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ヨーロッパサッカー回廊『オックスフォード大来日の意義』

14・10・14
 1992年プレミアリーグがスタートして22年イングランドのフットボール界は大きく変化した。同じ時期日本もJリーグが発足、「サッカー」という言葉がアメリカだけでなく、日本でも使われていることを世界に示したエポックであった。

 1990年のマンチェスターユナイテッドの売上高はわずか17.8百万ポンドに過ぎなかったのが今や363.2百万ポンド(2012年3月)と20倍以上にも高騰した。

 1960年代までプロ選手の報酬は労働者の最高賃金をこえてはならないという規則も今や完全に形骸化され、MUに所属するルーニーの週給30万ポンドに続く選手がまたもや生まれた。同じくMUが、ローン(期限付き移籍)で獲得したモナコからのファルカオの週給26万5千ポンドという報酬である。フットボールはアメリカスポーツの花、ベースボール、アメリカンフットボール、バスケットボールと並ぶ世界トップのプロスポーツとなったのである。

 しかし、「これでいいのか」という声は多い。

 9月にThe FAの会長に会う機会があったが、その時イングランドの代表選手層の薄さに言及、「一つは外国トップ選手の移籍によるホームグロウン選手がなかなか試合に出られないこと。二つ目は選手育成をプロアカデミーに依存し、ドイツが行った1990年後半の学校でのフットボール普及といった全員参加の中での選手育成に至らず、今やイングランドフットボール界は外国人に頼るスポーツになってしまったこと。それによりインテリジェンスある若者がプレーすることはなくなった」と語っている。

 イングランドアカデミーでは最低18歳まではフットボールの傍ら、コレッジでの学習を義務つけているが、その中で大学まで行ってフットボールを続けようと考える若者はいない。

 9歳、10歳で才能があるとされれば、親もフットボールに専念させ、将来の百万長者を夢見て教育は二の次になってしまう。そしてプロのスカウトの目にとまりアカデミー入りすると、そこで教育はストップしてしまうのである。過去には大学へ行きながらプロとして活躍した選手が存在したが、今や一人もいないのが現状である。

 歴史をひも解いてみると、イングランドのFAカップにはオックスフォード大学がFAカップ決勝に4回進出し、そのうち1回優勝している(ただし1870年代)。

 現在の大学世界ランキングで3位のオックスフォード大学は、アメリカのカリフォルニア工科大学、ハーバードに次ぐ名門大学である。ただその名門大学フットボールも1960年のローマオリンピック出場(当時はアマチュアのみ出場可であり、オックスフォード大出身者も多く代表選手となっていた)を境に影をひそめ、現在では大学フットボールリーグの2部に低迷している。

 そのオックスフォード大学が1969年以来の日本遠征を企画しており、スポンサーがつけばこの12月に来日する予定となっている。対戦相手は東大(世界大学ランキング23位)、京大(59位)、東工大(141位)、そして大阪大(157位)の4大学である。

 1969年時には、国立競技場で大学選抜及び東京の大学選抜と戦っている。当時は丁度、日本リーグ(アマチュア)が始まって4年目、多くの日本リーグの選手はほとんどが大学出身者であったこともあり、日本はアマチュアとしては高いレベルにあった。

 なぜ上記4大学を選んだのかオックスフォード大のキャプテンに質問したところ、「日本の大学で世界ランキングのトップ4大学を選んだ。特にフットボールが強い弱いで選んだわけではない。我々の将来も、世界のトップを目指す、政治家、国行政機関、企業、科学技術研究関連等へ進む上、科学技術国日本の大学との交流を共通のスポーツであるフットボールを通じて行うことを主眼としている」とし、「2年前にはアメリカ遠征を行い、ハーバード(2位)、プレストン(7位)、エール(10位)、コロンビア(14位)大学と試合を行い、交流を深めたので次は日本と決めたのである」と。

 彼らの遠征費用は自己負担+スポンサー料であるが、スポンサー料の目標は15,000ポンド(約250万円)である。プレミアリーグの選手の平均週給が18,000ポンドと言われているだけに、簡単にスポンサーがつくのではと思われるが、ことアマチュアスポーツになると、The FAも企業も振り向きもしない傾向にあり、果たしてこの遠征が実現するかは今後2か月の資金集めにかかっているといえよう。

 スポーツのトップがプロ化し、「楽しむ、健康維持のために」というスポーツ本来の役目を片方に置いて、いたずらにビジネス化し、マネーゲーム化することが人間生活のなかで良いのか、今一度考える必要があると思われる。

 オックスフォード大学が来日し、上記の日本を代表する4大学とフットボールを介して将来の世界に寄与できるのであれば、意味のないフレンドリーマッチよりはましではないであろうか。

 これからの未来のためにもスポンサーが付き、来日を期待したいものだ。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
現在:T M ITO Ltd.(UK)代表取締役
伊藤 庸夫