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ヨーロッパサッカー回廊『フットボールとフーリガン、そしてついにテロへ』

17・04・18
 フットボールにフーリガンという縮図が顕著になったのは1980年代のこと。最初のフーリガンが発生したのはイギリスではない。オランダのユトレヒトであった。熱狂的サポーターが当時ほとんどの席が立ち見であったため、敵味方入り交えて応援し、そこから乱闘が始まりフーリガンが偶発的に発生し、イギリスにもその兆候が輸入されたのである。

 応援するには気勢を上げる。そのためには一杯引っかけてからスタジアムに乱入、そして敵を見つければ戦場と化すのが普通であった。1985年のヨーロッパクラブ選手権決勝戦、ベルギーのブリュッセル、ヘイゼルスタジアムでのリバプール対ユベントス戦での乱闘から39名の死者を出した事件が発生。この時代のフーリガンはスタジアム内でのフーリガンであった。

 しかし90年代、英国サッチャー首相がフーリガン退治のためスタジアム内の立見席を禁止、飲酒を制限し、全席個席としたことで一応スタジアム内のフーリガンは一掃された。

 しかしサポーターの気質は変わらない。90年代から2000年当時は、スタジアム内からのフーリガンが試合当日に街にあふれ、Pubで痛飲し、街中でのサポーター同士の衝突が顕著となった。1998年フランスワールドカップ、2000年オランダ・ベルギーでのユーロなど暴動はすべて街中で発生した。

 この街中での暴動フーリガンを抑制するため、多くの開催地は警察力、軍隊等の治安当局、国のFAやクラブが対策を講じ、スタジアム周辺の地域ごとにサポーターの導入路を設定し、いらぬ暴動の発生を抑止する規制を講じるようになった。

 そのため善意のサポーターにとっては、スタジアムへたどり着くのに要らぬ時間をかける羽目に陥入り、不便さを我慢しなければならなくなった。しかしおおむね80年代、90年代の暴徒化したフーリガンは昨今あまり見かけなくなっていたのだ。

 しかし、ついにフットボールの試合に恐れていたテロが発生したのである。しかも昨今世界を震撼させているIS絡みのテロである。

 4月11日、UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝第1戦。ボルシアドルトムンド対ASモナコ戦に先立ち、ドルトムンドのチームバスがホテルを出発する際、バスに対して3度の爆発が発生。バスは大破し、選手の一人(スペイン代表DFマーク・バルトラ)が手首を骨折、結局その日の試合は中止となった。

 しかし厳戒態勢の中、UEFAは翌日試合を実施した(結果は2−3でアウエーのモナコが勝利した)。

 ドイツ警察は現在捜査中であるが、ISがテロを実施したとの声明を出したことで、トッププロフットボールクラブを狙った爆弾テロであることが判明。ついにイスラム国もスポーツをターゲットにしたのかと、今後のスポーツ、そしてトップスポーツであるフットボールにとって許しがたい事態となってきたのである。

 昨今の世界情勢は混迷を極めており、特にアメリカのトランプ政権がテロ撲滅のためアフガニスタンのタリバンの拠点を広島、長崎の原爆に次ぐ非核の大型爆弾で壊滅させ、次は北朝鮮の核施設を爆破をするのではないかと言われている。このようなキナ臭い状況の中で、選手だけでなくサポーターの安全を確保する必要が関係者の間で急務となったのである。

 この3月には、ロンドンのウエストミンスター橋での車の暴走により5人死亡、多くの負傷者が出た。そして4月に入ってからもスウェーデンのストックホルムで同じようなトラックを使った暴走事故を起こし、一般市民の犠牲者を多数出すテロ行為が連発した。これらもすべてISがらみのテロである。自爆テロであるがため治安当局も防ぐのが難しいのである。

 そして4月13日、ベルギーのアンデルレヒト対マンチェスターユナイテッドのヨーロッパリーグ準々決勝1回戦でも、昨年ベルギーのISがパリのテロ事件を起こしたことよりベルギー警察、治安部隊が総動員され、スタジアム周辺はまるで戦時下での警備体制を敷いて試合が行われた(結果は1−1の引き分け)。

 今後、UEFAチャンピオンズリーグ及びヨーロッパリーグの準決勝、決勝が待っている。さらに各国のカップ戦の決勝が待ち構えている。いずれも8万人ものサポーターが押し寄せてくる。

 その度に警察、軍隊等の治安部隊、クラブ、フットボール協会の関係者が万全の警備を敷かねばならず、そのコストの負担だけではなく、スポーツの雰囲気を壊す行為をどう防ぐか頭の痛い問題となってきた。

 スタジアム内のフーリガンによる暴動、街中でのフーリガンによる暴動から、そしてついに政治的、宗教的な背景からの爆弾テロがフットボール界にも押し寄せてきたのである。

 次の2018年ロシアワールドカップ、2020年東京オリンピック及びユーロ2020も予断を許さない状況になってきた。

 多かれ少なかれ、平和ボケした日本も対策を講じる必要があるようだ。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫