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ヨーロッパフットボール回廊『マンチェスターユナイテッド王政復古か』

19・01・14
 新年明けましておめでとうございます。フットボールを愛する皆様にとってより良き年でありますように。

 さて、プレミアリーグでは昨年12月16日がマンチェスターユナイテッド(以下MU)の分岐点となった。

 この日MUは、宿敵リバプールとのアウエーの戦いに成すことなく1−3で完敗。トップのリバプールに勝ち点で19ポイント離され、6位に低迷、リーグ優勝の目は無くなった。MU幹部、サポーター、そして選手からの信任も得られなくなったモウリーニョ監督の更迭は必至となった。

 『Mr.3 Years』 と揶揄されているモウリーニョ監督は、ポルトの監督となった2002年から、ほぼ3年ごとにヨーロッパトッププロクラブ(2002年−04年ポルト、04年−07年チェルシー、08年−10年インテル、10年−13年レアルマドリッド、13年−15年チェルシー)を渡り歩いてきた。それぞれのクラブで優勝をさせてはいるが、3年を超える監督経験はほぼなく、MUのレジェンド、アレックス・ファーガソンの27年もの長きにわたった「マンチェスタースタイル」は消え、金で集めたスター選手を抱えるエゴイステックなチームに変質してしまった。

 MUのスタイルは言うまでもなく、攻撃的なフットボールであり、次から次へと金太郎飴のように生まれてくるクラブのジュニア、ユースアカデミー上がりの生え抜きレッズ選手が主力となり、世界のトップ選手を加えての正しく「マンキュニアン(マンチェスター出身)」のクラブであったはずであった。

 しかし、モウリーニョ監督は育成の監督ではなく、トップエゴイステックな選手を3年間で350百万ポンド(約500億円)を使って移籍補強し、彼らを高圧的に指導するタイプの監督であった。ロシアW杯フランス優勝の立役者であった、MUユース育ちのポグバをユベントスから獲得したが、戦術的にマッチしないとして干してしまった。アーセナルから獲得したチリ代表のサンチェスもモウリーニョ独自のスタイルに合わず、出場機会を失っていった。イングランド代表左FBのショーも出場機会がなくなるなど、伝統的なMUカラーからは程遠く、就任直後からいつ更迭されるかが賭けの対象になっていたほどである。

 そして12月18日、リバプール戦で敗北の2日後、さすがに堪忍袋の尾を切ったMU幹部は彼を更迭したのである。やはり『Mr.3 years』であった。彼の後任には元フランス代表、レアルマドリッドのジダンの噂が広がったが、思いもよらぬ選択が行われた。

 ノルウェーのクラブ、モルデの監督である「Ole Gunner Solskjaer」がとりあえず、2019年5月のシーズン終了までの暫定監督として任命されたのである。「Solskjaer」は彼の名前の発音は難しいが、一番近いのは「ソルシアー」であろう(日本では、スールシャールと表記されているが)。

 彼はノルウェーの地元モルデでプレーしたあと、1996年MUに移籍し2007年まで選手として在籍、『童顔の暗殺者』というあだなが付くほどスーパーサブに徹し、366試合出場126点を挙げたストライカーである。

 彼が一躍スターダムにのし上がったのは、1999年のシーズン、MUは3冠を獲得した時である。5月にプレミア優勝を決め、その後The FA Cupに優勝し、5月26日迎えたバイエルンミュンヘンとのヨーロッパチャンピオンズカップに途中出場ながら決勝点を決めたのである。奇跡のゴールともいえるこのゴールは、92分17秒に左CK(ベッカムが蹴る)を「なぜ彼はそこにいたのか」と言われる右サイドに詰めたソルシアーの右足ボレーでのボールがネットイン。2−1と逆転勝利し3冠を収めた立役者であった。

 MU選手引退後は、MUのリザーブチームコーチとしてコーチの道に進み、当時ユース選手であった、かのフランス代表となったポグバを育てたコーチでもあった。そして子弟再会を果たし、MUの選手の中でモウリーニョに干されていたポグバにとって、MUから移籍するのではという噂を払拭する人事でもあった。

 案の定、ソルシアーのMU復活第1戦目は12月22日、彼が2014年に一時監督をしていたカーディフとのアウエーの対戦に5−1と大勝した。生き生きと攻撃的なスタイルを標榜し、愛弟子ポグバは12月26日のハダスフィールド戦で2得点、幸先の良いスタートとなった。

 ソルシアーは暫定監督就任のあいさつで、「伝統のあるMUに戻り、MUの攻撃中心のスタイルを復活したい。そして伝統のMUのユースからの生え抜きの選手を活用していきたい」と語り、MUの伝統的特徴を強調した。

 コーチにはファーガソン監督時代のヘッドコーチであったマイク・フェーランを起用、更に元MUの選手でありユース担当コーチとして定評の高いマーク・デムジーを採用。新布陣でモウリーニョの『Money Football』から『Attacking Football』への転換をしつつある。

 その後、現在までの試合は負けなしの6連勝、得点17点、失点3となっている。
12月22日:対カーデイフ(Away勝):1−5
12月26日:対ハダスフィールド(Home勝):3−1
12月30日:対AFCボーンマス(Home勝):4−1
 1月 2日:対ニューキャッスル(Away勝):0−2
 1月 5日:対レデイング(Home勝−FAcup3回戦)2−0
 1月13日:対トッテナム・ホットスパーズ(Away勝):0−1
 そして、この就任後6連勝は74年ぶりのクラブ新記録になった(かのサー・マット・バスビーの1945年の5連勝を超えた)。
 
 この結果を踏まえ、サポーターからは王政復帰の声高く、このまま勝利街道を進めば、来シーズンあえて、ジダンとかの名前だけの監督を探す必要はないと声を上げ始めた。

 この体制が結果を伴い続くことをマンチェスターユナイテッドファンは望んでいるが、果たしてどうなるか注目である。

 余談であるが筆者は、ファーガソン監督時代、当時1968年ヨーロッパチャンピオンズになった時の主将、ビル・フォーケス(元広島監督、故人)を伴い、MUの練習場へ出向き練習を見学させてもらっていた。

 ビルは広島の前はノルウェーのモルデの監督をしていたことから、ソルシアーを日本の広島へ移籍させようとしたが、MUのファーガソン監督は首を縦に振らず、彼の日本行きは実現しなかった思い出がある。

 またデムジーは、90年代MUのユースコーチのかたわら、マンチェスター地区の学校、下部のプロクラブの選手に巡回コーチをしており、日本の高校チームが遠征合宿するときは彼に指導してもらっていた。非常に教え方がうまいコーチである。

 新体制が続行することを個人的にも望んでいる。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫