北海道コンサドーレ札幌の王道と遍歴2018年6月号

単純明快
「たんじゅんめいかい」が一番良い
物事や表現がはっきりわかりやすい
スポーツ選手は心技体を鍛えている
W杯ロシア大会の日本代表はどうか
迷うことなくJFAは1か月で結論
いまは戦い抜くことを全国民が願う

西野朗監督を選任してチームは始動
テストマッチでガーナに敗れて反省
3バックでは危険を感じ4バックに
得点源をどうするかを模索中という
セットプレーはサインで展開できる
宿地オーストリアはドイツ式の聖地

故デットマール・クラマー氏が曰く
ハートは「大和魂」を説いて伝えた
時のFW釜本邦茂はメキシコ五輪で
西野監督は1994年アトランタで
ブラジルを破り「マイアミの奇跡」
さらに98年岡田武史監督がW杯に

「三位一体」とは三つの意義を持つ
父と子と聖霊のためにと世界の教え
ペトロヴィッチ監督が聖霊を伝授し
父の子キリストが真髄を広めて去る
森保一コーチはミシャの3バックか
サムライのトップは神仏混交で良い
コンサドーレ札幌の王道と遍歴
上は日韓ワールドカップを観戦しに来日したデットマール・クラマー氏。2002年、6月3日、札幌市内。下は先日の天皇杯2回戦のMIOびわこ滋賀との試合で、両手を大きく広げて選手に指示を出す札幌のペトロビッチ監督。2018年6月6日、札幌厚別公園競技場、撮影はいずれも石井一弘
コンサドーレの王道を拓く
「夜明け前」から再び「日出ずる国」へ
 「北海道」と命名されて150周年を迎えている。記念の年である。サッカーのワールドカップ(W杯)が誕生したのは1930年。国際サッカー連盟(FIFA)が出来たのが1904年で、FIFAワールドカップはウルグアイで始まり4年に1度のサイクルで、2018年はロシアで開催される。回数は21回になっているが、1942年、1946年は第二次世界大戦のため中止になっている。
 日本は、韓国と組んで2002年に開催している。実は韓国がFIFAの理事国になっており「規約上は地域グループの理事国の権利」等の制約で大会名は「W杯韓日大会」と命名され、韓国で開会式、日本の横浜国際総合競技場(日産スタジアム)が締めくくりの場になったという。
 この年、日本は開催国のためアジア予選免除され本戦のグループリーグを1位で通過、ベスト16に入った。フランスのフィリップ・トルシエ監督が率いた世界の舞台だった。
 もう1回2010年の南アフリカ大会で日本は本戦グループリーグでベスト16のトーナメントに駒を進めたことがあった。
W杯2人目の日本人監督
 日本のW杯の起源は1998年のフランス大会で、岡田武史氏が監督を務めた。サッカーの「夜明け」が世界にアピールできた「記念イヤー」になった。しかし、日本サッカーは「世界をじっと見つめてきた」、まだ「夜明け前」だった。
 今回のロシア大会は6月14日(日本時間15日)開幕する。直前に日本サッカー協会(JFA=田嶋幸三会長)は、西野朗監督を指名した。登録選手23人の氏名も公表、いまオーストリアでチーム造りに励んでいる。
FWは岡崎慎司、大迫勇也、武藤嘉紀。
MF長谷部誠、本田圭佑、乾貴士、香川真司、山口蛍、原口元気、宇佐美貴史、柴崎岳、大島僚太。
DF長友佑都、槙野智章、吉田麻也、酒井宏樹、酒井高徳、昌子源、遠藤航、植田直通。
GK川島永嗣、東口順昭、中村航輔=以上23人。(6月9日現在)
 テストマッチは世界ランク6位のスイスが9日午前2時(日本時間)。パラグアイ(世界ランク32位)とは12日午後10時5分(同)に事前マッチを予定している。

■西野朗監督のコメント 
 「オーストリアキャンプには25人で臨んでいます。合宿は、いろいろな絵を描いてテストをしています。最初は3バックを描いていましたが、相手によっては4人、5人と場面によって変えなくてはと思っています。
 試合の方は一試合一試合ポイントを取ってグループステージを越えなくてはなりません。日本人らしいサッカーを見せたいと思っています。
 現在は、報道関係者らもシャットアウトして、選手間の決め事をやり取りしあいます」
サムライブルーのH組試合日程
 日本はH組で、コロンビア(16位)、セネガル(27位)、ポーランド(8位)と対戦する。FIFAの6月現在の世界ランキングは、日本は61位で、対戦国のランクはカッコ内の数字で、いずれも上回っている。日本にとって大事な初戦は19日のコロンビア戦で19日午後9時(日本時間)から。第2戦はセネガルで25日午前0時(同)、グループリーグ最終戦のポーランドは28日午後11時(同)の予定。
ガンバレ日本はここから
 日本のサッカー界は1960年代には社会人サッカーが盛んで、まだプロ選手が出場できなかった「オリンピック」を目指していた。さらに「東京五輪(64年)」の開催が決定、コーチとして西ドイツからデットマール・クラマー氏を招致した。
 当時は、小中学生から大学までの「学生スポーツ」として、さらに「社会人リーグ」などが、アマチュアスポーツとしての分類に入っていた。
 特に小中学生は、文部省の管轄の下「次官通達」として都道府県を越境した大会は禁止していた。このお陰で、隠れ蓑として「スポーツ少年団」が盛んになり、郊外活動、友好の一環として盛り上がった。
 「参加することに意義がある」をはじめ、「国民皆スポーツ」、「ラジオ体操」が産声を上げた。こんな状況の中で、60年秋に来日したクラマーさんは、「選ばれた選手の前に、指導者を養成しなくては―」を考えていた。体育学部のある東京教育大、日本体育大、順天堂大、専修大などを回り、当時JFAの関係者だった岡野俊一郎さん(東大ア式蹴球部のOB)を通訳兼助手として帯同、体育指導者のほかサッカー協会関係者を集めて、サッカーの心技体を教えて回った。心構えを教える時、「日本人は大和魂を持っている」と「三位一体」を説いていた。「日本サッカーの父」と呼ばれるようになり、北海道サッカー協会の出口会長らも懇意にしていた。
花が咲いたメキシコ五輪
 1964年の東京五輪では、華々しい結果は出なかった。次の4年後はメキシコ五輪だった。まだプロリーグも無い中で、アマチュアオンリーの日本は、やはり五輪狙いだった。
 FW釜本邦茂(74)の恩師もクラマーさんだ。当時「20万ドルの足を持つ男」杉山隆一(76)も自分のウィキペディアにクラマーと共に映った写真を掲載しているほどの恩師。メキシコ五輪までは杉山の人気が上?だったが、メキシコ五輪で7得点の釜本(愛称ガマ)が得点王。日本の銅メダルの立役者が花を開いた。ガマはこの後、国会議員を務めるなど「サッカーのレジェンド」ぶりを発揮している。
代表コーチを探せ
 ワールドカップに6回連続で出場している日本。そろそろ方向転換を考える時期だ。1960年代に「夜明け」を迎えたのは、なんであったのだろうか。一人のやんちゃなコーチ・クラマー氏の指導理念ではなかったのだろうか。JFAの態勢も良かった。監督で無くてコーチという奔放さが、クラマーを思い切り「考えながら、毅然と教える」立場にしたドイツ的「三位一体」で無かったかと、今考えさせられている。監督は「聖霊」であり、父とその子キリストは、己の真髄を布教するコーチであれと最近感じ始めた。アメリカンフットボールの「劇中劇」は悲しい。全てのものの上に立つ指導者は「善悪を知り尽くした者」であってほしい。クラマーさんを深く愛する人は「容認」を旨としているに違いない。
道新の政経懇話会で
 岡田武史氏が北海道新聞社の「北海道政経懇話会」の講師として招かれたのは1998年のW杯終了後の秋だった。受講者は道内の起業家の政治経済の関係者。初めて日本がサッカーのトップレベルの大会に出場できるなんて、どんな選手がどんなスポンサーが付いているのか。この世界で「金儲けができるのか」。そんな輩の前で喋るのだから、岡ちゃんも疲れただろう。たぶん講演の後の一献が利いたのだろう。コンサドーレの監督の話が舞い込んできた。とんとん拍子で2年間過ごしてくれた。富良野の住人・倉本聰さんとも仲良しになった。
 話代わって、北海道コンサドーレ札幌の野々村芳和社長が6月5日、同じ懇話会の例会で講演をした。いまの新聞の主役は「スポーツ報道」と言っても過言でないくらい読者を引き付けるものがある。道新は「スポーツ北海道」未来をつくろう。紙面にワッペンを入れて「入れ込んでいる」。野々村CEOのお題は「冒険コンサドーレ」。サッカーの「アジアトップレベルのチームを目指す」。ペトロビッチ監督の招聘は、「攻撃的な哲学を学ぶ」。さらにスポンサーに「浦和並みの経営費75億円を目指したいけど、今はJ1のワースト3」。「北海道には、マチや食、気候、スタジアムの雰囲気など、選手にはお金以外の魅力はそろっている」と結んでいた
                                                      (池田 淳)