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弊紙発刊の書籍がAmazonとコーチャンフォーで!【一部抜粋して紹介】

18・02・11
 上写真/左側は「100万円も借りられなかったNPOが、街クラブ日本一の施設を造った奇跡の物語」の表紙(三角屋根が多目的屋内交流施設。隣が2階建てのクラブハウス)。右側はカラーページで紹介されている人工芝ホームグラウンドの写真


 昨年11月にはAmazon初登場でカテゴリー別4位、口コミで広まり、昨年末には大型書店「コーチャンフォー 新川通り店」でも取り扱いが開始された書籍「100万円も借りられなかったNPOが、街クラブ日本一の施設を造った奇跡の物語」(出版元:北のサッカーアンビシャス、税込1,080円/冊)が、全国のサッカー関係者から注目を集め、絶賛発売中だ。

 本紙では、昨年の12月号から本の中身を少しずつではあるが紹介している。3回目は第三の巻「100万円も借りられない・・・」から一部を抜粋したい。


【以下書籍より一部抜粋】

第三の巻「100万円も借りられない・・・」

 「2002年のNPO設立時には、100万円も借りられませんでした。このような苦労話は、NPO草創期の市民活動の旗振り役でもあった上田文雄前札幌市長とも当時のあるある話として盛り上がりました」。

 さらりと前札幌市長の話が出てきたが、昨今の経歴詐称やら何やらのニュースで、疑い深くならざるを得ず、その話の真偽を確かめると、平成26年8月29日に、当時の札幌市長であった上田文雄氏に招待される形で、柴田が直々に表彰を受けているのは公式に確認が取れたので間違いないようだ(念のため入手した写真、表彰状のデータを載せよう)。

 上写真/感謝状を受け取り当時の札幌市長上田文雄氏(左側)と握手をする柴田(右側)。写真は2014年8月29日、札幌市役所市長応接室


 曰く、「その状態から、事業と信頼を積み上げ、銀行の方からも融資に値すると判断されるプロジェクトを練りました」。それが、2009年に迎えたSSSの30周年で発表されることとなるSSSドリームプロジェクトであり、

「自クラブで土地を買ってホームグラウンドを持つ!」の第一歩となるのである。

 初期の計画では、ホームグラウンドを第一目標としていたが、正確には土地の購入のみを前提で進めていたのではなく、既存施設の買収も視野に入れていた。しかし、ここで問題なのはとにもかくにも資金の問題と、ホームとなる土地や、買収物件の選定だった。

 まず、資金については、メインバンクの銀行担当者との折衝が始まり、同時に土地や買収物件の選定も進めていた。希望に合う土地の購入や施設の買収に至らなければ、土地の借用や、さらには指定管理者制度で既存施設を管理し、ホーム施設とすることも視野に入れていたという。

 実際の交渉事例を追っていくと、グラウンド用地の購入と既存施設の買収には、まとまった資金が必要であった。土地の借用となると、購入時と同じ問題でグラウンドサイズ(大人用の公式フルピッチなら105メートル×68メートル+駐車場など付帯設備用の土地も必要)の未利用地は少なく、選定場所の選択肢も少ない。また、指定管理者制度では制約が多く、自由度は低い。

 つまり、簡単に説明すると次のような構図となる【資金リスク、メリット、デメリットを大・中・小で表記】

パターン1
⇒土地や既存の施設を購入する場合
【資金リスク大→しかし→将来性、拡張性も大】
・多額の自己資金が必要となり、借入金で購入する場合には返済の負担も大きい。しかし、その後の施設整備や運用などの自由度は高い。

パターン2 
⇒土地や既存施設を定期借用する場合
【資金リスク中→しかし→将来にわたりホーム施設として活動出来る可能性、安心感は小】
・初期投資は少なく済むが、契約内容によっては人工芝生化などの周辺整備を進めるにあたり土地所有者の承認がその都度必要となる場合もある。さらに、借用年数の制限も当然にあり、借用期間終了後には原状回復義務も出てくる。

パターン3 
⇒指定管理者制度
【資金リスク小→しかし→クラブのホーム的使用価値、自由度も小】
・管理する施設の希望物件(クラブの活動に見合う施設)があるのか。また、あったとしても自クラブが自由に使用出来るわけではなく、地域住民の活用を重視するため、様々な制約が課せられる。さらに、定められた管理期間終了後、改めて管理団体の選定があり、継続出来るかはその都度判断される(例として4年ごとに管理団体変更の可能性もあり)。

 そこで、柴田が講じた策は、「全ての可能性を探りながら、何かを確定出来るまで三つ同時に進める」というものだった―。

 こう書くと単純だが、実際に進めるとなると、周りのスタッフはたまったものではない。なぜなら、SSSが行う通常のスポーツ活動(直接活動に参加をする会員だけで600人)に加え、スポーツ振興くじの助成事業、その他、これも後に説明をするが、文部科学省の委託事業もこなしながら同時に実行するのだ。

 柴田の右腕として、現在事務局長を務めている土橋竜也氏(41歳。以下敬称略)は言う。「はっきり言って、普通の業務の進め方では無理です。しかも、柴田の仕事は、すぐには理解出来ないことがほとんどですので・・・」、何か奥歯に物が挟まったような言い方で表現する。もう少し掘り下げて聞くと「学生時代から知っている・・・と言いますか、実は同期なので、いつもは吉徳コーチと呼んでいます。

 まぁ良く言えば個性的な仕事ぶりなので・・・」――歯切れが悪い。

 ここで、土橋と柴田の関係性を入れながら簡単に紹介しよう。土橋は岩手県二戸市出身。高校までは地元でサッカーに勤しみ、本州でも強豪サッカー部で有名だった札幌大学に入学。後にSSSで吉徳コーチと呼ぶことになる柴田とサッカー部で同期となる。さらに、その後SSSの事務局を支えることになる田古嶋愛子氏(以下敬称略)も部のマネジャーにいた。

 土橋は回顧する。「吉徳コーチの第一印象は、抜群にサッカーがうまいとは思いましたが、いつもけがばかりしていました。それでも試合になると、遊びのようなプレーで活躍してしまう、個性の際立った選手だなぁと思いました。あだ名はマジシャン、サーカス、デス・ピエロでした。その中、けがで通常練習にはあまり出られなくても、リハビリや自主トレは毎日のようにしており、その中に私とこちらも後にSSSのコーチとなる櫻井もいました。部のマネジャーに田古嶋さん、後輩には、後にトレーナーとして加わる石垣もおり、当時お元気だった頃の福江監督の教え子たちが今のSSSを支えていると仲間たちで振り返ることもあります」

 ちなみにこの時代の札幌大学は、故福江正行監督(享年67歳)の下、道内主要タイトル4冠(総理大臣杯、天皇杯、知事杯、学生リーグ)を達成する年代もあった。毎回行われる紅白戦では、先発の11人から落ちた者が、レギュラーポジションを争う対戦相手として戦い、「現在道内最強のAチームを倒せば、俺らが道内最強だ!」と。目の色を変えて戦い、倒すこともあった。このチーム内のライバル関係と切磋琢磨が強い時代の秘訣でもあったのだろう。

 話を戻そう。SSSのドリームプロジェクトは、その柴田が2009年に企画立案し、土橋、田古嶋が支えるという体制で、表には出せない業務を任された3人が、困難なミッションを達成すべく“影の特命チーム“となっていく。それも日頃の業務をこなしながら、数々の難題を乗り越え、2016年度には大企業の後ろ盾のないアマチュアサッカー街クラブで日本一と称される施設を造り上げた。プロジェクト企画立案からの7年間の軌跡であり、本格的に施設を手掛けてからはわずか3年で成し得た奇跡と呼ばれる物語である。

 ここで伝えたいのは、資金も潤沢ではない中、何かを自らの責任で実行し、簡単ではない成果を挙げるには、並大抵の努力では成し得ないということ。今現在、地域のスポーツクラブにかかわる人、もしくはこれから育成現場に就こうとする若者には、未来ある子どもたちのためにも、生半可な気持ちで取り組むのはそもそも論外であり、当然そのような姿勢のクラブは事業体としても生き残れない。それは営利法人であっても、非営利法人であっても一緒だ。まずはそこの意識と覚悟が必要となるだろう。
 上写真/書籍の中では子どもたちも読みやすいようにと、登場人物紹介やエピソードがイラストで紹介されるページもある。もちろんプロジェクトはノンフィクションだが、イラストについては若干の脚色があることはご了承いただきたい


 この続きにご興味のある方は、ぜひ本書でお楽しみください。店頭でのご購入はコーチャンフォー新川通り店(他店舗はお問い合わせください)か、Amazonでも送料無料で販売しております(Amazonサイト内で、「本 SSS」、もしくは「100万円も」で検索するとトップページに表示されます)。

 あなたも奇跡と呼ばれたプロジェクトの証人となる!?

編集部