サッカーアラカルチョ

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ヨーロッパサッカー回廊『なでしこ魂』

11・07・12
「日本が本命ドイツを破り世界のベスト4へ、優勝も見えてきた」
「ベストゴール炸裂、イングランド、女バルサのジャパンを破りグループトップに」
「嗚呼、またもPK戦でフランスに敗退、準決勝進出ならず。イングランドのPKトラウマ」
「アルゼンチンに3−1の圧勝、強いジャパンU17」
「ブラジルに2−3の惜敗、ベスト8の夢消えるU17」
「イングランド敗退U17、U21」
「アルゼンチンまたも引き分け、メッシ機能せず。チームメートと口論」

 ここ2週間、英国紙にこのような見出しが躍った。明らかにフットボールの世界は変わりつつある。

 一昔前のイングランド、ドイツ、イタリア、ブラジル、アルゼンチンという強豪国の代名詞は今や過去の物になりつつある。

 この現象はいつごろ始まったのであろうか―。

 答えは1990年を境に世界のフットボール環境が変わったといってもよいであろう。90年以前はフットボールにはフーリガンが付き物であり、スタジアムも立見席がサポーターのよって立つ場所であり、チームのシステムもスイーパーを置いたりリベロを置いたりスペースのあるフットボールであった。

 ヨーロッパ、南米がフットボールの中心であり、その他地域はまだアマチュアの域を脱していなかった。それが大きく変革したのはイングランドにプレミアリーグが92年に発足、日本にプロリーグのJリーグがスタートしたことであろう。

 当時のイングランドのリーグはフットボールリーグ(株)がプロリーグを構成していたが、代表を所轄するThe FAとは常時代表選手の選抜を巡って確執があり、最強チームを創出することが難しかった。それをプレミアリーグとしてThe FAの傘下に置く改革を行ったのである。時代に呼応して日本でも企業チーム中心のアマチュアJSLでは世界に飛び出すことはできない。ましてやワールドカップなど夢のまた夢の時代であり、英断を持ってプロリーグJリーグを発足させたのである。

 当時のイングランドの選手の平均週給が600ポンド(年収600万円)であり、代表クラスでも当時アーセナルのトニーアダムスが1200ポンド(1200万円)程度であった(ドイツ、イタリアの方がそれでも3割方高給であったが)。一方日本のJリーグは日本の野球に対抗するためもあり、大卒新卒Max3,000万円、高卒新卒Max1,500万円のサラリーシステムを採用したため、一挙に世界のトップスターがジャパンマネーを求めて殺到してきたのである。ブラジルのジーコ、レオナルド、ドゥンガ、イングランドのリネカー、ドイツのブッフバルト、リトバルスキー、チェコからハシェック、ブルガリアのストイチコフ、イタリアからはスキラッチ等々のワールドクラスが続々来日し、Jリーグは世界でもトップクラスのレベルに突然上がったのである。日本の選手のレベルも上がったのは当然である。

 そしてJクラブにユースジュニアー育成アカデミーを置くことを義務つけたことも、その後の日本のレベルアップに貢献したことは事実であろう。加えて、指導者もS,A,B,C級とレベルを付けたライセンスを取得することを義務つけたことで、ある面日本中の少年少女は金太郎飴のように育ってきたことは評価されることであろう。

 しかし日本のJリーグも2002年のW杯を境に、もはや世界のトップサラリーを出せるリーグから没落、世界のトップスターはほとんど姿を消し、南米の2流で安価な選手しか外国人選手としてはいなくなった。一方イングランドはプレミア化することによって、テレビ放映権を有料テレビ会社BSkyBに与え巨額な放映権料を獲得、また、外国人枠はEU選手に限って制限なしとしたため世界のトップ選手がプレミアに流れ込んできたのである。

 現在のプレミア登録選手のうち60%近くは外国選手であり、世界でも一番スピードがあり激しく、エキサイテイングな試合を展開している。その収入総額は2900億円/年(2010/2011年度)にも上る。またプレミアクラブの多くは株式上場しているため誰でも買える。世界の金余り石油、不動産富豪がその財力をもってクラブを買収、世界のトップスターを買いまくっている。トップ選手のサラリーも92年には代表クラスで1200ポンド/週がいまや100,000ポンド/週(年収7億円)は普通になってきたのである。

 しかし一方では、代表選手が生まれてこないというジレンマに陥っている。ユースで嘱望されても出番なく埋もれてしまう選手が多く、イングランドの代表チームはいつもDisappointed Teamになり下がっている。それを抜け出す手立てはあるのであろうか。まだ解決のめどはないのが現実である。

 日本もしかり、金太郎飴選手を出現させるシステムはできた。代表選手クラスがヨーロッパクラブでも働けるまでにはレベルアップした。しかし個としてのメッシを作り出せるまでには至っていないし、絶対的に毎試合90分働いている選手はまだ少ない。そのメッシでもバルサでは働けるがアルゼンチンでは機能しない。

 90年を境に底辺からトップリーグになったイングランドプレミアが代表クラスでは低迷している。何もないところから這い上がった日本代表は何とか世界のトップ16ぐらいまでは上がった。これから先、この対照的な国のフットボールがどうなるか課題は見えているにもかかわらず全面の壁がはだかっている。どう乗り越えるのか今一度検証する必要があるようだ。ヒントは女子サッカーの物怖じしない、やるべきことはしつこくやる、失敗を恐れぬという「なでしこ」ならず大和魂気質を習うことにあるかもしれない。日本男児奮起せよ。そしてジョンブル魂(典型的なイングランド人気質)復活を。


◆筆者プロフィル
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
現在:T M ITO Ltd.(UK)代表取締役
伊藤 庸夫