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大津一貴のエンジョイフットボールライフ『モンゴル代表14失点の真実とは?』

21・04・11
 上:上段写真/モンゴルで速報された試合結果の画像
 
 上:下段写真/日本在住のモンゴル人サポーター

(写真はいずれもモンゴルサッカー協会オフィシャルFacebookより)

 
 2021年3月30日、カタールW杯アジア2次予選・日本代表対モンゴル代表の試合が開催されました。サッカーファンの皆さんであれば結果はご存知の通り、14対0という歴史的大差で日本代表が勝利。この結果を見ると、「モンゴル弱いな」だけで終わってしまうかもしれませんが、モンゴルリーグで長年プレーしてきた私にとっては、このスコアだけで読み取ることの出来ない様々な感情が湧いてきました。

 そこで今回のコラムは、モンゴル代表が発展してきた歴史と今後の未来について考えていきます。

◯モンゴルのサッカー事情
 モンゴルサッカー協会が設立されたのは1959年で、FIFA(国際サッカー連盟)とアジアサッカー連盟への加盟が認められたのは1998年。つまり、サッカーの歴史がまだまだ浅い国の1つです。そのため、代表チームが初めてW杯予選に参加したのは、2002年の日韓大会予選となります。ちなみに、日本サッカー協会の設立は1921年、FIFAに加盟したのは1929年です。日本とモンゴルにおいて、FIFAに加入した年数を切り取ると「69年」という長い年月の差があります。

 2019年に開催されたW杯カタール大会アジア1次予選ではブルネイ代表を下し、モンゴル代表史上初のW杯アジア2次予選進出を果たしました。それだけに、2次予選を戦えること自体が同国代表にとっては特別なことであります。ましてや、アジアを代表する日本代表のようなチームと試合が出来ること自体、大変光栄なことだと言えるでしょう。

 国内リーグにおいても、本格的にプロリーグとして運営が組織されたのは、ここ数年の話しです。たとえば、私が初めてモンゴルでプレーした2015年シーズン、年間のスケジュールが発表されたのは「開幕戦の前日」でした。そのため、開幕戦の前日練習中に「対戦相手は昨年王者のチームだって!」と聞いたときは、びっくりさせられたものです。また、2015年シーズンでは、開幕戦までに「新しいユニホームが完成しない」というハプニングが私のチームで発生しました。そこで、急遽「練習着」に背番号を貼り付けて開幕戦を迎えることに…。日本のJリーグとは、かけ離れた環境であるのが現実です(確か草創期のJリーグでも、サンフレッチェ広島がチームユニホーム不備でサポーターのユニホームを借りて試合をした逸話も…)。

 しかし、近年は開幕戦の前日にスケジュールが発表されるようなことも無くなりました。ユニホームに関しても、必ず背番号と名前を入れるルールが定められ、練習着で公式戦に出場するようなことは出来ません。運営体制の整備やサッカー協会の努力に比例して、モンゴル代表も少しずつ結果が出るようになりました。代表チームには外国人監督を招聘するようになったり、国内リーグでも実績のある外国人選手や外国人監督を加入させるチームが現れるなど、モンゴルサッカー界が大きく活性化されてきたのが2010年代後半です。

 サッカー協会の整備、国内リーグ運営の改善など、モンゴルサッカー界が様々な取り組みを行ってきた過程における大きな結果の1つが、今回の日本代表との試合でした。だからこそ、モンゴル代表の選手たちは失点を重ねても、現在の自分たち(=モンゴル)の立ち位置を知るために、最後まで逃げることなく戦い続けたのです。

 
 上写真/練習着に背番号が貼られた2015年のユニホームを着た前列左から3人目の大津選手(FCウランバートル)


◯不利な試合条件
 3月30日、千葉県のフクダ電子アリーナで開催された今回の試合ですが、本来であれば2020年3月30日にモンゴルのホームで開催される予定でした。しかし、新型コロナウイルスの影響によって試合日程は大きくずれ込み、さらにはモンゴル政府の厳しい規制によって、ホーム開催を断念せざるを得ない状況となりました。

 モンゴルのサッカーファンたちは、日本代表との試合をとても楽しみにしていたので、モンゴルでのホーム開催が叶わなたったことは本当に残念です。また、モンゴルのホーム開催時に使用する予定だったスタジアムは、普段のリーグ戦で選手たちがいつも使用している「人工芝」のピッチです。さらに、3月下旬の現地の気候はまだまだ寒く、ときには雪が舞う日もある時期です。その点をふまえると、今回のモンゴル代表にとっては、ホーム開催が出来なかったことによって、大きなアドバンテージを失ったと考えられます。モンゴルでの開催が実現していたら、14得点も差が生まれなかった可能性も十分考えられます。

 また、コロナ禍によって2020年シーズンのモンゴルリーグは、7月から9月の短期決戦となり、2021年シーズンもまだ開幕しておりません。そのため、国内リーグでプレーする代表選手たちは、昨年の9月を最後に公式戦から遠ざかっている状況でした。そして、2020年末から新型コロナウイルスの感染者が増えた同国では、度重なるロックダウンを実施。そのことにより、選手たちも満足に練習が出来なかったようです。

 3月からはトルコへの遠征を実施し、なんとかアジア2次予選の試合を戦うコンディションを整えたモンゴル代表の選手たち。もちろん、真剣勝負の場で環境を言い訳にすることは出来ませんが、なかなか難しい状況にあったことは確かな事実です。第三者である私は、「もっと、ベストな環境で試合をすることが出来ていれば…」と思ってしまうのが、今回の試合に対する正直な感想です。


◯大切なことは「心」
 以上のことを考慮すると、日本とモンゴルにおけるサッカーの「差」は、開きがあって当然と捉えることが出来ます。もちろん、今後はさらに発展していくことが期待されますし、私自身もモンゴルサッカー界に少しでも貢献したいという気持ちを強く抱いています。現在の日本代表はアジアNo.1の呼び声が高く、W杯本大会への連続出場「6回」が物語るように、「世界に一番近いアジアの国」と称することが出来るでしょう。

 しかし、かつては日本代表もアジアで勝ち抜けない歴史がありました。そのことを踏まえると、今後のモンゴル代表にもW杯へ出場するチャンスは、0ではないと思います。現時点では、アジアNo.1と「14得点」の差がありますが、その差が縮小されていく未来がくるかもしれません。

 そのように感じさせてくれたのは、モンゴル代表選手たちが試合で見せた「戦う姿勢」です。

 大量失点により、「ラフプレー」、「勝負を捨てる」という選択も起こり得る状況でした。しかし、彼らは最後まで諦めることなく、今持っている全力を出し切ってプレーしていました。そのサッカーに対する姿勢は、試合を通じて一番「心」を動かされた瞬間であり、私自身も改めて「サッカーを全力でプレーしよう」と思わされた次第です。

 このように、人の心を動かすことが出来るモンゴル代表の選手たちに、私個人だけではなく、多くの日本の人たちにとって学ぶべき点があるのではないでしょうか。今の日本社会に欠けている、大切な「心」をプレーで魅せてくれた選手たちに、改めて感謝を伝えたいと思います。


 上写真/近年のユニホームを着た大津選手(2019年シーズンのFCウランバートル)


◆大津一貴プロフィル◆
 少年時代は、札幌山の手サッカー少年団とSSSサクセスコースに所属。中学校時代はSSS札幌ジュニアユース。青森山田高校から関東学院大学へ。卒業後は一般企業へ就職。
2013−2014年は、T.F.S.C(東京都リーグ)
2015年FCウランバートル(モンゴル)
2016年スリーキングスユナイテッド(ニュージーランド)
2017年カンペーンペットFC(タイ)
2018年からは再度FCウランバートル(モンゴル)でプレーし、優秀外国人選手ベスト10に選出された。
2019−20年もFCウランバートル所属
大津 一貴