コンサドーレ札幌の王道と遍歴2019年6月号

自他共栄
「じたきょうえい」は互いに讃える
柔道家嘉納治五郎の名言として伝承
「柔よく剛を制す」は柔術の教科書
目立たぬように己の心身を研磨する
これこそ礼に始まり礼に終わる境地
伝導のため講道館を修行の場に残す

オリンピックが近くなるとこの話題
嘉納には三船久蔵十段ら多数の弟子
さらに教育畑や政治家IOC代表等
中でも日本への五輪誘致を決めた男
スポーツには人間の心身を育てる力
万延から昭和を駆け抜け77歳で没
     
1938年洋上の氷川丸船中で死没
世界を股に掛けた柔道の父は今甦る
筑波大教授の真田久氏が嘉納を追う
オリンピックを日本に呼んだ国際人
戦時中のため五輪は中止になったが
真田氏の「2020年東京」の夢は

北海道コンサドーレ札幌の自他共栄
劇的6月1日の広島戦の1−0勝ち
早坂良太から鈴木武蔵GKと縺れる
19歳大迫敬介が弾き早坂がゲット
自他は判るが共栄に城福浩監督不満
ミシャ監督は広島の紅葉饅頭は熟知
コンサドーレ札幌の王道と遍歴

J1第14節の広島戦の後半18分、札幌MF早坂(左)に先制点を決められピッチに座り込みぼうぜんとする広島GK大迫とMF松本(17番)、大迫は日本代表に選ばれている。6月1日、札幌ドーム、撮影・石井一弘

コンサドーレの王道を拓く
日本代表の3バックはミシャ監督の贈り物
 北海道コンサドーレ札幌が転換期を迎え、羽ばたこうとしている。1996年からJリーグ参入、プレーヤー、スタッフは代わったが、ドサンコの「気概と見る目」は変わらない。それに追いつき追い越し、成熟期を迎えたと言っても過言ではない。
 まさに「自他共栄」を迎える境地。元号を「令和元年」として、明治、大正、昭和、平成を生き抜いた日本スポーツ界を先導した嘉納治五郎翁から学ぶ「真意」を考えてみたい。
速報・森保JAPAN3バック
 国際親善試合キリンチャレンジカップが6月5日愛知県豊田スタジアムで行われ、日本代表はトリニダード・トバゴと対戦0−0で引き分けた。森保一監督の令和元年初ゲームは4月発表のFIFAランク26位の日本と同93位トリニダード・トバゴの力の差は見られなかった。日本は3−4−2−1のコンサドーレと同じシステムで対戦したが、攻撃にスピード感がなく大型守備陣が待つトリニダード・トバゴの壁を破れなかった。
 3バックが初めての取り組みの日本チームは、依然としてワントップの大迫勇也が頼り。両サイドからの崩しが長友佑都側からの揺さぶりが多かったが、右からの展開はほとんどなかった。ロシアW杯前までの右ウイングでプレーした久保裕也(ドイツ・ニュルンベルク)のプレーが思い出される。1トップ・2シャドーの場合、その後ろの両ウィングバックが配球のカギを握る。
 森保監督の3バックは、今に始まったわけではない。現コンサドのペトロビッチ監督が2006年6月から2011年12月までサンフレッチェ広島時代に展開した3バック、当時コーチの「ポイチ」が引き継ぎ、広島初のJ1で2連勝を勝ち取っている。
 今回、ポイチこと森保一監督が試みたスタイルは、心に秘めた「世界」だったに違いない。
 我がミシャ監督は、この後、2012年1月から17年7月まで浦和レッズで、ACL優勝(17年)の音頭を取り解任された。浦和最後の試合が北海道コンサドーレ札幌というから「奇縁」である。
 札幌には18年から就任、広島−浦和−札幌と、オーストリアに似た北国・札幌まで「北上」して来た。
 9日に宮城県ひとめぼれスタジアム宮城で行われたエルサルバドル(FIFAランク71位)との戦いは、5日の3バックのおさらい。GKシュミット・ダニエル(ベガルタ仙台)とDF陣右から冨安健洋(シントトロイデンVV)、中央に昌子源(トゥールーズ)、左は横浜F・マリノスの畠中槙之輔は、5日のスタメンから変わらない。森保監督の意地だろう。
 試合は2−0で勝利、期待のルーキー久保建英(18歳=FC東京)も後半投入した。この日の得点2が、いつもの永井謙佑(FC東京)丸出しの得点だけにメディアにも顔向けのできた一戦だった。
 ただ、札幌の3バックにはまだほど遠い。
日本オリンピック産みの親
 「自他共栄」を書くに当たって、嘉納治五郎翁の履歴書をひも解いてみた。まさに江戸時代の終わりから「夜明け前」(島崎藤村著)になり、政治、経済、教育、スポーツ分野のオールマイティーだった。NHK・TVのドラマ「いだてん」の主人公、金栗四三先生の女子教育に踏み込んだユーモアの影役で柔道が出てくる。
 1912年7月、日本が初参加したストックホルム・オリンピックには団長として参加した。その後1936年のIOC総会で、1940年の「東京オリンピック」招致に成功した。残念ながらその後、日中戦争の激化のため返上せざるを得なかった。
嘉納翁から三船の空気投げ
 嘉納治五郎は1860年(万延元年)10月28日生まれ。約8年後の明治になるまで現・兵庫県神戸市で幼年時代を過ごす。市内の御影では屈指の名家で、政治家でもあり柔道家、教育者でこのほか多数の経歴を持ち、東京にある講道館柔道の創始者でもある。1870年(明治3年)明治政府に招聘された父に付いて上京して書道、英語を学ぶ(10歳の頃)。14歳で育英義塾を経て東京大学文学部に入り、81年卒。途中で、渋沢栄一氏(2024年発行の1万円札の肖像になる)に頼まれて、来日中のアメリカ合衆国ユリシーズ・グラント前大統領に「柔道」を演舞した。
 スポーツ関連では、1909年、東洋初のIOC委員。1911年に大日本体育協会設立に尽力、会長に就任する。以来、人を育てる教育者としても秀でたものがあった。
 「自他共栄」は、柔道の意味から「柔よく剛を制す」から始まり、理念は「精力善用」で、これを柔術から学んでほしい。この精神から三船久蔵十段の「空気投げ」が生まれた。159センチ、55キロの三船十段が勝つためには相手の力を利用するしかない。子供の頃、埼玉会館(現=さいたま市浦和区)で、この「空気投げ」を目の当たりにした。相手の背負い投げを、背中で足をばたつかせて飛び降りた。足技は、一歩前でつまずかせた。この柔道の受け身をサッカーでも、転倒して起き上がる一連の動作を、けがをしないための受け身として学んだ。
 札幌対広島の1−0の得点は、鈴木武蔵へのパスを出した早坂良太が相手GKの武蔵のシュートをはじき出すまでの「自他」(やり取り)のどちらに転ぶかを早坂が予測出来なかったら「共栄」はない。先人の「名言」は多岐に渡る。決して軽んずべからずである。
ミシャ監督の目指すもの
 ミハイロ・ペトロビッチ監督。ユーゴスラビアのセルビアマチュヴァ郡ロズニツァ出身。1957年10月18日生まれ、61歳。国籍はセルビアとオーストリア。現役時のポジションはDFとMF。ユース時代はレッドスター・ベオグラードユース(10歳から14歳)。プロ生活は、1974年からレンタル移籍したFKラド・ベオグラードを皮切りに、76年にレッドスターへ復帰。1980年U−20のユーゴスラビア代表。最後は1985−1993年までオーストリアのブンデスリーガのSKシュトゥルム・グラーツに移籍した。1989年オーストリアに帰化した。
 指導者・監督歴は1993年から始まり、オーストリアのSVペラウ、シュトゥルム・アマチュア。その後1998年からスロベニアのNKプリモリェなど2002年までスロベニアで指揮を執る。
 日本に来る前は2003−06年にオーストリアの古巣、シュトゥルム・グラーツを最後に日本に渡り、広島からのミシャ・ロードを歩む。
 師匠はイビチャ・オシム氏。1941年5月6日生まれの78歳。日本に居たのは2003年ジェフユナイテッド千葉監督。06年にW杯南アフリカ大会の日本代表監督として招聘されたが07年に「突然の意識不明からの脳疾患」でリタイアした。
 191センチ、100キロ近い巨漢のFW。この選手から指導者になって学ぶものは?。同郷でオーストリアに加えてドイツ系のサッカーをする人の指導者としてのレベルは高い。ミシャの戦術コンセプトの大半は師の考察と同じ。「考えるサッカー」。「3バックの連携変化」。「3−6−1」の究極の中盤変化の布陣。「3−4−3」の1トップ2シャドー、プラス両ウイングバックの「超攻撃的パターン」。最後に「仕事」と呼ぶ「攻撃の相手」を「守備的に守る」。一番遭遇したくない「コンセプト」だろう。
 森保一監督が、ミシャ―オシムのコンセプトの集大成であってほしい。
                                                      (池田 淳)