サッカーアラカルチョ

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ヨーロッパサッカー回廊『マンキュニアン』

16・03・13
 アレックス・ファーガソン監督引退後、名門マンチュスターユナイテッド(MU)は坂道を転がるように転落し、優勝戦線から脱落した。その傾向は今シーズンも変わりがない。監督の手腕の変化なのか、選手の質の変化なのか―。

 3月11日現在プレミアの6位で、来年のチャンピオンズリーグはおろか、その下のヨーロッパリーグへも出場できない状態が続いている。

 ここにきて、やっとMUの強さの根源が、その伝統であるホームグロウン選手によるチームワークにあるということに気が付いたのか、はたまたどうせ今シーズンでお払い箱となると観念し、リスクを冒し若手を使ってみようと思ったのか、監督ファン・ハールはアカデミー選手を多く使うようになってきた。

 そこに登場してきたのが、マーカス・ラシュフォードである。2月25日のヨーロッパリーグ決勝トーナメント1回戦、対FCミジュランド(デンマーク)では、キックオフ前にセンターフォワードのアンソニー・マルシャルがけがをしてしまい、急遽先発メンバーとしてラシュフォードが呼ばれ出場した。18歳117日でのデビュー戦である。何とその試合、ラシュフォードはセンターフォワードとして2得点を挙げ、5−1と圧勝。ヨーロッパにセンセーションを巻き起こした。

 この得点はかのレジェンドであるジョージ・ベストが保有していたMUの中での最年少得点記録を塗り替える得点であった。それだけではない、続く2月28日プレミアリーグ、対アーセナルとの大事な試合にも先発出場すると、この試合でも度肝を抜く2点をもぎ取り快勝。『Who is Rashford?』と新聞のバックページを飾ったのである。2試合で4得点と、現在けがでルーニーを欠く、MUのニューヒーローとなった。

 1958年ミュンヘンでの飛行機事故により8人もの選手を亡くしたが、その一人であったセンターフォワード、ダンカン・エドワーズの再来かとMUファンを沸かせている。

 ラシュフォードはいわゆるマンキュニアンである。マンチェスター育ちをマンキュニアンと呼び、ニューキャッスル育ちをジョーデイ、リバプール育ちをリバプリアン、ロンドン東部育ちをコックニーと呼ぶが、待望のマンキュニアンの誕生である。マンチェスターの南部に位置する現在のMUの練習場カーリントンに近いウインゼンショーで生まれ育ち、ローカルクラブのフレッチャー・モス・レンジャーズFCでその才能を発揮。7歳でMUのアカデミーに入団した、生粋のMU育ちなのだ。

 現在のMUのキーマン、ウェイン・ルーニーはリバプリアンのエバトニアン(リバプール生まれのエバートンFC育ち)。またイングランド代表ストライカーである、アーセナルのダニー・ウェルベックは生粋のマンキュニアンであるのに、ファン・ハール監督はアーセナルへ売ってしまった経緯があり、純粋のマンキュニアンを待望していたMUファンにとって、このラシュフォードの出現はまさしく「待ってました!!」
なのである。

 このラシュフォードの18歳117日でのプレミアリーグ得点記録は、過去のランキングでいえば31番目に若い選手の得点記録となっている。選手には遅咲き早咲き、それぞれの気質がある。その中で消えていった選手も数多い。果たしてラシュフォードが早咲きのまま、トップの選手として君臨出来るかはこれからの本人の努力もさることながら、監督・コーチの指導力にもかかってくる。

 ちなみに、最年少選手得点記録は2005年にエバートンのジェームス・ヴォーガンが16歳271日で成しているが、現在は消えてしまっている。

 2番目に若くして得点記録を成し遂げたのは、現在リバプールのキャプテン、イングランド代表でもあるジェームズ・ミルナーである。16歳357日の時、リーズで達成している。

 彼は学力も秀才タイプで、英国の中等学校(11歳−16歳までの義務教育)での科目別国家資格試験(GCSEという)を10科目合格しており、フットボール選手にならなくとも大学へ行けた選手でもある。

 その学力でもミルナーに匹敵しているのは、リバプールの得点マシーン、イングランド代表でもあったマイケル・オーウェンで、同じく10科目合格している。このオーウェンの初得点はリバプリアンとして、17歳144日で成し遂げている。ルーニーもエバートンでのデビュー得点は、2002年16歳360日と歴代3番目に若い選手としての得点記録を達成している。

 そしてMUにはまだまだマンキュニアンの将来を背負って立つ有望選手がいる。カラム・グリビン、現在17歳である。これまではプレミアの試合には出る機会はないがU−21チームのプレーメーカーとして、現コーチのライアン・ギッグスの再来ともいわれ、いずれラシュフォードと共にMUを背負って立つと期待されている。

 彼もMUのアカデミーでフットボールをしながら、コレッジ(16−18歳の大学進学のための資格試験Aレベルを取得する高等学校)にも通っている頭脳明晰な少年フットボーラーである。彼も生粋のマンキュニアンである。左利きで特にフリーキックは抜群の正確さを持っており、そこからの得点をいつも期待されている逸材である。

 1990年代の第2期黄金時代、ギッグス、スコールズ、ベッカム、ネビル兄弟の『クラス・オブ・92(Class of 92−1992年FAユースカップ優勝時の選手を称する言葉)』以来の第3次黄金時代を形成するとしたら、この2人のマンキュニアン、ラシュフォードとグリビンなくしてあり得ないのでは―とマンキュニアンファンは期待しているのである。

 彼らを生かすも殺すも監督・コーチのマンキュニアンに対する想いがあるかないかにもよるであろう。

 第1次黄金時代にはマット・バスビー監督がユースからボビー・チャールトン、ジョージ・ベストなどの若手選手を主体に常勝チームを作り上げた。第2次黄金時代にはアレックス・ファーガソン監督がマンキュニアン『Class of 92』を育て黄金時代を築き上げた。

 さてこれから第3次黄金時代を築く素材は―。いる。それがラシュフォードであり、グリビンである。

 しかるに来季誰が監督になるのであろうか。

 メディアは元チェルシー監督、モウリーニョがファン・ハールの後釜になると騒いでいる。一方で、MUはマンキュニアンによるマンキュニアンのクラブにすべきとする声は高い。

 それに値するのはライアン・ギッグス以外に考えられないであろう。モウリーニョが来れば金で世界の選手を買いあさり、マンキュニアンたるユース育ちの芽を摘んでしまう恐れがある。

 現在のMUアメリカ系首脳陣に、マンキュニアンのクラブとしてのレーゾンデートル(仏語:存在価値)を重んじる方針があるのかも、これから終盤にかけて論議があるのではないだろうか。いずれにせよファン・ハールの退陣は確定したも同然であり、次の監督次第でMUのマンキュニアン復活かどうかが問われることになろう。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)