サッカーアラカルチョ

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ヨーロッパサッカー回廊『フットボールマフィア』

15・06・17
 いつ頃からFIFAの腐敗が始まっていたのであろうか―。

 筆者が英国ロンドン駐在であった1980年代は82年のスペインにしろ、86年のメキシコにせよ、W杯の規模自体が大きくなく、運営そのものに対しての汚点は見えなかった。マラドーナの『神の手』という審判の誤審はあったにせよである。

 90年イタリアでは、チケット問題と宿泊予約のでたらめさで運営問題が初めて明るみに出たが、たかが1か月間の大会。終わってみればそれまでよであった。

 そして94年のアメリカ大会の成功から、従来のヨーロッパと南米持ち回りのフットボールの祭典もグローバル化へと転換した。さらにコマーシャル優先の概念が純粋スポーツの世界に入り込んできたのである。

 このW杯の転換期に、フットボールマイナーな国であった「Japan」が世界経済の2番手として台頭。FIFAのイベント開催には「Dentsu」が「ISL(FIFAのお抱えマーケティング会社。2001年経営破綻)」のパートナーとして主導権を握り、国際フットボールの世界に足を踏み入れたのである。

 そして1992年には、英国プレミアリーグが従来のプロリーグから独立しスタート。時を同じくして日本がプロのJリーグを発足させたのである。フットボールにコマーシャリズムが深く入り込んだエポック的な年でもあった。Jリーグ発足に先立ち、先見性の高いJFA幹部は1989年、時のFIFA事務総長であったブラッター氏に会い、2002年のワールドカップ開催を要請し、招致活動に入っていったのである。

 「JapanがやるならKoreaも」とばかり、世界経済No.2の「Japan」対台頭著しい「Korean Hyndai」との2国の一騎打ちの戦いが火花を散らして始まったのである。

 当然そのキャンペーンは物量合戦でもあった。「Japan」はイングランドのレジェンド、ボビー・チャールトン氏をアドバイザーに任命、アフリカの票獲得のためのコーチングキャンペーンを実施。ほぼ全域の諸国を行脚した。

 一方、「Korean Hyndai」は当時FIFA副会長であったチョン・モンジュン氏の財力と利権を基に、南米のFIFA理事に食い込み招致合戦を展開。両国政府もそれぞれキャスティングボードを握る24人のFIFA理事への食い込みを助長させたのである。その結果は、皆様ご承知の日韓合同開催という妥協の産物となり、決着がついたのである(1996年5月31日)。

 キャンペーンを始めた当初は、正攻法の日本が有利ではあったが、その後はチョン氏(当時現代財閥の副会長)の財力、政治力、理事への利権供与等で「Korean」優位に逆転。当時からあった日韓政治問題が過熱し、スポーツから国際政治への影響が強くなり、共同開催となったのは日韓関係の悪化を避けたブラッターの画策ともいわれている。

 既にこの頃から、キナ臭い暗黙の利権のやり取りが始まったといえるのではないだろうか。例として言われているのはブラジル協会長の会社に対し現代自動車の販売権を供与したなどである。

 現在では、プロスポーツの財源のトップとなっている放映権についても、この一騎打ちから始まっているといっても過言ではないだろう。今回のスキャンダルで逮捕されたトリニダード・トバゴのジャック・ワーナー氏は一国のメディア王でもあり、2002年のW杯より自国の放映権を独占したといわれている。

 当時FIFA副会長であったヨハンセン氏(元UEFA会長)は「ファーストクラスの航空券を頂くよりウイスキー1本でいい」と両国の物量作戦にへきえきしていることを表明していた。

 そして1998年アベランジェ会長が退任し、会長選にブラッターは後継者として立候補、相手はUEFA会長ヨハンセンであった。疑惑はこの時にも起こっていた。ブラッターを支持するアジアAFC会長ビン・ハマン氏(カタール)がアフリカの票まとめのため、10万ドルの資金をアフリカ諸国の理事にばらまいたといわれている(英国デイリーメール紙)。その結果かブラッターはヨハンセンに勝利しその権力の座に就いたのである。

 その後、2002年5月2期目の会長選では対抗馬となったイサ・ハヤト(カメルーン)に対しブラッターはアフリカ票切り崩しのため、リビアFA会長カダフィ(大佐の息子)を担ぎオイルマネーを使って、アフリカ諸国の半分もの票を獲得、再選したのである。それがわいろであったかはいざ知らず、第3者を使った巧妙な選挙戦略でもあった。

 そして2006年W杯はドイツに決定したが、その開催国決定選挙は毎度のことながら密室の中24人の投票で決まった。しかし奇妙な事態が発生した。

 立候補国はドイツ、南ア、イングランド、モロッコであった。1回目の投票でモロッコが落ち、ニュージーランドの理事デムジー氏は当然イングランドに票を投じたが2回目で落ち、最終3回目の決選投票ではオセアニア連盟が推す南アに投じるはずであったが、なぜか投票前日ドイツ出版社からの買収要請があったこともあり棄権。そのため12対11という結果でドイツに決定したのである。いわば何でもありのマフィアまがいの決定であった。

 ついにこのFIFAのマフィア組織にメスを入れたのはアメリカの司法であった。2015年5月27日、FIFA総会に駆けつけていた各国委員のうち7名をチューリッヒのホテルで逮捕。その中には過去20数年にわたり『疑惑のデパート』と称されていたジャック・ワーナーも含まれていた。

 多くの国での贈収賄罪は公的機関でのものが適用されるが、アメリカだけは私的機関の贈収賄も犯罪となるのである。スイスが世界の金庫番としてアングラマネーを扱っていた時代は過ぎ、スイスの銀行でさえ、2000年以降マネーロンダリング等の不正送受金を開示することとなり、その隠れ蓑として使われたのがケイマン島である。

 ケイマン島はタックスヘブンの島として世界のアングラマネーが集まってくる。その島出身のFIFA副会長ジェフェリー・ウエッブが逮捕されたことで、すべてが明るみに出たのである。

 それによれば、1998年のフランス大会も実はモロッコが開催国となるべき票を得ていたのが、投票集計を改ざんしフランスになったと証言。更に2010年の南ア決定についても1,000万ドルのわいろが飛び交ったと指摘されている。また、2018年ロシア、2022年カタールの決定プロセスにも疑惑は多くあり、今後明らかになれば再投票ということも出てくることになる。

 大半のFIFA理事はそれぞれの国のFAに関わる幹部ではあるが、ほとんどが国際的ビジネスマンであり、その国の政治・経済に深く携わっているやからである。単なる『フットボール好きのおっさん』ではない。

 14年ブラジル大会のコストは、FIFAの放映権4,800億円、スポンサー料、マーチャンダイズを合わせた収入は2,400億円にも上る。巨大なスポーツイベントを司るFIFAが、今まで一握りのうさんくさいビジネスマンに牛耳られていたことからの脱皮と改革は必須である。

 そのブラッターも5選に勝った4日後辞任を発表。この12月に再選挙をするといっているが、長年にわたってマフィア体質にどっぷりつかったFIFAの改革は出来るのであろうか。開催国決定を24人の理事だけでなくFIFA加盟国209か国で―などの案もあるが果たしてどうなるのか。

 今後のアメリカでの司法的処置がどうなるか注目したい。

 その中でJFAの副会長がFIFA理事に就任した。「私財もなし・国際ビジネスの経験もなし・政治力もなし」で、毒も薬も持ち合わせた強者連中に肩を並べていくことは並大抵ではない。

 マフィアの仲間になるのか、清廉潔白のスポーツマンというだけで対応するのか。今や「Japan」の動きは集団的自衛権行使が論議されている中、敵も多くなり、ある面『色男、金と力はなかりけり』では済まない時代に直面していることを忘れてはならない。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
現在:T M ITO Ltd.(UK)代表取締役
伊藤 庸夫