サッカーアラカルチョ

一覧に戻る

弊紙発刊の書籍が好評につき、販売店舗拡大中!【一部抜粋して紹介】

19・03・11
 上写真/コーチャンフォー新川通り店で、目立つコーナーに平積み販売されている「100万円も借りられなかったNPOが、街クラブ日本一の施設を造った奇跡の物語」。平積みされるのも注目の証し


 2017年、Amazon初登場でカテゴリー別4位、その後口コミで広まり、大型書店「コーチャンフォー」でも取り扱いが開始された書籍「100万円も借りられなかったNPOが、街クラブ日本一の施設を造った奇跡の物語」(出版元:北のサッカーアンビシャス、税込1,080円)が、全国のサッカー関係者から注目を集め、絶賛発売中だ。

 現在、道内でも問い合わせが増え、コーチャンフォー新川通り店、ミュンヘン大橋店、釧路店、北見店と、取り扱い店舗が拡大中(各店舗、売り切れの場合はご容赦を。その他の店舗では取り寄せ販売も可)。

 本紙では、本の中身を少しずつではあるが紹介している。16回目は第二十の巻「バルサもマンUも地域の街クラブから始まった!」を抜粋し、紹介したい(登場人物の年齢、所属などは2017年出版時となります)。


【以下書籍より一部抜粋】

第二十の巻「バルサもマンUも地域の街クラブから始まった!」

 SSSのスーパーバイザーを務めるのは、日本にJリーグが誕生する前のJSL時代にフジタ(フジタ工業クラブサッカー部。後の湘南ベルマーレ)や日産(日産自動車サッカー部。後の横浜F・マリノス)で活躍したアデマール・ペレイラ・マリーニョ氏(63歳)である。アデマール氏は、1975年、当時の札幌大学サッカー部監督でSSSの創設者でもあった柴田勗氏(84歳)に招聘され、留学生として来日。札大サッカー部での活躍から、1年ですぐにJSL(ジャパンサッカーリーグ、Jリーグが始まる前のトップリーグ。その後JFL=ジャパンフットボールリーグに変更)チームに引き抜かれ、JSL1部で通算137試合出場、50ゴールを奪うなど当時のスター選手だった。

 アデマール氏は、1979年のSSSの設立当時からブラジル流のサッカーや指導法についてアドバイスを送っており、2003年からは正式にスーパーバイザーに就任。現在も子どもたちと一緒になってボールを蹴るなど、ブラジルサッカーの伝道師として交流を続けている。


 上写真/2016年5月、クラブハウス完成記念イベントで子どもたちと一緒になってサッカーを楽しんでいるSSSスーパーバイザーのアデマール・ペレイラ・マリーニョ氏。よく見ると分かるが、右足のシューズが無くなっている。おそらくPKでシューズを飛ばしてから(ずるをして)逆サイドにシュートを決めたのだろう。子どもたちの「えー!?」という表情からもうかがえる。さすがのマリーシア(?)である


 SSSがホーム施設を持とうとドリームプロジェクトを始めた際にも、「ホーム施設を持ったらどんどんクラブも発展するでしょうし、夢も広がります。ここからは本当に夢の話ですが、将来はJリーグの舞台でコンサドーレとダービー戦が出来たら最高ですし、北海道のサッカー熱もさらに盛り上がるでしょうね。これは確かに夢のような話ですが、バルサやマンUも、それにブラジルのほとんどのプロクラブも、歴史の最初はアマチュアの街クラブから始まっています。SSSだって、その可能性が全くないとは言えないでしょう!」と、クラブ員の前で熱く語った。

 その後、人工芝グラウンドやクラブハウスが完成した時には、特命チームを始めとするスタッフの前で、「この仕事のペースは本当にすごい! 確かにいずれは出来ると思っていたけど、正直言って、こんなに早くプロジェクトが進むとは思っていなかった。プロクラブでもなく、大きなスポンサーも持たないNPOクラブの規模から考えて、奇跡と言っても間違いないと思う。これなら本当に夢のような話が進むかもしれないね!」。毎回深夜まで及ぶサッカー談義に花を咲かせる。

 アデマール氏によると、Jリーグチームでも、土地の名義から施設に至るまで、自治体や企業持ちではなく、全てクラブで所有しているのは、ほんのわずかだけだという。それがアマチュアの街クラブとなれば、なおさらに存在意義と価値があると力説していた。

 「その存在意義とつながることでもあるのですが、SSSだけの視点ではなく、日本のサッカー全体を見て、大きな問題も感じていました。それは日本では高校卒業ぐらいでサッカーを“引退“するとか言うでしょう。今はだいぶ変わってきていると思うけど、プロ選手で一線からの引退なら分かるけどアマチュアサッカーならいろいろなカテゴリーがあるし、そもそも引退する(サッカーから離れる)必要がないですよね。

 サッカーはプロ選手だけのものではないし、応援するサポーターや、プレーを楽しむアマチュアサッカーがあったり、サポーターまでいかなくても、とにかくサッカーを見たり語り合ったりするのが好きなど、様々なかかわり方があってこそのサッカーですよね。時間は掛かるけど、そのサッカーファミリーの全ての枠が増大することが、結局はサッカー先進国への近道だと思います。日本各地のどこでも気軽にサッカーにかかわれるように、充実した環境を持つ街クラブもどんどん増えて欲しいですね」。最後にアデマール氏は日本サッカーの未来に大きな期待を寄せて語っていた。

 アデマール氏と同じく日産で大活躍した、元日本代表の10番と言えば、木村和司氏(59歳)だろう。1993年の華やかなJリーグ開幕時代まで横浜マリノスの中盤に君臨し、日本プロサッカーの発展を見届けるかのように1995年に現役を引退。その伝説的なプレーの数々は、ここで説明するまでも無いだろう(233試合出場51得点61アシストなど輝かしい選手歴は、木村和司氏が理事長を務めるNPO法人スポーツコミュニティ・シュートのホームページをご覧くださいhttp://www.shoot-jungle.org/staff/01.html)。

 2017年、SSSのホーム施設に訪れた木村氏は「今回、SSS札幌のホーム施設に行くよと、アデマールと連絡を取り合っていて、話に聞いてはいたんだけど、実際に来てみると想像よりすごい施設だね。ワシも横浜でフットサルのコート3面を持ってスクールもしているけど、ここはやっぱり北海道らしい規模で驚いたよ。しかもグラウンドだけではなく、クラブハウスに屋内交流施設もあるんだもんね。こりゃすごいよ。うちの施設はtotoの申請をしていないけど、今度考えてみようかな。その時は秘密教えてよ」と、柴田に笑顔で話す。


 上写真/上写真/2017年8月、SSSグラウンドに訪れ、笑顔で柴田(右)と握手をする元日本代表10番木村和司氏(左)。「木村さんが現役時代、もちろん練習試合でしたが、室蘭で対戦させていただいたことが強く思い出に残っています」と柴田が伝えると、25年ほど前の懐かしいエピソードに「当時は北海道合宿があったからね。そんなこともあったんだのう」とおどろく一幕もあった


 当日ホームグラウンドで行われたクリニックで木村氏は「真剣に遊ぶようにサッカーを楽しもう!サッカーを好きになったら、もっともっとうまくなるよ!」と、子どもたちに愛情のこもったアドバイスを送る。子どもから「今までで一番うまいと思った選手は誰ですか?」という質問に対しては、「そりゃ自分でしょ。わっはっは。まぁホントのことを言うと、自分より年下ではいないと思っていたけど、実際にやってみてうまかったのは、やっぱりマラドーナかな。本当にすごかった。あいつは天才よ。今ならみんなも知っているメッシがうまいね。見ていても面白いよね」。その重みのある言葉は子どもたちよりも、親世代から「オー、やっぱり」と納得の歓声が上がっていた。

 SSS21期卒業生で、2017シーズン京都サンガF.C.所属の伊東俊選手(29歳※2018年からロアッソ熊本所属)は、「クラブハウスの中をしっかりと見たのは初めてですが、いろいろ設備も整っていてびっくりしました。さらに屋内施設も完成と、ある意味プロクラブが持っている施設よりすごいかもしれませんね。自分の育ったクラブが発展していくのはうれしいですし、今いる子たちにも応援してもらえるよう、私自身も頑張ろうと思います」と、少年時代から変わらぬ笑顔でにこやかに話していた。
 
 23期卒業生で、22歳の時にがんにかかるという大病を乗り越え、その後モンゴル、ニュージーランド、2017年シーズンはタイのKamphaengphet FC でプロ生活を送る大津一貴選手(27歳※2018年はモンゴルのFCウランバートルに所属)は「今回、SSSのホーム施設でトレーニングすることが出来て、改めて海外のプロクラブに負けないぐらいの素晴らしい環境と伝統があると思いました。また、僕のようなOBが気軽に帰ってこられる故郷のような場所でもあると感じていますし、サッカーを通じて人生が豊かになることを、卒業した現在でもSSSから学んでいる気がします。このようなクラブ体制は日頃活動する子どもたちだけではなく、クラブにかかわる全ての人たちが自信と誇りを持って良いのではと思いますし、私も海外でSSSの誇りを持って戦いたいと思っています。そして、これからも目標とされるようなクラブであり続けて欲しいと願っています」と、海外生活でたくましく日焼けした顔で語っていた。

 30期卒業生で、現在北海道コンサドーレ札幌所属の進藤亮佑選手(21歳)は、整備されたSSSのホームグラウンドに訪れた際、2階観覧室からグラウンドを眺め「自分たちの時とは環境が大きく変わって、素晴らしい施設になっていて驚きました」。練習後の子どもたちには「この良い環境が当たり前になってしまっては、ハングリーさというか、気持ちの強さが出てきにくいのかもしれません。自分は、気持ちの強さでプロになることが出来ましたし、これからも成長したいと思っています。練習している皆さんも、気持ちの部分で負けないで、誰よりも頑張ったら将来プロになれる可能性があると思います」と、エールを送っていた。

 道内の高校サッカー指導に長らくかかわり、定年退職後、賛助会員として、時にはボランティアスタッフとしてかかわる音島信介氏(66歳)は「クラブハウスからの風景を見て、指導者研修で訪れたドイツのプロクラブを思い出しました。確かにトップクラブの施設は、日本とは比較にならないようなグラウンドが何面もある規模なのですが、田舎にある小さな規模のクラブは、牧歌的な風情の中に施設があるなど、おらが町のクラブというような雰囲気もありました。SSSもさらに歴史を積み重ねればそのような地域に愛されるクラブになるかもしれませんね。また、昔のことになりますが、自分も教員を辞めてサッカー仲間と自分たちのサッカークラブを作りたいよなぁ、と夢見事のように話していたことも思い出します。そんな時代のことを考えるとこの施設は本当に夢のフィールドです」と、遠くを眺めるように話していた。


―この続きにご興味のある方は、ぜひ本書でお楽しみください。店頭でのご購入はコーチャンフォー(新川通り店、ミュンヘン大橋店、釧路店、北見店で取り扱い中。他店舗はお問い合わせください)か、Amazonでも送料無料で販売しております(Amazonサイト内で、「SSS札幌」、もしくは「SSSサッカー」で検索するとトップページに表示されます)。

 あなたも奇跡と呼ばれたプロジェクトの証人となる!?

編集部