北海道コンサドーレ札幌の王道と遍歴2019年12月号

監督列伝
「かんとくれつでん」日本での監督
実は北海道コンサドーレ札幌の列伝
これまで15人の監督が挑んできた
ペトロヴィッチ監督のJ1残留も初
さらにルヴァンカップ準優勝の功績
令和のコラムと王道の括りにしたい

1996年開祖に高橋武夫監督の名
東芝堀川町サッカー部を率いて来道
札幌に本拠を構えJFLに加盟した
Jリーグには98年参戦外国人監督
ウーゴ・フェルナンデス監督が就任
途中から石井肇監督に交代J2参入

99年岡田武史監督が就任札幌に光
2年目J2優勝J1へ11位で卒業
02年のJ1は散々で4氏+1再任
柱谷哲二氏からイバンチェビッチ氏
張外龍氏ジョアンカルロス氏に張氏
2004年に柳下正明監督就任3季

07年三浦俊也氏がJ2優勝しJ1
08年は4勝6分け24敗で18位
09年石崎信弘監督が4年間背負い
この後財前恵一氏とバルバリッチ氏
次に四方田修平監督が登場J2優勝
18年ミシャ監督就任J1残留達成
コンサドーレ札幌の王道と遍歴
上段左写真/岡田武史氏、上段右写真/四方田修平現ヘッドコーチ、共に2016年9月28日、札幌ドーム。中段左写真/札幌のペトロビッチ監督、2019年12月7日、札幌ドーム。中段右写真/神戸のネルシーニョ監督(当時)、2017年6月4日、札幌ドーム。下段写真/浦和のオリヴェイラ監督(当時)、2018年11月10日、札幌厚別公園競技場。写真はいずれも撮影・石井一弘
コンサドーレの王道を拓く
J1連続残留を照らし出す監督と選手たち
 「今治は今日も晴れていますか」。岡田武史元コンサドーレ札幌監督「おめでとう」。さらに横浜F・マリノスの15年ぶりの優勝の立役者が「札幌」に残したものは「偉大だ」。連続J1を決めたペトロビッチ監督の「情熱」は、「岡ちゃんが残したメソッド」を知るヘッドコーチ四方田修平の宝物。監督、選手、スタッフが迷った時の「光」になっている。
 あの頃、生まれたばかりか、小中学生だった選手たちも「立派」に育っている。2002年の日韓ワールドカップ時、完成した札幌ドームが20年にもなる北海道コンサドーレ札幌のメインスタジアムになった。目まぐるしい歴史の中で、数々の監督さんのエピソードが、浮かんでくる。今回は「監督列伝」として、見詰めてきた「感想・感激」を披露したい。
Jリーグが誕生して―
 コンサドーレ札幌が1996年に北海道に誕生して、98年にJリーグ加盟。23年の年月が経った。96年当時は、東芝堀川町サッカー部(1935年創部)で、高橋武夫監督が、采配したJFLがスタートだった。97年ウーゴ・フェルナンデス氏(74=ウルグアイ出身)が就任した。翌年にW杯フランス大会が開かれ、日本は初出場。岡田武史監督率いる日本代表は初戦アルゼンチンに敗れ、3連敗。予選リーグで敗退した。
 筆者は同年9月が新聞社の定年で「自腹を切って」スタンドから眺めていた。応援団の日本観衆は「残念」と言いながら、紙吹雪をリュックに詰め込んで持ち帰っていたのが印象に残った。帰国すると岡田監督を新聞社の「政経懇話会」に呼ぶ話。文化事業社の担当で、運動部出身のT社長がスタンバイ、見事に「岡田氏サッカー世界大会の印象」が語られる場面が出来た。「夜のススキノ懇話会」があったかどうかは「詳らか」ではない。
 とんとん拍子で「岡田―札幌」が動いた。フェルナンデス監督は更迭、石井肇氏が暫定監督に就任した。フェルナンデス氏は練習グラウンド2面があった栗山町の「アドバイザー」に就任した。通訳の〇〇氏も一緒だった。2002年のW杯の関係で確かにアドバイザーは必要だったが―。
 W杯で使うはずだったチームが来なくなり、町政も混乱「サッカーより野球」になり、現・日本ハムの栗山英樹監督(58)の住居と野球場が出来たそうな。
 1999年、岡田コンサドーレは、地下鉄・栄町駅の近く「つどーむ」で「お披露目」。1年目はJ2で5位。「こんなはずでは」で終わり、監督自ら選手集め。2000年から監督自身もスタートダッシュ。40試合を戦って31勝5分け4敗でJ2優勝、01年から、初めてのJ2からJ1への昇格を果たした。(株)コンサドーレの野々村芳和社長も前年とこの年にMFプレーヤーとして活躍した。
 01年はFWウィルと播戸竜二が好プレーを見せた。ウィル24得点、播戸9得点でJ1での成績は11位だった。岡田監督を4文字コラム「石上三年」を書いて送った。岡田氏は2002年W杯を見ながら1年間「監督業」を休んだ。富良野の住人になった
 倉本聰さんとも「自然大好き」で意気投合、「富良野塾」などで多彩な話、講演をしている「芝居よりもスポーツの方がもてはやされる。どうしてかな? 運動の方が汗をかくからだろう」。
 岡田氏は2014年から四国リーグのFC今治のオーナー。雌伏5年で来季はJ3へ。フランスW杯の岡田監督の選手として出場した城彰二氏(44=室蘭市出身)。北海道十勝スカイアースでJFLを目指し健闘中。城氏は総括ゼネラルマネジャーとして活躍中。岡田監督を目指して。
ミシャ監督と競い合う監督たち
 コンサドーレのペトロビッチ監督(62=セルビア出身)。愛称ミシャ監督の日本での監督歴は、サンフレッチェ広島5年半、浦和レッズ5年半。札幌に来て2年。通算13年になる。他の有名外国人監督ではネルシーニョ監督(69=ブラジル出身)。ヴェルディ川崎1年(1995年)、名古屋グランパスエイト3年(2003年−05年)、柏レイソル5年(09年−14年)、ヴィッセル神戸3年(15年−17年)、再び今年の柏1年で通算19年。
 現時点でのネルシーニョ監督は飛び飛びであるが、1995年から2019年、ミシャ監督2006年から2019年、オリヴェイラ監督も飛び飛びで2005年から2019年となる。
 オリヴェイラ監督は日本での実績が凄い。鹿島アントラーズでは、07年、08年、09年のJ1リーグ優勝。さらに天皇杯で07年、10年の鹿島の優勝に関わっている。また、浦和レッズでは18年に天皇杯優勝がある。
 ネルシーニョ監督は、ブラジルの有名チームを渡り歩きコリンチャンス、サンパウロFCの州選手権優勝など各種のチャンピオンを生み出している。日本では、柏の10年J2優勝から11年のJ1優勝までに導いている。2年間でJ2、J1を手中にしたのだ。
 我がペトロビッチ監督は、コンサドーレの代々続く「堅守速攻」のスタイルを、がらりと変えて「攻撃的パスサッカー」に転身させ、J1から世界に続く「選手開眼」を目指している。その効果が2年目に現れ、FW鈴木武蔵、DF進藤亮佑、MF菅大輝、FW岩崎悠人(U−22)の4人のJAPAN代表を生み出し、大韓民国代表にGKク・ソンユン、タイのMFチャナティップも国を代表する選手に成長させている。
「監督列伝」の意味するもの
 北海道コンサドーレ札幌が目指す監督像は何か。進化していく世界のサッカーを目指し今後指揮者に何を求めるか。札幌にはどこまでミシャの戦法を取り入れていくか。当面は強くなってきたアジア勢をけん引するFIFAランク28位(11月28日発表)が日本で良いのか。アジアを制する者は世界にどれだけ食い込めるか。もはやW杯の幕は開かれた。FIFAランキングで日本は28位。アジアのトップで、次がイランだ。2022W杯開催地カタールも力を着けてきている。JAPANの森保一監督はミシャ監督の申し子、未知的魅力が多いものだ。
 今居る大監督に直接指導を受けられる選手たちは幸せだ。大学ナンバー1の大阪体育大の田中駿汰選手(22)もコンサドが狙い加入内定、ミシャの力を信じている。ポイチJAPANが狙いを付けている。若きタレントは札幌のミシャに学びたい。ミシャにオファーが懸かったら止めるだけの財産はあるのか。ここ1週間が勝負だ。もはやコンサド選手の去就は決まっただろう。「感謝の集い」の、晴れ晴れとした「懇談が明日を開く」。頑張ろう。
                                                     (池田 淳)