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ヨーロッパサッカー回廊『“ドリームゲーム”の実現は?』

13・01・11
 FIFAは昨年度のバロンドール(世界最優秀選手)ベスト11にスペイン・ラ・リーガの11人の選手を選んだ。

 GK:カシジャス(Rマドリッド)

 DF:ダニエウ・アルバス(バルサ―ブラジル)、ピッケ(バルサ)、ラモス(Rマドリッド)、マルチェロ(Rマドリッド―ブラジル)

 MF:シャビ(バルサ)、アロンソ(Rマドリッド)、イニエスタ(バルサ)

 FW:C.ロナルド(Rマドリッド―ポルトガル)、ファルカオ(Aマドリッド―コロンビア)、メッシ(バルサ−アルゼンチン)

 バルセロナ(バルサ)から5人、レアル・マドリッドから5人とアテレチコ・マドリッドから1人である。国籍はスペインが6人、ポルトガル1人、コロンビア1人、アルゼンチン1人、ブラジルが2人である。

 イングランドメデイアは早速噛みついた。スペインだけが世界のフットボールではないと。発表翌日1月9日にはデイリーメール紙にフットボール記者が独自に選んだプレミアリーグ・ベストイレブンを掲載、バロンドール・ベストイレブンとの対決を提案している。そのメンバーとは。

 GK:ハート(Mシテイ)

 DF:イバノビッチ(チェルシー―セルビア)、コンパニー(Mシテイ―ベルギー)、ビディッチ(Mユナイテッド―セルビア)、バインズ(エバートン)

 MF:フェライニ(エバートン―ベルギー)、ヤヤ・トーレ(Mシテイ―アイボリーコースト)、マタ(チェルシー―スペイン)

 FW:スアレス(リバプール−ウルグアイ)、ファン・ペルシー(Mユナイテッド―オランダ)、ベール(スパーズ―ウエールズ)

 イングリッシュはわずか2人、ウエールズ1人、あとはマルチナショナルなメンバーとなっている。

 イングランド代表のルーニーもジェラードも入っていない。唯一イングリッシュプレミアとして認識できるのは世界一ハードでスピードがあり、かつ激しいリーグで戦うベスト11というもの。

 提案の試合形式はもちろんホーム・アンド・アウエー方式でスペイン・ラ・リーガ・ベスト11のホームはオリンピック候補地でもあるマドリッドにある、レアル・マドリッドの本拠地、ベルナブースタジアム(85,454人収容)かまたは99,354人収容のバルセロナのカンプノウ・スタジアム。一方イングランド・プレミアリーグベスト11のホームは9万人収容のウエンブレースタジアム。

 実現すれば世界の注目もさることながら、ラ・リーガとプレミアとどちらが世界一のリーグなのかの決定戦になるというもの。メッシをどうマークするのか、インチパスのスペイン勢にどう対処するのか、それでなくとも胸が湧く試合になることは間違いない。

 そして将来は当然我が方が世界一(観客動員数では世界一)を自負するドイツ・ブンデスリーガも入れ、更にはイタリア・セリアも入れてのトーナメントも実現したいというもの。

 果たしてこの世界一リーグ対決が実現できるか、今年の新年の夢に終わらせたくないとプレミア応援団の英国メデイアはキャンペーンを始めた。その裏には1966年以来一度も国際大会で栄誉を勝ち得たことがない近代フットボールの起源国であるイングランドの焦りもあるのではないであろうか。

 このような対決は過去あったのか―。

 歴史をひも解くとありました。1987年8月8日イングランドフットボール協会創立100周年記念として、昔のウエンブレースタジアムで、「England League Best 11」対「Rest of World XI」が行われたのである。

 チーム名が面白い。「Rest of World」イングランドに対抗するのは(イングランド以外のその他世界チーム)というあくまでイングランドがトップである意識が強い対抗戦であった。

 筆者も観戦したが、ムードは異様であった。「その他世界チーム」にはあの神の手のマラドーナがウエンブレーのピッチを踏んだからである。そして今や次期FIFA会長の呼び声高いプラチニも、現在グランパスの監督ストイコビッチもいた。そしてイングランド代表でもあるリネカー(当時バルセロナに所属)も「その他世界チーム」で出場していた。

 結果はというと即席の「その他世界チーム」のコンビネーションが悪く、個人技に頼るフットボールに対してイングランド リーグ・ベスト11はチームワークで何が何でも勝つという意欲がむき出しで、1点目はアーセナルのブレイデイ(アイルランド代表)のパスをキャプテン・マーベルの異名を持つ、ブライアン・ロブソンが決め、更に2点目をMユナイテッドの北アイルランド代表ノーマン・ホワイトサイドが決め2−0、更にロブソンがこの日2点目を決め3−0と快勝したのである。

 このノーマン・ホワイトサイドは17歳で1982年スペインワールドカップに出場、Mユナイテッドの得点源として活躍したが引退後は4年間大学の医学部に通い、フィジオセラピストの資格を取った異色の選手であった(フィジオセラピストは日本と違い、特にスポーツにおける治療、リハビリ等医学的な分野に入り込める資格であり、フットボール、ラグビーなどのクラブには専任のフィジオセラピストが義務付けられている。またジュニアー、ユース年代の試合でもチームに帯同することが義務付けられている)。

 さすがイングランドリーグ100年の歴史にふさわしい、伝統を守る意地を張った闘いであった。マラドーナはボールに触るごとにブーイング、後半にはベンチに引っ込んでしまったことを思い出す。この試合以降はこの種の試合はない。

 今後FIFAであるいはUEFAはこのような試合を実施できるのか、イングランドではプレミアリーグが世界一であるとの自信から、このような試合を待ち望んでいるのである。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
現在:T M ITO Ltd.(UK)代表取締役
伊藤 庸夫