サッカーアラカルチョ

一覧に戻る

ヨーロッパサッカー回廊『ワールドカップ4強』

10・07・11
 あっという間にワールドカップもあと4試合(準決2試合、3位決定戦、決勝戦)を残すのみとなった。
 
 4強に残ったのはオランダ、ウルグアイ、ドイツ、スペイン。大会前優勝候補のトップであったブラジルは、準々決勝でオランダに敗退、アルゼンチンも若手ピチピチ軍団に衣変えしたドイツに4−0と大敗、姿を消した。
 
 常勝国フランスも、選手が練習をボイコットするという前代未聞の不祥事を起こし、グループリーグ最下位となりアウト、イタリアもボールが飛びすぎるのか選手が年をとりすぎたのか、その固いディフェンスも通じず、伏兵300/1の掛率のスロバキアに3−2と敗退、早々と姿を消した。
 
 イングランドもベスト16までは行ったが、カペッロ監督の頑固なまでの規律と4−4−2フォーメーションに固辞、選手との不協和音などもあり、ドイツに4−1と大敗、姿を消した。2−1のあとランバートのシュートは明らかにゴールラインを割っていたが、ウルグアイのレフリーと副審はプレーオンとし、1966年のハーストのシュートが、未だに入ったか入らなかったのか議論する中での亡霊の復活で大敗した。
 
 優勝候補の一角を担うアルゼンチンも、メッシを中心にテベス、ヒグアインの強力フォワードも機能せず、ケルン大学の協力で毎試合相手を研究し続けるドイツのレーブ監督の作戦にまんまとひっかかり、ベテランストライカー、クローゼの2得点で4−0と大敗を喫し、選手よりも注目されていたマラドーナ監督も辞任をにおわせる始末であった。
 
 残るはロッペンが怪我から復活したオランダが、まだ負けなしで1978年以来の決勝進出を果たし優勝を勝ち取れるか。準決勝では強敵なきグループで勝ち残ってきた、ウルグアイには不覚を取らないとは思うが、ボーア戦争で敗れたオランダ人がこの南アの地で決勝の舞台に立つことは間違いないことであろう。
 
 一方の準決勝は2008年のユーロの決勝を闘ったドイツとスペイン。この時はスペインが大きな大会での初優勝を遂げているだけに、ゲルマン魂のドイツは負けられない一戦。シャビ、イニエスタ、ファブリガスの中盤は小柄ながらパス回しの速さでは世界のトップ。左サイドウイングながらここまで5点を入れているビジャの得点能力もあなどれない。
 
 グループリーグではスイスに敗れる番狂わせがあったが、ドイツに勝てないとは言い切れまい。ただストライカーのフェルナンド・トーレスが怪我明けで絶不調なのが心配の種か。順当にいけばクレバーでかつ若さの活動量を誇るドイツの優位は動かない。特に中盤シュワインスタイガーの活躍は誰も止められない。若干21才トルコ人を親にもつ、オジルの飛び出しとパスは、今大会の華でもあり新生ドイツ有利か。
 
 ところで、このワールドカップが批判をあびているのはまずボール。FIFAもやっと気付き、次大会での使用を再検討する方向となった。ゴムボールのように飛び、ロングパスは強く蹴れば蹴る程タッチを超えてしまう。シュート数が少ないのもシュートがほとんど宇宙開発となってしまうから。
 
 そしてレフリー。ベスト16のドイツ、イングランド戦での明らかなゴールが主審、副審とも見えずプレーオンされてしまった。またアルゼンチンのメキシコ戦でのテベスの明らかなオフサイドも見逃し、もはや3人の審判では正確な判断は出来なくなる程ゲームが速くなっている。FIFAもやっと腰をあげ次のインターナショナル委員会でテレビ、ビデオなどのテクノロジーを採用するか、ゴール裏に第5、6副審(UEFAリーグでは実施中)を置くか検討することとなった。
 
 そして遂にメッシは得点をあげられなかった。カカもしかり、ルーニーも、やっとクリスチャン・ロナウドが北朝鮮に1点をあげたが期待されたスーパースターは今回姿を消した。フットボールは1人のためにあるのではないことを証明した。やはり、組織・チームワーク・同じベクトル・そして若干の運も含めて4強残ったオランダ・ウルグアイ・ドイツ・スペインは共通項があることを示している。
 
 最後に、開催国南アの治安が心配されたが思った程より被害が少なかったのは南アが国をあげてこの大会をお祭りとしたことと警備に万全を期した結果であろう。ただ悔やまれるのは遠隔地のためもあり、毎試合空席が目立ったことである。
 
 FIFAは次回からはチケットを当事国(2014年はブラジル)に委ねるとしている。98年フランス、02年日韓とチケット問題はFIFAの頭痛の種となっており、2014年はFIFAエージェントを排除するとはいっているが果してどうなるのであろうか。
 
 さあどこが優勝するか。
 
 
◆筆者プロフィル
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
現在:T M ITO Ltd.(UK)代表取締役
 
伊藤 庸夫