・ロッテルダムに滞在していた。当時日本では、やっとブラジルのフットサルが本格導入される直前であった。

 少し遡って1988年7月、筆者と当時のJFA故村田専務理事と共にチューリッヒのFIFAへ2002年W杯の開催地に名乗りを上げようとして訪問、当時のブラッターFIFA専務理事へその意図を伝えていた。

 その為か『第1回FIFA 5 a side Football大会』がオランダ・ロッテルダムで開かれる際、FIFAは日本をアジア代表として予選もなく招待してくれた。そして89年1月7日、昭和天皇が崩御した際、FIFAの役員が筆者の部屋に飛び込んできて「日本の昭和天皇が崩御した。試合を続けるか、辞退するか決めてほしい」と言ってきた。筆者は即東京へ電話し、どう対処すべきか指示を仰いだ。その結果は「国内の試合(高校選手権)は中止したが、国外での国際試合については引き続き続行するように」との指示を受け、FIFAにその旨伝えた。更にオランダ在日本大使館へもその旨伝えた。

 そして会場の日本国旗を半旗にしてもらった。その日の試合は対アルゼンチン戦。試合前の国旗掲揚では日本国歌『君が代』が2番まで演奏された。『君が代』が2番まであり、特別な機会には2番まで演奏すると言うことを始めて経験した。果たしてこれが正解な国歌なのかはいまだわからないが、荘重であった事を思い出される。この『第1回 FIFA 5 a side大会』参加が日本のフットボール界の進捗に大きな貢献をしたことは間違いないと思われる。監督は元メキシコオリンピック代表の故宮本正勝氏であった。

 この上記の女王崩御は別として、プレミアリーグは波乱のスタートを切った。そのトピックをピックアップしてみる。

1.前年度トップ6が苦戦している。優勝したマンチェスターシティは過去数年『NO.9』のセンターフォワードがいないシステムで優勝を遂げているが、今年はドイツ・ドルトムンドからアーリング・ハーランドを獲得、そのハーランドが開幕以来2試合でのハットトリックを含む6試合10得点を挙げ、プレミアに『No.9が復活した』と評されている。果たして今シーズン何点取るのか注目されている。まだ22才の逸材。

2.チェルシーは今シーズン255,3ビリオンポンド=410億円を投じ補強を図ったが、現在6位に甘んじており、オーナーはチャンピオンズリーグのアウエー戦対デイナモ・ザグレブで0−1と破れた事を重く見て、即監督チュシェルを解雇した。その後任に今シーズン大活躍のブライトンの監督ポッターを指名、20百万ポンドの違約金を支払い獲得した。9月7日のことであったが、女王逝去のため試合が延期となっており、就任以来1日だけ選手と練習をしての試合は避けられた。

 ポッターは将来のイングランド代表監督と嘱望されており、期待は高いが、どうエゴの強い選手をマネージできるかが課題であろう。また、ポッターは大学の修士課程を修了しており、元アーセナルの監督ベンゲル同様大卒インテリ監督としても注目されている。

3.期待を持って迎えられたMUの監督デン・ハーフは最初の2試合ブレントフォードとブライトンに敗戦を喫したが、その後は4連勝でアーセナルにも勝ち、息を吹き返した。しかしヨーロッパリーグ初戦対ソシエダ戦は敗戦。MU病とも言うべき走れなくなったロナウドを象徴する試合展開の結果、敗北。今後どう改善できるか課題が多い。キャプテンのイングランド代表CBのマグレアーがレギュラー落ちとなり今後のデフェンス再編成は必至。

4.あまりに多いVARシステムの誤審問題が大きくなっている。VARシステムを遂行しているのはスタジアムではなくロンドン西部のオフィスであり、画面操作等のオペレーターが必ずしもトップ審判ではなく、オペレーターは「元A級審判とせよ」との声高まっている。

5.余談だがプレミアで一番の高給取り監督は誰か?
MCの監督グアルディオラーは19百万ポンド/年=30.4億円。新任のチェルシー監督ポッターは10百万ポンド/年=16億円なり。

 上写真(伊藤庸夫氏提供)/ロンドンのホランドパーク(一般の公園)。このピッチではいつでもサッカー、クリケットが出来ます。偶々少年たちが大人の指導で試合をしていました。

 この緑の(実はでこぼこです)芝でプレーするのがアマチュア、近所の少年の休日の過ごし方です。草サッカー(Grass Root Football)といいます。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫