サッカーアラカルチョ

一覧に戻る

ヨーロッパサッカー回廊『握手』

12・10・11
 「Shake Hand」が今、問題となっている―。

 フットボールの試合が始まるセレモニーで両軍の選手が握手をする光景は今やフットボールの試合では当たり前の儀式となっている。

 この儀式を取り進めたのはFIFAであり、1986年のメキシコワールドカップでのマラドーナによるハンドボールが得点となりイングランドが敗退。以来FIFAは1987年よりフェアプレー賞を設定、お互いがお互いをレスペクトしフェアプレーに徹することを励奨し、1997年には第1回のフェアプレーデイを設定、世界中にフェアプレーで戦うことを決めたのである。

 以来、このフェアプレーの一環として試合前の両軍による握手「Shake Hand」があっという間に世界に普及し試合前の儀式として定着しているのは皆さまもご存じのことと思われる。

 当時はチーム・選手同士のフェアプレーを対象としていたが、その後ヨーロッパ各地で、特にロシア、イタリア等の国で、黒人選手、異国選手に対するサポーターの侮蔑的チャントが激しくなり、人種問題化が顕著になったこともあり、サポーターへの啓蒙も含めて人種問題については「Kick Racism」(人種差別撤廃)のキャンペーンも併せて行われてきている。それだけに試合前の両軍選手・審判による握手の儀式がフェアプレーの一環として徹底されてきたのである。

 しかし、この根源的な問題はなかなか解決するすべがない。

 昨年10月23日、もう1年前の話であるが、プレミアのQPR対チェルシーのロンドンダービー戦、チェルシーのキャプテン、ジョン・テリーがQPRのアントン・ファーデイナンドともつれ、「XXXXXXXXX!!」と黒人を侮蔑する言葉を発したとして、アントン・ファーデイナンドはウエストミンスター地裁に告訴した。

 しかるに、英国の裁判も日本と同じく時間がかかり、裁判が行われたのは7月13日と10か月もたってからとなった。この裁判では試合当時のビデオとテリーが言った言葉を口読専門家によって明確にし「XXXXX Black XXXXX!!」と怒鳴ったことが証明されたが、その言葉が「人種差別に当たるか」という観点からみて、人種差別には値するにはしかるべき証拠がないとして、判事は無罪を言い渡したのである。

 これでテリーは無罪放免となったはずであるが、今シーズンの9月15日のQPR対チェルシー戦、またしても問題が起こったのである。試合前恒例のフェアプレーの儀式としての「Shake Hand」の際、アントン・ファーデイナンドはテリーとアシュレイ・コール(彼はテリーの証人として法廷に立ち「テリーは人種差別者ではない」と釈明した)に対しても「握手」はしなかった。そしてこの日のQPRキャプテン、韓国人のパクもテリーとは握手をしなかった。パクはマンチェスターユナイテッド時代、アントンの兄であるリオとは仲がよかったこともありアントンの立場を支持した行為とされている。

 それだけではなかった。裁判の結果を待って、今度はThe FAの規律委員会がテリーのアントンに対する人種差別について裁判とは別に独自の査問委員会を開催し審議。9月24日に「人種差別はあった」とし、4試合出場停止と220,000ポンド(2,640万円)の罰金が科せられた。

 裁判では無罪であったのにThe FAの裁定では罰則となったのはなぜか。多くの法律家およびクラブ関係者からもその判断基準について疑問が寄せられている。

 The FAは昨年リバプール対マンチェスターユナイテッド戦で、リバプールのウルグアイ代表スアレズがMUのフランス代表エブラに「Negrito」と言ったとしてThe FAはスアレズに対し8試合出場停止と40,000ポンド(480万円)の罰金を科した。

 この前歴があったことで、例え法廷で無罪を勝ち取ってもフットボールでのフェアプレー上、許し難いとしての裁定となったのである(英国は日本とは違い成文法ではなく習慣法であり、前例が後例に優先する)。

 この両者の人種差別問題は一旦落着、フットボールでは罰則となることが明確となった点では評価されるが、果たして試合前の握手がフェアプレーの規範なのか、あくまで儀式なのか問われている。

 この握手が試合前に儀式化する以前、選手たちは試合終了後お互い健闘をたたえてそれぞれ任意に握手をしただけであり、戦い前の緊張感のなかで握手をする必要はないとする意見も多く、無意味であるとする関係者も多い(握手の仕方もフォーマリテイからいえば右手で相手の右手を軽く握るのが普通であり、最近日本で流行している両手で包みこむ握手は異例であり、公式の席ではご法度である。気持ち悪いとされているので国際試合ではやめた方が良い。この握手のやり方はどこから来たのであろうか?日本独自?政治家?それとも昔の共産圏の国から?)。

 我々がフットボールをプレーした時代は先発11人に交代選手制度はなく、1人でもけがをすれば10人で戦わざるをえず、イエロー、レッドカードもなく主審による警告と退場が罰則として科せられていただけに今回の人種差別言動問題には多くの課題が残されたといえる。日本でも将来起こらないとも限らない。

 ちなみにテリーはThe FAの査問委員会直前に代表選手引退を表明した。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
現在:T M ITO Ltd.(UK)代表取締役
伊藤 庸夫