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ヨーロッパサッカー回廊『無名クラブ、異色の監督』

15・05・15
 スポーツ界には異色の監督も多い。そのスポーツの名選手でなくとも、監督として成功している例は多くある。卑近な例として挙げられるのはプレミアリーグの雄、今シーズンの覇者チェルシーの監督モウリーニョであり、アーセナルの監督ベンゲルであろう。

 前者はバルセロナでイギリス人監督ボビー・ロブソンの通訳としてフットボールのマネージメントを学び、出身地ポルトガルの雄でもあるポルトの監督として成功、今日に至っている。選手としての主たる実績はない。

 また、後者ベンゲルもフランスのアルザス出身、ストラスブルグ大学経済学部卒のインテリ。プレーは地元3部のクラブで中盤の選手として活躍した程度である。しかし、モナコの監督となるとフランスリーグでの覇者となり、ティエリー・アンリーを育てた名伯楽となった。そして2年間グランパス名古屋の監督を経て、アーセナルの監督として、現在のプレミアリーグ監督の中で最長の19年同一クラブの監督を続けている。

 この2人の監督も選手としては無名であったが、フットボールの世界に足を突っ込み、成功した例である。

 その中、ここで取り上げたいのは異色中の異色ともいうべきマーク・ウォーバートン監督である。現在プレミアの下のチャンピオンズリーグ、ブレントフォードFCの監督で、全く無名のウォーバートンが上記のトップ監督への道へ一歩踏み出したのである。
 
 そもそもブレントフォードFCというクラブは、創立1889年と古いが、過去トップリーグに上がった実績は1935−36年にかけての1シーズンのみ。ほとんどが3部、4部の常連クラブであった。ロンドンの西部、ヒースロー空港へ行く途中の高速通り沿いに位置し、テームズ河対岸のキューガーデンがロンドンの高級住宅街であるのに対し、ブレントフォードは工場・オフィス街、労働者階級の町である。「労働者階級の町にフットボールクラブあり」という英国の例え通り、ここブレントフォードにクラブがあっても不思議ではない。

 クラブカラーはレッド・アンド・ホワイト、スタジアム規模は1万人収容、その中で強くとも弱くともコンスタントに平均観客数5千人というのは英国の多くの弱小クラブの中では稀な存在である。強くなり、上のリーグへ昇格しても中心選手がさらに上のクラブへ移籍するため、決してトップリーグへは上がれないクラブの一つでもあった。

 経営規模も数年前までは年間3百万ポンド(5,5億円)程度、日本のJ2の下位クラブ並、選手の平均給与もわずか週給3百ポンド(年間280万円)であった、そのクラブがここ2年で変身したのである。2013年のシーズンからウベ・ロズラー監督から引き継いだマーク・ウォ−バートンが革命を起こし、フットボールリーグ1部(上から3部)からチャンピオンズリーグ(上から2部)へ1年で昇格させたのである。

 そして今シーズン、ブレントフォードは夢のまた夢であったプレミアへ挑戦している。リーグ5位となり、プレミアへの挑戦プレーオフに進出したのである。そして観客もどこからくるのか平均1万人を超え、満席御礼そのものである。

 そのホームでの1回戦は、元プレミアの常連でもあったミドルスボロとの試合。結果は惜しくも1−2と敗戦、この5月15日にアウエーでの試合に勝てば念願のプレミア入りを賭けた決勝戦へ進出できる可能性も高く、ブレントフォードは湧いている。グリフィンパークスタジアムはその4隅にパブがある英国唯一のスタジアム、試合のない日は閑散としているが、今年は連日満員である。

 実は、このグリフィンスタジアムもあと1年で移転が決まっている。古くなったグリフィンパークから東へ1kmのキュー・グリーンへ2万人の新スタジアムを建設することが決まっているのだ。プレミアの規定で、1万人収容のスタジアムでは試合ができないことになっているためである。また、プレミアのスタジアム規定を満たしていないこともあり、このプレミア入りを賭けたプレーオフで勝った場合はフラムかQPRのスタジアムを借りてプレミアを戦うのだ。

 ウォーバートン監督にとっての正念場となるが、そのウォーバートン監督とは?

 彼はレスター出身で、ユース時代はかのイングランドストライカーと鳴らしたガリー・リネカーの1年下でプレーするも、トップへは上がれず、ノンリーグ、アマチュアクラブのアンフィールドでプレーした。一方、仕事は運よくロンドンシティの外国為替取引会社に就職、毎日5時起きし、シティまで通勤。ディーラーとして、当時のプロ選手の数十倍のサラリーを稼いでいた。彼の為替の相手通貨は何と日本円であったからこそミリオネアー(百万長者)になれたのであろう。現在、年齢52歳。

 その彼も少年時代に夢見たプロ選手になることを忘れられず、生活も安定したこともあり、きっぱりとディーラーの生活から足を洗い、フットボールのコーチとして復帰を図った。そしてワットフォードFCが少年グループのコーチを募集していることを知り、20年振りにフットボール界へ復帰。トップチームのアシスタントコーチを経てブレントフォードFCの監督になったのである。

 監督1年目、2013年シーズンにフットボールリーグ1部で2位となり自動昇格を果たし、今シーズンはチャンピオンズリーグの一員としてプレーオフに臨む5位を勝ち取ったのである。

 彼の成功はどこから来たのか。彼は現在、毎朝6時にはブレントフォードFCの練習場に出勤、午前の練習が始まる前に、個人の進展程度を見極めた課題を課し、分析し、綿密な練習計画を立て、次の相手との試合を勝ち取るためのシミュレーションを行い、練習に臨む。そして午後は将来のトップ選手を掘り出すためユース、ジュニアーの練習にも参加する。毎日フル稼働である。

 彼は「シティでの仕事と一緒である。綿密な計画とそれを実行する見識と決断は、マネージメントの面ではスポーツも実業界も一緒である。その経験を生かして指導をしているだけ。収入からいえばシティでの報酬の方が圧倒的に高いが、私も夢を実現したい」と言っている。

 ユースを重要視し、ワークホリックな点では元MUの監督アレックス・ファーガソン(彼も練習場には7時には来ていた)を思い出させる。異色の監督が名監督になれるか、フットボール界だけではなく、ビジネス街ロンドンシティも注目している。

 一方、来シーズンのプレミア入りが確定しているのは1位ボーンマス、2位ワットフォードである。ボーンマスは1890年創立、イングランド南部のリゾート海岸のクラブで今まで一度もトップリーグに上がったことのないクラブ。監督はエディ・ハウ37歳。この人物もこれといった選手ではなかったが、ボーンマスを4部から7年かけてプレミアに上げた監督で、若手プレミア監督としてその真価が来シーズン期待されている。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
現在:T M ITO Ltd.(UK)代表取締役
伊藤 庸夫