サッカーアラカルチョ

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ヨーロッパサッカー回廊『勝者レスター』

16・05・18
 遂にやった!132年のクラブ歴史に新たなマークが点いた。1884年創立。一度もトップリーグでの優勝はない。トップと下部を行き来する弱小クラブLeicester City。多くの人たちがこの都市を「レイセスター」と呼ぶ屈辱から解放され「レスター」と呼ばれる喜びを達成したのである。世界に冠たるプレミアリーグを制したのである。

 レスターは人口33万人の英国中部の町、もともとはローマ時代からあるGloucester(グロスターと呼ぶ)、Chesterと並ぶ古い街であったが産業革命を経て繊維工業、靴工業の中心として発展した町である。

 戦後は英国の移民政策のメッカの一つとなりポーランド民族が入り、その後インド、パキスタン人が大挙して町の人口を占め、更にケニア・ウガンダからの難民を受け入れ、レスターと言えば移民の町という代名詞が付く。現代の世界に脅威を与えているムスリムの比率は18.6%(2011年国税調査)と高くイングランドで初めて白人英国人の比率が50%を割った混合の町。

 フットボールの有名人としてはあのJリーグ、グランパスに晩年加わったガリー・リネカーと1966年W杯優勝の栄誉を得たゴードン・バンクス(GK)ぐらいしか思い当たらない。そして今シーズン優勝したチームの選手の中で果たしてシーズン前何人の選手の名前を知っていたであろうか。

 今でこそジェイミー・バーディー、リヤド・マハレズ、シュマイケルジュニア、そして奇妙な名前のドリンクウォーターを知らないフットボールファンはいないであろう。日本人にとっては岡崎の名前がまずあったはず。一夜にして暗黒の中にいたクラブが地上に躍り出たのである。Fairy Tale物語そのものである。

 なぜこのようなアンダードックのチームが莫大な資金と名声で世界中から有名選手を集めたビッグチーム、マンチェスターユナイテッド、マンチェスターシティ、アーセナル、トッテナム、チェルシー、リバプールなどを差し置き優勝できたのであろうか。

 選手の価値(移籍金総額)からするとレスターはわずか57百万ポンド(約90億円)、ユナイテッドのルーニー1人分の価値しかない。クラブ収入に至ってはMユナイテッドが昨年度395百万ポンド(632億円)に対しレスターは104百万ポンド(160億円)と4分の1。

 世界中のフットボール分析家が尊重するBall Possession(ボール保持率)は42%、この数字はプレミアリーグのボトム3である。しかしタックルの数はリーグ1、1−0という最少得点差での勝利数は7試合とリーグ1。要は守って守ってカウンター攻撃で優勝を勝ち得たのである。

 点取り屋バーディーのスピードを生かし、岡崎のフルスピードでの前線でのかき回し、マハレズの個人技とシュート力、中盤の殺し屋タックルの鬼カンテ、Box to Boxのスタミナの権化ドリンクウォーター。そして2センターバックスは、キャプテン、モーガン(ジャマイカ)と、でかいというだけでクラブを渡り歩いたドイツ人フートの息の合ったデフェンス。個人個人を取れば決して代表クラスに値する選手はいない。

 それでも生きのいい試合展開をシーズンにわたって展開できた秘訣はどこにあったのであろうか。

 まずは試合ごとの用兵を的確に行った監督ラニエリの手腕も見逃せない。プレミアではチェルシーの監督を経験、しかしチュルシーは世界のトップスター選手の宝庫の中での指揮、レスターとは違う。しかし選手の特徴をつかみいかに勝つか、たどたどしいイタリアなまりの英語で指示する好々爺的指導はいわばガラクタ軍団を一つの方向へ向かわせる原動力となった。

 そして他の外国人監督の悪例ともいうべきすべてのコーチ陣を自分の仲間で固める弊害をよく知り、アシスタントにはレスターのコーチ歴のあるシェイクスピアを起用し、イタリアからは一人のコーチを帯同したに過ぎない。そしてスカウトも資金のない中で隠れた玉を見つけざるを得ず誰も手出しをしない選手を採用し開花させた手腕はこれこそスカウトというべきもの。

 そしてバックルームスタッフとして英国唯一のスポーツ科学、オリンピックメダル獲得のための科学的分析とコーチング開発に取り組んでいるラフボロウ大学(レスター市近郊にある)の協力を得たことも躍進の要因であろう。1シーズンを通して大きなけがなくわずか19名しか試合に使わなかったレスターのチームワークを作り上げたのも彼らのフィットネスプログラムのお蔭である。

 さて来シーズンはというとまずラニエリ監督は「連続優勝などとは言わない。10位以内を目指して再出発だ。来シーズンはチャンピオンズリーグもあり陣容も強化する必要はあるが現在のレスターのチームワークと淀みなき自己犠牲の精神を持った選手以外はとらない。突然優勝したためバーディとドリンクウォーターがイングランド代表となったが、彼らとてハードワークしなければ果実はとれないことを知っているはず。願わくばタックル王のカンテとマハレズは残って欲しい」と言っており、今のところ選手は残留を決めているが、この夏移籍の話は当然出てくるであろう。それを踏まえての10位以内をと言っているのであろう。

 このレスターの優勝は1978年ノッチンガムフォレスト、1995年のブラックバーンに続くアンダードックの優勝である。レスターの優勝の賭け率も5000分の1と高額でありブックメーカー(公認賭け屋)も数十億の損失をしたともいわれる大穴の優勝でもある。おじいさんの時代から毎年優勝を祈願して優勝に賭けていた生粋のレスターサポーターにとっては130数年来のボーナスとなったようだ。

 マンチェスター、リバプール、ロンドンのビッグクラブではない地方都市のアンダードックも優勝できるという実例を挙げたのがレスターである。

 しかし勝ち続けるには、ひた向きに走り回る選手と、その選手をうまく機能させるマネージメントがなければ達成できないことも確かである。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫