サッカーアラカルチョ

一覧に戻る

弊紙発刊の書籍が全国で絶賛販売中!【一部抜粋して紹介】

18・11・11
 上写真/「100万円も借りられなかったNPOが、街クラブ日本一の施設を造った奇跡の物語」の表紙(左側)。右側は2014年9月に北海道で初めて導入された省エネ型LEDナイター照明


 昨年Amazon初登場でカテゴリー別4位、その後口コミで広まり、大型書店「コーチャンフォー 新川通り店」でも取り扱いが開始された書籍「100万円も借りられなかったNPOが、街クラブ日本一の施設を造った奇跡の物語」(出版元:北のサッカーアンビシャス、税込1,080円)が、全国のサッカー関係者から注目を集め、絶賛発売中だ。

 本紙では、昨年の12月号から本の中身を少しずつではあるが紹介している。12回目は第十三の巻「道内初導入の省エネ型LEDナイター照明」を抜粋し、紹介したい。


【以下書籍より一部抜粋】

第十三の巻「道内初導入の省エネ型LEDナイター照明」

 2014年、前年に完成していた人工芝ホームグラウンドも活用されてはいたが、ナイター照明は設置出来ていなかった。スポーツ振興くじ助成金は同時に複数件の申請も可能であるが、大型の施設整備関連助成の場合、定められた割合に応じた自己資金も必要になる。

 SSSが2013年に申請したグラウンドの人工芝生化は、事業費(対象内経費)6千万円の内、4/5割合の最大4千800万円が助成金となり、残りの1/5割合の1千200万円は自己資金として用意しなければならない(6千万円で総事業費が収まらない場合、超過分は自己資金で賄わなければならない)。2014年に申請した周辺整備助成のナイター照明設置では、事業費(対象内経費)3千万円の内、2/3割合の2千万円が助成金となり、残りの1/3割合の1千万円の自己資金が必要だ。

 その自己資金確保の理由からも、SSSでは同年度の同時事業とはせず、人工芝生化とナイター照明設置の年度を分けて助成金の申請をした(もし、資金的に余裕のある団体は、同年度に行っても良いだろう。その際は優先順位をつけて申請する)。

 ナイター照明の施工業者の選定方法は、3社以上の見積もり合わせで行った。この選定では、価格での競争はもちろんのこと、照度(明るさ)や耐久性、保証内容も加味し、最終的には、株式会社ソディックLED(本社神奈川県)に決まった。

 ソディックLEDの社名にある通り、SSSが採用したのは、省エネ型のLEDナイター照明。現在ではLEDのナイター照明は当たり前となっているが、設置した2014年に屋外用の単一光源LEDナイターは道内初採用のことだった(詳細は同社のホームページ「PIKAシリーズ」を参照いただきたい。http://www.sodickled.co.jp/)。

 ちなみに、見積もり合わせに参加した他社メーカーも、新商品のLEDナイターが出そろったが、同等の明るさを出すためには、多くの台数が必要となり、価格の面でも差が出た。ただし、このLEDナイター照明の各製品も日々進化が著しい分野とのことで、各団体採用の際には、最新の情報を入手していただきたい。

 ソディックLEDの常務取締役、川股要一氏(63歳)は「本社は横浜市ですが、少年サッカーでSSSは全国区で有名です。私自身も北海道に縁があり、当社製品が道内初導入となり、うれしかったです。また、その後も全道、全国での導入が進み、大変好評を得ています」と、自信をみせた。さらに「実は、四国のFC今治にも導入していただいており、その時は、SSSのことはあまり分かっていなかったようですが、進めているプロジェクトも素晴らしいと代わりに自慢してきましたよ。その後全日本少年サッカー大会で、SSSが今治の下部組織を破ったので、知られた存在となったのではないでしょうか? それにしてもサッカーのつながりは面白いですね」と、全国津々浦々に広がる人脈とエピソードを語ってくれた。

 上:上段写真/2014年9月、北海道で初めて屋外用LEDナイター照明(省エネ型単一光源)が設置されたSSSホームグラウンド
 上:下段写真/明るい光に照らされて、夜間でもゼブラ模様の人工芝が鮮やかに輝く


 ソディックLEDの親会社の株式会社ソディックは、連結売上618億円(平成29年3月期発表。連結子会社22社。従業員数3千415人。個別売上393億円)という東証一部上場の企業。川股氏は、全国を飛び回る忙しいスケジュールの中、LEDナイター設置後もスケジュールの合間をぬってSSSに訪れていた。「SSSのプロジェクトは興味の持てる話でしたし、プロジェクトリーダーの柴田氏の発想が面白く、実行力も素晴らしい。一度当社の会長に会ってみては。セッティングしましょう」。
また日帰りで川股氏は札幌を立って行った。

 そして2015年2月。北海道も一番寒い時期を迎えていたが、神奈川県横浜市のソディック本社へ特命チームの3人があいさつを兼ねて伺うことになった。これは北海道のあるある話なのだが、真冬の新千歳空港(札幌駅から快速電車で約37分。冬季は、高速道路が通行止めになることも多いので、車の移動は時間の計算が難しい)では、雪の影響により飛行機の欠航や、離発着時間の変更もめずらしいことではない。それを見越して、用意周到な(事前に用意しないと落ち着かない)タイプの土橋は、前日に横浜に入るスケジュールで調整。予定通り移動で困ることはなかった。

 しかし、土橋の気持ちは落ち着くことは無かった。なぜなら、北海道の一NPO法人が、東証一部上場企業の本社で、業界では伝説と称されるような会長さんに直々に会わせてもらう機会なのだ。セッティングをしてくれた川股氏からも、「会長は、誰でも会える方ではありません。時間も長くて15分程度。その場の雰囲気を見てお伝えしますね」と、やさしく念を押されていた。

 当日となり、さらにソワソワし始めた土橋は、時間を早めて移動することを提案しようとしていた。岩手県二戸市の大自然(田舎)出身で、その後北海道というおおらかな環境で育っていた土橋の頭の中には“俺ら東京さ行ぐだ“(おらとうきょうさいぐだ。吉幾三氏1984年発表)が流れるほど地に足が付いていなかったのだ。正確には東京ではなく神奈川県横浜市だったが。

 柴田はというと、これからの大事な会談の前に、目を閉じていつになく集中している・・・。土橋は思った。『ん?まさかとは思うが、もしかして寝てるのか。いやいやさすがに今回はないだろう』。移動中も相談の出来ない土橋の緊張感はどんどん高まっていった。

 こういった時に頼りになるのは田古嶋だ。慣れない大都会で最適な交通手段を選択し、予定通り10分前に到着。本社の大きさに圧倒されながら、3人は大きなガラス扉を開け、広いロビーを時計回りに見渡した。

 すると右手奥にある受付の前で2人のビジネスマンが話し込んでいた。それも営業で来た若手のサラリーマンには見えず、明らかに役職がありそうなベテラン2人だった。

 あまり近くに寄るわけにもいかなかったが、受付への順番待ちもしなければならず、特命チームの3人は距離を取りながら後ろに並んだ。3メートルほどに近付くとおぼろげに聞こえてきたのは「〜〜かくかくしかじか〜〜なので今回は〜〜」と、やんわりとお引き取りを促されていた。それを目の前で見ていた土橋は、『俺ら東京さ行ぐだ気分の自分たちは大丈夫〜? ここからいきなり札幌に帰るのか〜』・・・さらに不安が募る。

 直後、特命チームの受付順番となり、「札幌から(ノコノコのほほーんと)来ましたSSSの〜」と、いうが早いか、受付の方は「伺っております。おつなぎします」。笑顔で出迎えていただき一安心。直通エレベーターで最上階の会長室に通してもらった。

 長い廊下を抜けた先に待っていたのは、株式会社ソディックの古川利彦代表取締役会長(77歳※)。

※古川会長は、1963(昭和38)年に、自らの論文で理論を唱えていた「電極無消耗回路」を発明。当時、日本では放電加工の研究が未発達だったため、周りからは認めてもらえない中、諦めずにその後も研究を繰り返した結果、ついに世界初となる 「電極無消耗トランジスタ電源」の開発に成功した。
詳しくはソディック社ホームページ「創業前夜」
(http://www.sodick.co.jp/st/history/01/age01.html)
その他「放電加工にかけた夢」(2005年3月古川利彦著:日刊工業新聞社)
「創業者が語るソディックの経営−顧客のために歩んだ発明の日々−」(2018年3月古川利彦著:日刊工業新聞社)をご覧いただきたい。

 上:上段写真/ソディックLED社の「PIKA」シリーズ
 上:下段写真/SSSホームグラウンドに掲示されたソディックLED社の特大バナー


 圧倒的なオーラに土橋が怯んでいると、北海道名産(本州でも有名な白い恋人など)を持った柴田がすっと前に出る。「初めまして、SSS札幌の柴田と申します。本日はお忙しい中、貴重なお時間を〜〜〜」と、滞りなくあいさつした後、「真冬の北海道からおみやげをお持ちしました。お土産に雪は乗っていないと思いますけど。あっ乗ってても、もう溶けてますよね。わっはっはー」。何を思ったか、いつも通りの雰囲気で冗談を言い始めたのである。これには土橋も 『何つまらないオヤジギャグなんかを言ってくれてんだー。この大事な時にー!』と、札幌雪まつりの雪像のように凍りついたという(おそらく周りにいたお偉い方々も・・・)。

 その結果は――というと、古川会長は終止笑顔で柴田の話に耳を傾け、「技術、知恵、経験を大切に決意を持って取り組めば、困難な事業も進むでしょう。子どもたちのためにぜひ頑張って」と、貴重なアドバイスや心強いエールも送っていただけるなど、当初10分程度の予定が、1時間を超える密度の濃い話し合いの場となったのである。

 最後まで土橋の緊張と雪像から溶け出るような冷や汗は止まることはなく、お礼のあいさつ終了後も、ピンと伸びた姿勢がますます良くなって反り返るように帰って行った。札幌へ向かう飛行機の中、深く腰掛けたシートでやっと落ち着き、背筋がS字を取り戻しつつあった土橋は、一日の全てを振り返る。考えてみると柴田はビジネス的な話はしていなかったような気がしてきた。そこで、隣に座って羽田空港で買った甘いものを頬張る柴田に問いかけた―。

 
―この続きにご興味のある方は、ぜひ本書でお楽しみください。店頭でのご購入はコーチャンフォー新川通り店(他店舗はお問い合わせください)か、Amazonでも送料無料で販売しております(Amazonサイト内で、「SSS札幌」、もしくは「SSSサッカー」で検索するとトップページに表示されます)。

 あなたも奇跡と呼ばれたプロジェクトの証人となる!?

編集部