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ヨーロッパサッカー回廊『FIFA次期会長は誰に』

15・01・21
 新年あけましておめでとうございます。

 さて、今年はフットボール界にとってどんな年に?

 既に始まっているアジア・カップ、アフリカン・ネーションズ・カップ。この2つの大会のためヨーロッパのリーグはアジア、アフリカの選手なしで戦う、言わばヨーロッパ、南米選手によるリーグとなっており、どこまでアジア、アフリカ選手の重要性、存在価値があるのかの試金石となっています。ヤヤ・トゥーレなきマンチェスターシティ、本田なきミラン、影響は出ているのでしょうか。

 そして、1月29日が間もなく来ます。この日は何の日でしょう?

 次期FIFA会長候補者の出馬締め切りの日です。この日までに候補者は、少なくとも5か国のFAの推薦状を取らねばなりません。その上で今年5月31日のFIFA総会での投票により、新たな会長が選ばれます。複数の候補者の場合は、第1回目の投票で3分の2以上の票が必要です。取れる候補者がいなければ、2回目以降の投票で過半数以上を獲得する必要があります。

 現在の会長ブラッター氏は、1998年に当選して以来、既に4期連続しFIFAのドンとして君臨しています。

 その任期の中で、ワールドカップの大陸持ち回りを提唱し、実施。フットボールの世界普及に努め、女子、フットサル、ビーチフットボールの普及、年齢別世界大会の実施(U17、U20、U23等)等々、プラス面での功績も多く残したことは認められます。

 しかし一方では、総勢24名の理事会での密室統治に絡まる2018年、22年ワールドカップ開催地決定プロセスでの政治的決定疑惑や収賄疑惑と、マイナス面での評価もあることも確かです。

 現在でも22年カタール開催に関しては、夏時期での開催は40度を超える高温での大会から、冬へ移行させるという案もいまだ決められていません。78歳という高齢もネックとなっており、新体制化のFIFAへ転換することも求められています。

 今のところブラッター現会長は続投を目指し、立候補を表明しています。対抗馬はいるのでしょうか。

 ブラッターに対抗する候補者として一番注目されていたのが現UEFA(ヨーロッパ)会長のプラティニですが、先の2022年大会でカタールに投票したとされ、その裏に永久追放された元アジアフットボール連盟会長ビン・ハマンから便宜を受けたとする疑惑が出て、結局立候補を取りやめました。立候補すればブラッター氏の対抗馬として会長になるチャンスはあったのですが。

 その代わりとしてか、2人のフランス人が立候補者として名乗りを挙げてきました。

 一人はジェローム・シャンパーニュ氏。元FIFA副専務理事で国際関係を担当していた御仁です。FIFAの組織を熟知していますが、カリスマ性指導者が求められるFIFA会長の器ではないともいわれています。

 そして最近脚光を浴びてきたのが、1990年代元フランス代表選手であったダビド・ジノラが出馬を表明したことです。47歳、パリサンジェルマンのウインガーとして華麗なスキルで脚光を浴び、初代セクシーフットボーラーの異名を欲しいままにした選手でもありました。

 その後はイングランドプレミアのニューカッスル、トッテナムで活躍した選手です。彼はプラティニと違いフットボール行政に携わったことはありません。彼の立候補した趣旨はあくまでフットボールで稼いだ資金はフットボールに還元すること。

 ワールドカップで4,000億円稼いだのであればそれは参加国に配分すべきであり、2014年開催国ブラジルには250億円を還元し開催に当たった建設費、運営費を賄うべきであるというものです。彼にはキャンペーナーとして、ブックメーカー(賭け屋)のパデイ・パワー氏がついており、サポーターからは5ポンドから40,000ポンドの寄付金を集め、会長選挙資金としスポーツ界に今までにない選挙運動を行うもの。どこまでいけるのか注目されています。

 そしてもう一人。ヨルダンのFA会長でもあるAFC(アジアフットボール協会理事)のアリ・ビン・アル・フセイン王子です。王族の潤沢な資金を基に世界のフットボール界を牛耳る野心を抱いての出馬です。

 言ってみれば、ブラッター対泡沫候補の会長選挙といってもいいでしょう。ブラッターの再選は堅いのではという見方が多いは事実です。ジノラに至っては果たして5か国の信任状をもらえるかも怪しいのではという見方もあります。

 それでいいのか。ドイツ、イングランドには人材はいないのか。アメリカは。といった嘆きの声も多いのです。この言葉は日本にもあてはまるのでは。

 この会長選が、ビジネスとしてのフットボールから原点に回帰するフットボールへ、今一度考え直すいい機会となればいいのですが。みなさんも注目してください。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
現在:T M ITO Ltd.(UK)代表取締役