サッカーアラカルチョ

一覧に戻る

ヨーロッパサッカー回廊『Auld Enemy』

16・11・15
 『Auld Enemy』とは何か? Old Enemyの英語の古語? 宿敵とでもいうのか。

 世界一古いフットボール・アソシエーション(FA)は言わずと知れたイングランドであり、設立したのは1863年。そして二番目に古いFAがスコットランドであり、設立は1873年である。そのライバルともいうべき両国の初戦は1872年11月30日、スコットランドのグラスゴーで行われた。結果は0−0の引き分け。

 以来、1984年グラスゴーでの対戦まで、ほぼ毎年「British Home Championship」として他にウェールズ、北アイルランドを加えて4か国でのホームインターナショナル戦として存続していた。

 ちなみに世界のフットボールの規則はこの4か国とFIFA(国際サッカー連盟)で構成する「International Football Association Board(IFAB)」で決められることになっている。

 この4か国のチャンピオンシップが組織され行われた理由は、当時国際試合を行う機会もなく、お互いのレベルアップと対抗意識からの国威発揚もあったことも事実である。

 スコットランドは1707年にイングランドに併合された。それまでは北のスコットランドは独立国として君臨。ただ王政だけは、17世紀からイングランドと共有するいわゆる「union」を形成していた。それだけにイングランドに対する対抗意識は並大抵のものではない。

 民族的にもスコットランド人の多くはケルト民族の子孫と言われており、一方のイングランド人は一部ケルト、一部フランスからのノルマン、そして一部スカンジナビアのバイキング、そしてゲルマン系の混血と言われておりそれぞれの風習、慣習は独自性を持っている。

 この「British Home Championship」の中でも、スコットランド対イングランドの戦いは、この両国間の併合した・されたの怨念を晴らす代理戦争でもあったのだ。

 1937年スコットランドのホーム、ハンプデン・パークで行われた両国の戦いには、149,415人という歴代一の観客を動員した記録はいまだに破られていない。当時はほとんどの席が立見席であったことにもよるが。

 この「British Home Championship」が廃止になったのは1983年6月ロンドンのウェンブレーでの試合に、多くのスコットランドからのサポーター、それも多くはフーリガンと呼ばれる暴徒が押し寄せ大混乱となり、ロンドン市内への鉄道乗り入れを禁止したにもかかわらずウェンブレースタジアムへ殺到。イングランドサポーターと衝突したことに起因している。

 時の首相マーガレット・サッチャーは、この大会を治安と警備の点から廃止することを決め、ロンドンでの試合はなくなったのである。そして翌年1984年グラスゴーで行われた試合を最後に『Auld Enemy』の「British Home Championship」の100年もの歴史は幕を閉じたのである。

 以降は親善試合、ユーロやワールドカップの予選、本戦で当たる場合があるのみの対戦となっている。

 その世界一古いイングランドと世界で二番目に古いスコットランドが、2018年ワールドカップロシア大会の出場を賭けた予選F組で11月11日に対戦したのである。

 まずは久しぶりの一騎打ち。ホームはイングランドのウェンブレースタジアム。多くのスコットランドサポーターが紺のクロスの旗を持ってロンドンに押し寄せた。そして試合前にはロンドン中心部トラファルガースクエアで気勢を上げ、ついには流血に至る暴動となってしまった。

 2014年には、UK(United Kingdom)から離脱し独立を図るスコットランド国民投票も行い、これは独立反対派が多数票を取り涙を飲んだが、この6月のEU離脱投票ではロンドンと並びスコットランドは残留派として60%以上を獲得、再度UKからの独立のため国民投票をするといわれている。それだけにスコットランドから見ればイングランドは『Auld Enemy』なのである。

 1872年以来113試合目の対戦である。過去の112試合はイングランドの47勝24分41敗とイングランドの分が強い。

 イングランドの監督サウスゲートは就任3試合目。先の監督サム・アラダイスが、スキャンダルでわずか1試合のみで更迭され、急きょ任命された現在は、代理監督の立場である。

 サウスゲートとしては、このスコットランドとの『Auld Enemy』戦に勝ち、ロシア大会への切符入手に近づけることが次の正式監督任命に至るという大事な一戦であり、負けられない。

 一方のスコットランドも、何とかイングランドに一矢報いて先のユーロに出場できなかった鬱憤を晴らしたい一戦。

 試合は一方的にイングランドが攻め、前半24分ウォーカーのクロスをリバプールのスターリッジがヘッドで決め1−0。後半50分にもローズのクロスをこれまたリバプールのララーナがヘッドで決め試合を決した。その後61分にはチェルシーのセンターバック、ケーヒルがMUのルーニーのCKを直接決め3−0と快勝した。すべてヘッドでの得点という勝利。

 イングランドは公式戦として、1999年11月のウェンブレースタジアムでのユーロ2000の予選0−1で敗戦以来『Auld Enemy』に勝ったのだ。

 スコットランドが世界大会に出場したのは1998年のフランス大会が最後で、ここ10数年は低迷している。ウェールズ、北アイルランド、アイルランドが復活しているなか、スコットランドが低迷しているのは一抹の寂しさがある。

 タータンアーミーの復活を期待したい。そしてイングランドのロシアでの躍進も。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)