サッカーアラカルチョ

一覧に戻る

ヨーロッパサッカー回廊『アレックス・ファーガソン引退』

13・05・14
 イングランドだけではない、世界のフットボール関係者に衝撃が走った。

 5月9日、世界一のフットボールクラブ、マンチェスター・ユナイテッド(MU)の監督、サー・アレックス・ファーガソンが引退を正式に表明した。1986年11月、アバデイーンから低迷するMUを立て直すための監督として就任、以来27年にもわたる長期政権を継続し、そのトラックレコードは他に類をみないものがある。

 リーグタイトル13回、ヨーロッパチャンピオン2回、FAカップ5回、リーグカップ4回、そしてヨーロッパカップ・ウイナーズカップ1回、更にクラブワールドカップ1回、UEFA スーパーカップ1回、インターコンチネンタルカップ1回、そしてコミュニテイ・シールド(イングランドの開幕に先立つ、前年度リーグ優勝者対FAカップ優勝者の戦い)10回である。また、プレミアリーグ・シーズン最優秀監督には10回も選ばれている名将がオールドトラフォードのピッチから去るのである。

 ファーガソン監督の引退表明を受けて、MUは翌日10日には次期監督を発表した。現在エバートンの監督デービッド・モイエズである。シナリオはあらかじめセットされていたのか、発表は関係者以外には漏れず、さすが老舗MUであるとそのマネージメントスタイルは評価されている。

 なぜ引退を決意したのか?

 71歳という年齢もあるが、昨シーズン最終戦でライバルM-Cityに得失点差で優勝をさらわれた屈辱を今シーズンは早々とリーグ優勝を決め、一つの区切りをつけたからともいわれている。

 後任になぜモイエズを選定したのか?

 ファーガソン監督は1998年に当時2部のプレストン監督となっていたモイエズを自分のアシスタントに任命しようとしたことがあるが、結局見送りマックファーレンをアシスタントに任命した。当時から同郷グラスゴー出身の「NON Nonsense」なモイエズの指導力を買っていたファーガソンは引退を決意すると当時に役員に後任監督としてモイエズを推薦し、MU役員会は全員一致で彼を迎え入れることとなったのである。

 ちまたではマドリッドのモリーニョ監督をというジャーナリステックな声も多かったが、ボビーチャールトンがいう「MUにはスタビリテイ(安定性)こそが栄光を保持できる」として11年にもわたってエバートンをプレミア上位に位置つけ、かつユースの育成に注力したモイエズを選んだのである。ノンナンセンスという言葉が当てはまる監督が、3年ごとにトップチームを渡り歩く大口叩きのモリーニョより優先したことは確かである。

 さてファーガソンの偉大さはどこにあったのか?

 まず挙げられるのは選手の育成に大きな重点を置いたことである。86年MU監督に就任し、まず手をつけたのはユース選手の育成であった。エリック・ハリソンをユースのダイレクターにし、後年MUの軸となったギッグス、ネビル兄弟、ベッカム、スコールス、バットといったユース選手の成長にかけた。コーチにはジム・ライアンを任命し、彼のユニークな選手育成プログラムは彼らユース選手の花を咲かせ93年にはFAカップで優勝、そして同年、ファーガソン監督就任以後7年目でやっとリーグ優勝のカップを掲げることが出来たのである。もちろんMUの役員、スタッフはこの7年間じっとファーガソン監督を見守り、彼の監督としての手腕にかけたのである。現在のようなクラブ財政と勝ち負けしか見ない富豪のオーナーでは忍耐出来なかったのではないだろうか。

 以降、ファーガソンは次々とユースアカデミーからの選手を起用し外からは有望な若手の選手を獲得、いつも新陳代謝を繰り返し優勝カップの数を増やしていったのである。

 国内からはルーニー(エバートン)、ジョーンズ(ブラックバーン)、スモーリング(フラム)、国外からはエルナンデス(メキシコ)、ラファエウ(ブラジル)、デ・ゲア(スペイン)、そして香川(ドルトムンドから)を引き抜いた。ユースからは、クレバリー、エバンス、ウエルベックなどを引き上げ、現在26歳以下の選手を中心に、ファーデイナンド、ビディッチ、エブラ、ギッグス、ファン・ペーシーといったベテラン選手を混合させ、途切れることなく年代交代をしたマネージメント能力は卓越したものだった。

 筆者が初めてファーガソン監督と会ったのは、1989年にテレビ東京開局25周年記念大会で、MUとエバートンを日本に招待した時である。日本滞在中一緒に遠征生活を送ったが、その時の一番の印象は子供に夢を与える指導者だと思ったことである。

 試合の合間に80人以上の子供を集めたクリニックを当時の三井物産のグランド(高井戸―現在はマンションになっている)で行った。その時連れてきた選手にマーク・ヒューズがいた。ファーガソンはなぜ彼を連れてきたのか?

 彼は小柄ながら、センターフォワードとして相手ディフェンダーを背にして絶対にボールを取られない強いターゲットマンでもあり、かつ技術的にもスペキュラーなプレーをする選手であったからである。そして目を輝かせている日本の少年にヒューズの得意技バイスクルキックでのゴールを決めさせるデモンストレーションを行った。それはまさしくスペキュラーなゴールであった。日本の少年は見たこともないプレーに息を飲んだのである。ファーガソンは「皆も練習すればすぐできるよ。君ら若いうちにこのようなプレーを練習し良い選手になってほしい」と言ったのである。

 ベッカムについても「彼が超一流のクロッサーになれたのは練習のたまもの。当時カントナが彼のアフタートレーニングで、指示するターゲット(頭、左足、胸など)へピンポイントで合わせるクロスを上げさせられたからで、1日百本を優に超えていたよ。しかも正確に走りこんだカントナに合わせるクロスだからね。この練習がなければベッカムはただの選手で終わったと思うよ」と私がインタビューしたときに披歴してくれた。

 ファーガソンは練習場には誰よりも早く6時50分には着き、練習準備をする。そして居残り練習を監督室から誰が何をやっているか眺め、またユースの練習も見て一番遅く練習場を離れる監督でもあった。27年間練習現場に出ない日はないと言われている。

 それゆえ選手への要求は厳しく、選手のコンデションニング把握は完璧であり、それだけに例え代表選手であろうとヘアードレッサーを蹴りつけ、結局は放出することもいとわないエピソードは数多くある。ベッカムや、スタム、クリスチャン・ロナウド然りである。今年のルーニーの使い方も彼がフィットしていないという判断での処置である。

 そしてグラスゴーの造船所勤めの経験から地道に働く選手を重要視し、少しでも浮かれだす選手は放出するマネージメントスタイルは他の監督には見られない特徴であろう。

 彼は熱烈な労働党ひいきであり、献金もしていることから、引退後は英国国会の上院へ労働党のロード(卿)として選出される可能性も現在のミリバンド労働党首は示唆している。実現すれば、スポーツ界からはセバスチャン・コー(ロンドンオリンピック組織委員長)以来となる。

 では香川はどうなるのか?

 ファーガソン監督は香川のスペースへ出る能力と得点能力を買って獲得した。今季は5得点、ローテーションでの第2ストライカーとしてはまあまあの出来であったと評価されているが、モイエズはもともとデフェンダー出身、例えフォワードでも守備ができなければ使わないタイプの監督であり、果たして来シーズン香川をレギュラーで使うかはプレシーズンでの出来次第であろう。

 またロナウドが復帰するとの噂もあり、レギュラーはかなり難しいのではと予想される。ただルーニーが移籍希望を申し出ており、彼が移籍すれば、シャドーストライカーとして機能する可能性もある。

 ともあれ、偉大な監督が引退する。果たしてモイエズがどこまでMUを引っ張っていけるか来シーズンに注目しよう。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)

伊藤 庸夫