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ヨーロッパフットボール回廊『イングランドまたしてもPK戦敗退』

21・07・19
「Football Coming Homeならず、Football coming Rome!」

 1966年ワールドカップ優勝して以来、55年が経ち、今年こそは優勝杯を「Football Coming Home」と意気込んで『ユーロ 2020』へ臨んだイングランドは、7月11日のロンドンウエンブレイスタジアムにコロナロックダウン中にもかかわらず、67,000人を収容し、イタリアと決勝戦を闘った。全国民を巻き込んでのお祭り騒ぎの末、試合はまたしてもPK戦となり敗退してしまった。

 1966年以来ワールドカップ(W杯)、ユーロ大会(EURO)でのPK戦での勝率は3勝7敗と、いわば「PK Shy England」の代名詞が付くほどイングランドはPK戦には弱い。W杯、ユーロ大会でのPK戦敗退は、1990年イタリアでのW杯西ドイツに準決勝で1−1の後PK戦3−4で敗退した時から始まる。悲劇のPK失敗者はスチュワート・ピアース。

以下年代順に
・1996年 ユーロ(英国開催)
準々決勝対スペイン戦、0−0後PK4−2勝ち

・1996年 同上
準決勝対ドイツ戦、1−1後PK5−6負け
悲劇のPK失敗者:ガレス・サウスゲート(現イングランド代表監督)

・1998年 W杯(フランス)
ベスト16対アルゼンチン戦、2−2後PK3−4負け

・2004年 ユーロ(ポルトガル)
準々決勝対ポルトガル戦、2−2後PK5−6負け
悲劇のPK失敗者:デイビッド・ベッカム

・2006年 W杯(ドイツ)
準々決勝対ポルトガル戦、 0−0後PK1−3負け

・2012年 ユーロ(ウクライナ・ポーランド共同開催)
準々決勝対イタリア戦、0−0後PK2−4負け

・2018年 W杯(ロシア)
ベスト16対コロンビア戦、1-1後PK4−3勝ち
   リベンジ監督:ガレス・サウスゲート

・2019年 ネーションズリーグ
3位決定戦対スイス戦、0−0後PK6−5勝ち

と、ここまでは3勝6敗の星。

 そして今年のユーロのドラマの幕開、1−1の延長戦に入り、サウスゲート監督はPK戦を覚悟。120分終了間際に元キャプテンのヘンダーソン(MF)の交代にラッシュフォードとウオーカー(右CB)の代わりに、ドルトムンドからマンチェスターユナイテッドに移籍したばかりの若手サンチョを入れた。PK要員であることは見えていた。

 そしてそのまま120分終了、PK戦に入った。

 イタリアが先行。ベラルディが決めイングランドの最初のキッカーはキャプテン、ケーンが決めて1−1。

 イタリアの2番手はベロッティが蹴るもGKピッカードに阻まれる。イングランドはマグアイアが決め、2−1。

 3番手にイタリアのボヌッチが決めて2−2。イングランドはラッシュフォードがキッカー。狙って蹴ったボールはGKドンナルーマが先に右へ動いた瞬間左に蹴るも無情にもゴールポストに当たり決まらず。

 イタリア4番手はベルナンデッシュが決め、3−2。イングランドは120分にピッチに入ったサンチョ(21歳)が蹴るも右に飛んだGKにセーブされた。

 イタリアの5番手はジョルジーニョだったが失敗。イングランドはアーセナルのサカ(19歳)が蹴るもGKにセーブされ終了。

 PKスコア3−2で、アウエー状況の中での対イングランド戦を制し1年遅れのユーロの覇者となった。イタリアのユーロでの優勝は1968年、地元開催でユーゴ戦以来の快挙となった。

 このPK戦については試合後多くの観客、ファンそしてテレビ解説者からコメントが殺到した。いわく―

「なぜ未経験な若手3人に蹴らせたのか?」
「大試合にも平常心が持てるベテラン選手に蹴らすべきだった」
「PKは単なる遊びではない。40mを歩いて行き、ボールをつかみ、GKの動きを見る。そしてポスト右か左か決め、蹴る、この間、数分の緊張感は普段の練習で行っているPKとは全く違う。背後には67,000人のサポーターが固唾をのんで見守っている」
「2人の選手は120分に交代している、体が温まっていない。たとえプロであれ、余程精神的な平常心が無ければ、思ったように蹴れないのでは?」

 更に外した3人の選手は黒人であり、ソシャルメディアでの人種差別にあたるコメントも多々あり、重く見たThe FAそしてUEFAは「あってはならないこと」と批判し、そのコメントを削除するよう求めている。単なるPKではなくなってしまったのだ。

 サウスゲート監督は「キッカーを決めたのは私だ。私が責任を持つ。選手ではない」と釈明しているが「なぜベテラン元キャプテン・ヘンダーソンを、そしてこの大会のゴールゲッターたるスターリングをなぜ指名しなかったのか?」との批判が出ている。一方、「他の選手が手を挙げなかったのか?」との問いには、アストンビラの中盤グレアリッシュが監督に蹴らせてほしいと要求したが、結局若手未経験者の3人に蹴らせて失敗という結果に終わってしまった。

 イングランド代表として活躍した元サウサンプトンのマシュー・ル・テシエ(FW)は代表戦公式戦48本PKを蹴って47本決めている。PKスペシャリストとして彼いわく―

ステップ1:「PKはシンプルに、スポットまで歩いている間にGKの右に蹴るか左に蹴るかまず決めていく」

ステップ2:「蹴る瞬間までGKがどちらに動くかを見極める。動きを注視する」

ステップ3:「蹴るキックはサイドキック。GKの動きが自分の蹴りたい方向と違った時、方向を変えることに適切なキックであるからだ」

ステップ4:「サイドキックであってもボールは強く蹴る」そしてこのルーチンの間リラックスし、プレシャーを排除する。そして「入る。というポジテブな精神状態にすること。そうすれば失敗せず決められる」とPKの極意を披歴しているが若手3人はその任を全うするだけには至っていなかった。PKに弱いイングランドを印象付けた敗退であった

 一方の優勝したイタリア監督マンチニは過去、イングランドではマンチェスターシティの監督も経験しており、イングランドスタイルのフットボールにどう対処するべきかの戦術的センスは高い。伝統であるイタリアンディフェンスの強さをこの大会でも発揮し、7試合13得点失点4で乗り越えての優勝であった。センターバックスのチエリーニ(36歳)、ボヌッチ(34歳)、併せて70歳のディフェンスは堅固であり、優勝の立役者となっている。そしてマンチニ監督就任2018年5月以来、34試合負けなしの記録を更新した。偉大な監督の一歩を踏み出した優勝であろう。

 筆者は1990年代初め、マンチニ(当時はサンプドリアの選手)を獲得するためジェノアの彼の家に行き交渉した覚えがある。海辺の瀟洒なイタリアンハウスで美味しい魚料理をごちそうになった。普段は紳士であるだけにプレーも優雅な日本向きの選手であった。

 残念ながら彼は日本でプレーすることはなかったが、ヨーロッパトッププロとしてその後も活躍、その後コーチ、監督としてユーロ制覇の栄誉を勝ち得た器量に敬意を表したい。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)

伊藤 庸夫