サッカーアラカルチョ

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ヨーロッパサッカー回廊『ドイツ紀行』

15・04・20
 4月に入りヨーロッパのフットボールも終盤にかかり、各チームもリーグ優勝、そして降格阻止のための激しい戦いを続けている。

 その中、久しぶりにドイツへ行ってみた。2014年のW杯優勝の後のドイツは次のロシア大会二連覇できるのか。そして日本代表海外組選手の一番多いブンデスリーガで彼らがどう戦っているのか。

 まずはトップを走るバイエルンミュンヘン。今季ほぼ優勝確実となった現在、かのトップスターであるロッベン、リベリーをけがで欠いているにもかかわらず、ドイツカップ準決勝で、アウエーの対レバークーゼン戦は、0−0延長の末PK戦に持ち込まれたが守護神ノイアーのセーブで勝ち、ドイツ王者の貫録を示した。その3日後のリーグ戦、対フランクフルト戦はホームで3−0と圧勝し、バイエルンを超えるドイツチームはないことを実証した1週間であった。

 ミュンヘンにある3,500人収容の大ビアガーデン「ホーフブロイハウス」も試合後の6時ともなると赤のバイエルンのレプリカを着たサポーターが続々詰め掛け、ドスの利いた声で隣の話は聞こえない程盛り上がっていた。敗者のフランクフルトも赤シャツ、しかし負けたためか、アウエーのためか、大ジョッキ1リットルのビールは同じでも気勢は上がらずそのうち赤シャツを脱ぎ、自前のシャツに衣替え。

 「ヘイ、HASEBEはどないだった?」と聞くと、指を下にして「話したくない」とのジェスチャー。英語には答えず、ドイツ語で何やら叫んで終りであった。試合の状況からして、彼のパフォーマンスは決してクリエーティブではなく、無難に役割を果たす任に徹していて、翌日の新聞の評価は「5」とチームでの最低点であった。

 隣にいた日本人の若者2人に「切符はいくら?」と聞いたところ、「1枚90ユーロの切符がダフ屋で250ユーロもした。しかしバイエルンを見るため来たのだから満喫したよ」と。プレミアリーグの試合の料金に比べると倍以上する高騰ぶりである。

 さすが市民クラブ。ラグビーもクリケットもないドイツスポーツ界での唯一の庶民の楽しみには、ヨーロッパ1の経済力を誇るドイツ人にとっては高い料金も苦にならないようだ。

 そして、その日に行われたリーグ戦には日本人選手が多く出場していた。テレビでのハイライトしか見ることが出来なかったが、まずはどこに日本人選手がいるのかよくわからない。

 つまりボールに絡んだ動きとプレイをしている選手が少ないためか画面に映らない。

 その中で大迫はセンターフォワードとして機能しており、よく画面に出てきた。しかしシュートは力なく「アサッテ」の方向へゴールラインを割る。他のドイツ選手の強烈なキック力からは程遠い存在であった。

 岡崎はよく動いているが、一度だけあったシュートチャンスを決められず、得点はなし。しかしゴール前でのごちゃごちゃチャンスには必ずボールに向かっているのが見える。今年もこの時点で9点を取っている理由がわかるようだ。

 彼の良さを見抜いたクラブの監督に敬意を表したい。ドイツ人は得てして泥臭い選手を評価するようだ。これもマイスターシステムで、特徴ある力を持つ者へのドイツ人気質の表れと思われる。彼がプレミアに来たらドイツでの活躍以上を求めるのは厳しいであろう。監督が使い辛い選手であるかもしれない。

 香川には失望であった。後半絶好のチャンス左からのクロス、フリーで飛び込みミスキック。昔ドルトムントの得点マシーンもマンチェスターユナイテッド移籍後迫力不足となり、せっかく監督の引きでドルトムントへ復帰したが、ゴールシャイに陥り来シーズンはどうなるのやら。折しも監督クロップは辞任を表明、彼を知る新監督が来るのか。厳しい状況に置かれている。

 シャルケの内田は出番がなくなった。途中交代したイタリア人監督デ・マテオは選手時代をチェルシーで過ごし、ロンドンにレストランを経営、どっぷり英国人になっていた。それだけに、ドイツではインテリジェンスある動きでの評価を受けていた内田のプレーぶりを激しさの点で物足りないとし、使わなくなったのでは。来シーズンは監督が代わるか、本人が新天地を求めて移籍することが試合に出られる術であろう。

 その他の選手では、酒井宏樹が自分のミスから点を取られてしまった。一瞬の隙を突かせない集中力が必要であろう。乾はその日の画面では出てこなかった。

 まだまだ日本人選手はいるが、結局、その日見た選手の中では清武だけが光っていた。すべてのFK、CKを蹴る彼のボールには期待を持たせるものがあり、ゴール前での動きとパスは小さい選手でも大男のドイツ人と対等にできる能力を持っていた。

 ともあれ、なぜドイツに多くの日本人選手が集まったのか。

 元々ドイツと日本は同盟国。気質の違いはあれ、徹底した技術力は世界一、個人よりは集団のチームの団結を求める精神力を重んじる国民性は似ている。それだけにチームの戦術を優先、約束事を忠実に守り個人勝手なプレーを好まない国民性があるからこそドイツでは通用するのであろうか。

 日本のフットボールは60年代デッドマール・クラマーに率いられてメキシコ銅メダルを獲得。その後も奥寺がケルンで大活躍し優勝の栄誉を勝ち得ている。日本人にとってドイツとは相通じる何かがあるのであろう。なぜ日本代表監督をこのような国民性とチームプレーを重んじる国から呼ばないのか不思議である。

 ヨーロッパの国々を巡って、治安、経済、文化面での安心感のある国はというとやはり英国であり、ドイツである。フランスでもイタリアでもスペインでもない。ドイツ魂と大和魂はまだ廃れてはいない。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
現在:T M ITO Ltd.(UK)代表取締役
伊藤 庸夫