コンサドーレ札幌の王道と遍歴2021年4月号

沈思黙考
「ちんしもっこう」ジックリ考える
ジックリの意は重く深くものを思う
「だまって物事を深く考えること」
これ正解らしく感じるが人それぞれ
北海道コンサドーレ札幌に輝き無し
どこか立ち止まったストレイシープ

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督就任
2018年は何のてらいもなく4位
出来過ぎの批評もあるが前途洋々だ
19年は愛称ミシャもちょっと強気
ルヴァンカップは川崎フロンターレ
準優勝のPK戦は前代未聞の語り草

2020年は新型コロナウイルス禍
世界中に蔓延して「伝染力は強い」
この年は欧州やJリーグで観客無し
2021年になっても欧州は無観客
Jリーグは客席を区切り入場者制限
沈思黙考で太鼓手拍子が素っ気ない

加えて「東京五輪パラリンピック」
鬱積した中での「女性蔑視論」爆弾
これは真逆の「考え過ぎの暴論」だ
やがて収まるだろう「やっと4波」
コンサドーレもジョジョに徐々にと
ミシャ頑張ろう今日はイレブンの日
コンサドーレ札幌の王道と遍歴

 上写真/行き詰まると「沈思黙考」する。手にするのはクラマーさんの教書やハンス・オフト氏の自叙伝。ドイツ式の教本が好きだ。PHOTO=JUN

コンサドーレの王道を拓く
 「船頭いなくて・・・」選手が迷うのか? ミシャの心意気「操り人形ではないぞ」 
 「今時、どっきりする話を思い出した」。サッカー協会の連中は「日本サッカー百年史」を語って楽しんでいる。確かに「蹴球が始まって百年がたった」。日本サッカーの父はドイツ人のデットマール・クラマー氏だが、1960年に来日したクラマー氏が公言したのは「日本には大和魂がある」と、言い切った。彼はテクニカルより「精神」、平らにいうと「心構え」を問いた「コーチ」だった。
 しかし私は「初めてのオランダ人、ハンス・オフト」が「ジパング」に来た時から「世界選手権に出られるチームを―」。頼んだのは、川淵三郎キャプテンだった。一番気に入ったのは92年のアジアカップ決勝で、「FWのゴン(中山)を何かあった時のリザーブのゴールキーパーとして最後の最後まで、出場選手として使わなかった話」である。
オフトの旅も広島から始まる?
 東洋工業・マツダのコーチとして日本の土を踏んだ。実はこの前、1982年の夏、ヤマハ発動機のコーチをして俗にいう「浜名湖合宿」で鍛えたヤマハが、天皇杯優勝を勝ち取った。当時「飛ぶ鳥を落とすマツダ」から冠を奪った。翌84年から88年までマツダ(現・サンフレッチェ広島)のコーチもして、マツダをJSL1部昇格に導く。当時の財団法人日本サッカー協会も黙っちゃいない。1979年当時、静岡県清水東高校監督だった勝沢要氏(東京教育大=現・筑波大)が、オランダに遠征した日本高校選抜チームの指導を依頼されたことが発端。1982年、ついに「日本に住むことになるかもー」が実現したのが「広島のドン今西和男氏(東教大=勝沢と同期)の電話だった(妻と2人の息子とともに=オフト氏の著書から)。
1983年3月オフトの戦略 
 日本・サンフレッチェ広島にヘッドコーチ(監督として就任)。1年目は6位で終わった。翌年GKとしてオランダからディド・ハーフナー(1997、98年札幌でも活躍、息子マイク、ニッキは日本生まれ)後のJAPANでも活躍する。オフト自身は、1988年1度はオランダに戻り、ユトレヒトのチームMG(マネージメント・ディレクター)になるが、1992年日本の川淵三郎キャプテンからJAPANの監督要請が正式に決まった。このころはまだ、日本協会の強化委員長の名目だったと思う。
Wカップに行ける選手を!
 1960年、我が師匠デットマール・クラマー氏が来日したころは、1964年の東京オリンピックの選手強化の為が、「主題」だった。JAPANの強化のほかに、クラマーさんは、教師になる学校、地方のアマチュアチームの指導に力を入れた。幸い東教大サッカー部に在籍した私は、趣味でカメラを持ち歩いていたので、「クラマーの写真」を、東教大の「球技研究室」にたくさん置いてきた。私はこれが、教師になるサッカーマンをつくりたい、いつかは、W杯を目指せる選手を「誕生させたい」の気持ちだったと思う。のちの話になるが「釜本、杉山ら」がメキシコ五輪で銅メダルの活躍、たくさんの賞をもらったことは、北海道に赴任してから聞いた。高師の先輩・原崎正先生が、そして札大の柴田勗先生に会えたのも、クラマーさんにくっ付いてあゆみ、1998年のワールドカップ・フランス大会に岡田武史監督を送り出せたのも、「故クラマーさん」のおかげだと思っている(クラマーさん2015年9月17日死去)。
飛んでミシャの番だぞ!
 オフト監督はW杯に出たことが無い。積み上げて、選手をつくって、指導者に「世界レベル」のサッカーを教えて、JAPANを去った。その後Jリーグが始まる。1991年、Jリーグの参加チームの登録が行われた。北から鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原、浦和レッドダイヤモンズ、ヴェルディ川崎、横浜マリノス、横浜フリューゲルス、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島の10チームで、現在のチーム名と「呼称」が違うもの、消え去ったものなどがある。試合は1993年から開始された(参考までに、登録チーム名やホームタウンは、「オリジナル10―Wikipedia」参照)。札幌は1998年加盟で、J1、J2の最多優勝はJ1が鹿島8回、J2は札幌の3回。
 札幌のJ1キープ4年目は、ペトロビッチ監督が初めて。広島に降り立ち、当時コーチだった森保一氏を育て上げ6年滞在、次は浦和に移り6年、ルヴァンカップ優勝をもたらしたが、「追い出された」。その間、広島からの「追っかけ選手」GK西川周作、MF柏木陽介、DF槙野智章らを育てた。札幌は2018年から4年目。「今年こそ」と思っていたが、思わしくない。
恩師イビチャ・オシムの教え
 2006年JAPANの監督になったイビチャ・オシム氏が、2007年、千葉市内で脳梗塞で倒れた。この時ミシャは広島にいたが、恩師の「役割はとても果たせなかった」。サラエボからオーストリアに「新天地」を求めたのも同じ。この時のミシャの気持ちは知る由もないが、日本に行くときに決めた通訳・杉浦大輔氏は(現・札幌コーチ兼務)は、「さらに日本を意識したのではないか」。深い意味まで聞いていないが「日本にいること」(一緒にいること)を意識したのではないか。この時の日本代表監督は、岡田武史氏が引き受けた。
 ペトロビッチ監督の今季は、思うに任せない。けがで冬期合宿を取りやめ、2月の開幕直前に復帰した。選手には「こうやろう、ああやろう」は、通じているが、現実は、四方田修平ヘッドコーチとの「オンライン相談」。日本とオーストリアでは、かなり苦戦だったろう。開幕戦がホーム札幌ドームで横浜FCに5−1で快勝した。
選手もミシャも行く先「迷走」
 2021明治安田生命J1第9節は4月11日午後1時から札幌ドームで北海道コンサドーレ札幌対鹿島アントラーズが対戦する。札幌は14位、鹿島は15位。これまでのJ1での対戦成績は3勝3分け12敗、だが昨年は2−0、1−0で札幌連勝。ブラジルのザーゴ監督は2年目。昨年代わって5位。「なにか変だ」。テクニカルディレクター・ジーコ(68)の出番か。オフェンシブサッカーの55点は立派なものだが、今季は8得点、失点11。札幌は12得点でベスト10に入る。失点11はDFの責任。乞うご期待。
                                  (池田 淳)