サッカーアラカルチョ

一覧に戻る

ヨーロッパサッカー回廊『Child Catcher(人さらい)』

09・09・13
 8月31日は選手移籍の期限日、いわゆる「ウインドウ」が閉じられた。今シーズンのプレミアでの移籍総額は450百万ポンド(720億円)と昨年比10%減となった。その原因の一つは、英国の所得税法が変り、高所得者層に対して50%(従来は40%)の所得税を課すことになり、選手の報酬が目減りした事での高額所得者の他ヨーロッパへの移籍が活発化したこともある。
 
 史上最高移籍額80百万ポンド(129億円)のクリスチャン・ロナウドのマンチェスターユナイテッドからリアル・マドリッドへの移籍をはじめ、リバプールのアロンソの移籍など大物がプレミアから去っていった。最大の投資をしたのはアブダビ資金にものを言わせたM−シテイで117.5百万ポンド(188億円)。一番儲けたのはロナウドを売ったM−ユナイテッドで63.5百万ポンドの移籍利益を獲得している。毎年移籍の目玉となっていたチェルシーは今年はおとなしく19.5百万ポンドを使ったにすぎない。
 
 そのチェルシーに激震が走った。FIFAがチェルシーに対し今後2年間の移籍中止の制裁を科したのである。2年前チェルシーは当時15歳であった、フランスのランスのユース選手ガエル・カクタをチェルシーのアカデミーに加入登録させた。
 
 その際チェルシーはカクタの親に百万ユーロ(1.3億円)の契約金を支払い、タクタ自身には3万ユーロ/月(年収4700万円)を支払ったのである。現在18歳となったカクタはまだプレミアのトップの試合には1試合も出ていない。この移籍問題に対し、ランスは「カクタは13歳から当クラブのアカデミーに登録されておりフリーではなかったにも拘らず、チェルシーは『人さらい』をした」としその賠償をFIFAに訴えていたのである。
 
 FIFAはフランス、ランスの言い分を認め、2年間の移籍中止及びランスへの68万ポンドの賠償金支払い並びに11.5万ポンドの育成費用をランスへ支払う事を命じたのである。これに対しチェルシーはFIFAからの命令を覆すためスポーツ仲裁裁判所へ撤回を求め訴える事にしているが、この仲裁には時間がかかり実質2年の移籍中止は逃げられない状況に陥っている。
 
 この問題の底辺にあるのは一つには選手の能力、質、そして経営規模、資金などを含めて世界一のプレミアリーグクラブは競って世界のトップスターを集めなければトップを極められないという現実もある。強化の一環としての育成機関であるアカデミーは本来は地元の通学できる少年を鍛えて将来のクラブ選手そして代表選手を生み出す事を目的に投資をしているが、地元の選手だけではその要求にはこたえられないとして、安価な外国選手をプロ契約が出来る16歳以前に青田刈りしアカデミーに加入させている現状がある。
 
 第2にヨーロッパにはEUという国を超えた組織があり、EU枠内での労働の自由は保障されている。、EUのパスポートをもっていれば安易にイングランドに居住、就職できるためイングランドの有力クラブはこぞって他EU国、イタリア、フランス、スペインから親の就職居住を保障してヤングスターを買い入れているという現実もある。
 
 更に第3に移籍制度はFIFAで明文化されているが国によってローカルルールもあり一概に同じとはいえない。通常移籍金等が発生するのはプロ契約が出来る16歳になってからである。それ以前にはユース、ジュニアとしてクラブに登録されているかであるが、カクタ選手の場合はランス側は13歳で登録しており、自分クラブが選手を保有している事実は変わりないと主張している。一方チェルシーは『何も問題ない。当クラブはFIFAの規約に従い、カクタはフリーと認識している』と主張を互いに譲っていない。とりあえず仲裁裁判所の判決がでない限りこのFIFAの裁定は動かずチェルシーにとってはかなりの打撃を受ける。
 
 この背景にはFIFAの思惑もちらほらする。元々世界の資金を集めて選手強化し強くなるクラブでも、その国のアイデンテテイを持つ事は必要という自国選手による自国リーグというFIFAの精神がその根底にある事は否めない。
 
 このカクタ選手にひき続きマンチェスターユナイテッドもイタリアフロレンチアよりFIFAに訴えられている。16歳のマイケル・フォエンシエをクラブの合意なくMUに引き抜かれたとアッピールしている。
 
 このChild Catcherが最初に横行したのはベルギーであり、ベルギーのクラブはアフリカの選手を自国のクラブに引き入れ、ベルギーでは5年滞在すればEUパスポートを手得できる制度を持ちいり多くのアフリカの少年を青田狩りした歴史がある。
 
 プレミアでこの『ひとさらい』がおこったきっかけは、アーセナルのベンゲル監督がスペインバロセロナのフランセスク・ファブリガスをU17でMVPを取った事で青田刈りして以来の選手強化をU16の選手に絞って行った結果から生まれている事も事実である。ベンゲルは『イングランドの選手をとりたいが技術において大陸フランス、スペインの選手より劣っている為の手段にすぎない」と弁明しているが果たしてアーセナルがイングリシュクラブといえるかというと、先発11人のうちイングリッシュは1人居るかどうかであり、EUの労働法を悪用したクラブとしても認識されている。
 
 ではこのChild Catchingを防ぎ、それぞれの国でその国のヤングスターを育てるにはどうするかが今後の問題と提起される。識者はU16以降の移籍制限をU18まで伸ばす。U16のアマチュア少年の帰属を明確にし、その選手の移籍が行われる場合は両クラブの合意を得る、勿論育成費の授受を明文化するなどの対策が講じられる事が必要であろう。
 
 今後日本フットボール界でもこの種のChild Catchingが行われないとはいえない。その制度整備は急務の課題であろう。因みにプレミアリーグでは成功クラブはウエストハムであり代表にグリーン、ファデイナンド、コール、ランバート、デフォー、カーリック、ジョンソンと輩出しており元手をとっているがチェルシーは過去10年で年間62百万ポンドをかけても、ジョン・テリーしか居ないのも事実である。
 
 育成と強化は二律背反ではあるが今後のクラブ運営ひいては代表強化にも繋がる事であり注目に値する事件ではある。
伊藤 庸夫