サッカーアラカルチョ

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ワールドカップのサプライズに迫る

14・07・11
― 開催地ブラジルの涙 ―

 2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会が9日午前5時(日本時間)準決勝を迎えた。最多優勝5回と地元開催の優勝候補ブラジルと、サプライズを予感させるドイツ(3回優勝=西ドイツ時代)の対戦。6万人の観衆は10分もしないうちに頬のペイントを涙で流してしまった。1−7の予想だにしない得点差で姿を消した。1950年のW杯ブラジル大会はベスト4の決勝リーグでブラジルはスウェーデンをこの日の逆のスコア7−1で破ったが、ウルグアイに2−1で敗れるなど、2勝1敗で、地元開催を飾れなかった。その後1958年のスウェーデン大会で初優勝して、これまでの金字塔を飾っていったのだが―。エース・ネイマールのことは悲しみがこみ上げるので、その後はブラジルのメディアに任せよう。


― オランダGKの作戦 ―

 準決勝に勝ちあがったオランダが、見事なベンチワークを見せた。6日午前5時(日本時間)オランダとコスタリカの一戦が始まった。延長を含め120分の試合が0−0で終わろうとするとき、オランダのベンチで控えのGKクルルがキャッチングを始めた。193?の巨漢だが、これまでは、試合に出たことがない。ここまで戦ってきた正GKのシレッセンにも内緒だった。ファンハール監督は、後日「PK戦になったら使うつもりだった」と。メディアには、シレッセンへの気遣いを、公にしていなかった。クルルは2本を見事に止めて勝利を呼び込んだ。オランダ出身のファンハール監督は、アヤックス、バルセロナ、バイエルン・ミュンヘンを率いて優勝経験があり、人間的にも日本人向きの監督に思えるが、どんなもんだろう。


― 紙ふぶきとゴミ拾い ―

 1998年のフランス大会。日本が初参加出来て、日本からも大勢のファンが詰めかけた。あれから2002(韓日大会)2006(ドイツ大会)2010(南アフリカ大会)と、今回で5大会を、新聞社所属の記者として、またフリーランスのジャーナリストとして見てきた。大会の取材陣に入ると、応援席まで足を伸ばせないほどのスケジュール。ブラジル大会で「あと片付けをして帰る日本人の美談が載った」。「エッ。こんなの前からやっていたよ」びっくりしたのは、私だけではないだろう。フランス大会は自費で見に行った。当然、観客席で日本とアルゼンチンの試合を見た。ワインの街・ボルドーの南、トゥールーズ。0−1で敗れ、持って行った紙ふぶきもあまり使わずに済んだが、紙袋やリュックを持って行った人もいて、きれいに掃除をして帰れた。出口にゴミステーション様の場所もあったが、すでに満杯。ホテルまで持ち帰って処分した思い出が懐かしい。


― GKヤシン賞の思い出 ―  

 1963年のバロンドール賞に輝いたゴールキーパー(GK)のレフ・ヤシン(1929年=モスクワ生まれ)の再来が期待できそうだ。ドイツのGKノイアーが楽しみだ。11人目のフィールドプレーヤーとしてDFまがいの活躍をしている。ヤシンは実際に見たことは無いが、これまでの活躍を総合すると「二刀流」だった、といわれる。サッカーとアイスホッケーで、得点者が優遇されるサッカーと、ゴールに迫りくるパックを跳ね除けるアイスホッケーの美技。黒クモと言われるヤシンに、「やられた」はサッカーのGKで、「やったー」とはパックを止めた時の快感、たまらなかったろう。
 また、オランダのPK戦の専門GKクルルの存在が面白い。もっとGKにスポットを当ててほしい。約50年前に初めて北海道に来て、アイスホッケーを見た時、ライフワークをこの競技にしようと思ったくらい、アイスホッケーが素晴らしいスポーツに見えた。これほど縁の下の力持ちが称えられるものはない。試合が終了、勝とうが負けようが、プレーヤーはゴール前に駆け寄りGKをねぎらう。しばらくぶりでGKに駆け寄る姿をサッカーのオランダチームに見た。蛇足だが、当時のアイスホッケー王子製紙チームは、夏は野球、冬はアイスホッケーの「二刀流」だった。

池田 淳