地域のサッカー情報

一覧に戻る

「中盤良好、エースストライカー不在」は今も変わらない

13・06・12
札幌大学サッカー部邂逅録(平成25年度総理大臣杯北海道大会から)

 1967年に創部した札幌大学サッカー部。1977(昭和52)年、第1回総理大臣杯北海道大会は、札大サッカー部にとって、年間遠征3回(全国大学選手権/天皇杯/総理大臣杯)となるので、学生の単位取得および遠征費の問題から参加を見合わせたが、1978(昭和53)年、2代目監督の福江正行氏になってから2軍主体で参加。第3回目からは主力で参加するようになり、以後第16回大会まで14年連続で北海道代表となり全国大会に出場した。

 1980(昭和55)年、第4回全国大会(静岡県)では、3位決定戦まで勝ち進み、大阪商業大学に1−2で敗れ第4位となっている。当時は、すでにブラジル留学生はいなかったが、ブラジルサッカーの特色を受け継いだ「中盤を制する者はサッカーを制する」の戦術訓練が行われていた。

 中盤の構成は、半年間フットサルを余儀なくされているダウンサイジングサッカー技術(小スペースで、速考/精密技/瞬間速/連動性など)の長所を生かした、緩急自在の中盤づくりが伝統技となっていて、全国でも通用していた。

 難点は、当時から現在の全日本チームにも見られるごとく、得点機にきっちり決められるエースストライカーの不在である。これは札幌大学だけの問題ではなく、日本全体にわたるストライカーの日本病なのかも知れない。

 今いてほしいストライカーは、マラドーナやメッシ、ネイマールのごとくフットサル型天才ストライカーの出現である。北海道のフットサル大国から誕生する可能性はあると思われるのだが―。

札幌大学サッカー部創部監督 札幌大学名誉教授 柴田勗
編集部