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マリーニョからのレシピ『私が考えるブラジルサッカー界の偉人』

11・05・11
 サッカーの話題には欠かせない、「今まで知っている選手ですごいと思う5人は?」などで盛り上がったことはありますよね。今回は、ブラジル人プレーヤーの中で、私自身が考える最高の5人を紹介したいと思います。

 まず、ブラジル人のほとんどがこう答えますが、もうペレは別格でダントツの1位です。ここからは人によって意見が分かれるでしょうが、次にガリンシャ、トスタン。そして最近の選手では、ロマーリオとロナウドですね。

 この5人の評価が他の選手たちより高いのは、やっぱりワールドカップで優勝しているかどうかも重要になっています。だからジーコは、82年のあの黄金のカルテットでも優勝していないから、この5人には入らないと思っています。

 一時期ロナウジーニョもすごかったけど、今は普通になっちゃた。騒がれたロビーニョもパトも普通になってるね。もちろん一流選手の中での普通と言うことで、一流の上のスーパーではないという意味でです。次にブラジルで期待されているのはネイマール。才能はあるから、一流の上に行ければいいけどね。

 もちろん過去の選手と比べるのは難しいんだけど、ペレは、ワールドカップ優勝回数、ゴール数などの残した数字からみても、やっぱりケタ違いだね。そして、20年近くずっと世界のトッププレーヤーだったというのが、他のスーパーな選手たちとも別格のすごさなんだ。例えば、メッシがワールドカップも優勝して、しかも20年間トッププレーヤーとして活躍したらと想像したらどうかな。もし、そうなったらやっぱり別格のすごさと言えるでしょう。

 昔のサッカーファンなら知っていると思いますが、ガリンシャのエピソードは、本当に尽きないんだよね。例えば、58年のワールドカップで、ブラジルが初優勝して歓喜に沸くチームメートに、「何でそんなにみんな喜んでるの? まだ、たった6試合しか戦ってないよ! えっ優勝したの? ふーん1か月の大会で楽だったね」と、冗談抜きで言ってたらしいよ(笑)。

 また、クラブチームでの試合では、ゴール前でゴールキーパーと1対1になり、雨のピッチですべったキーパーを得意のドリブルであっさりと抜き、ゴールラインでピタリとストップ。ゴールを決めないで何をするかと思ったら、その立ち上がったキーパーの前に戻って行って、もう一度1対1を仕掛けて、また完璧に抜いてゴール。さすがに試合後、なんで相手をバカにしたんだ! と問われると「だって相手は雨で滑ったんだ。それで決めたらずるいだろ。だからもう1回チャンスをあげたんだよ…。」と、これも真剣に答えてたんだ。まぁガリンシャは、変わり者っていうより、真のピュアな人間だったんだと思いますけど。

 こういったエピソードだけでなく、ガリンシャはサッカーの天才だったと思う。そういう意味では、マラドーナも真の天才だったね、天才度では世界最高だったと言えるかな。まぁ2人ともサッカーは天才だけど、社会性に欠けていた点も似てるかな(笑)。

 トスタンは、私がクルゼイロでプロになって18歳の時、AチームとBチームの紅白戦があって、当時私がBチームで、トスタンが24歳でAチームのエースだったんだけど、もう信じられないプレーを連発するんだよね。

 目の前で見て一番びっくりしたのは、ペナルティーエリア前で相手ディフェンダー2人にマークされて、何をするのかと思ったら、早いグラウンダーのボールを空中でジャンプしながら、左足と右足の連続したダブルタッチで、2人の間を完璧に抜いてったんだよね。あんなプレーは、今まで見たこともないし、もーあり得ないよね。私は、当時サイドバックだったので、その抜かれた先輩DFたちに「もっと中に絞って、トスタンを止めろ!」と、叱られたけど、あんなのどうやって止めるんだよ、冗談じゃないよ(笑)! 

 もちろんこの5人が正解ということではなくて、皆さんの中でも、もっとすごいプレーヤーだと思う人たちがいるでしょう。僕は誰が一番だと思う、とか、いやいやあの選手の方が上だ、とかね。そんな話をブラジルでは、家族、親戚、友人、サポーター、それこそ子どもから大人まで、ずーっとしゃべり続けてるからね。だから、自然と子どものサッカー知識も高まるんですよ。11歳ぐらいの子が、「俺の好きな○○クラブは、今の会長の補強戦略が悪い!」とか普通に大人と言い合ってるからね。そうやって、サッカーの会話で子どもと大人のコミュニケーションも取れるし、そしてそれがブラジルのサッカー文化の伝承にもなっているといえるでしょう。日本もこんな環境になってくれれば、ブラジルに追いつけるかもね。まぁもう少し時間が必要かな(笑)。


◆プロフィル◆ 
1954年3月23日、ブラジル ミナス・ジェライス州生まれ。
15歳から地元クルゼイロのジュニアチームでプレー。18才でプロ契約し、21才までトップチームで多くの公式戦に出場。
1975年札幌大学に留学生として来日。在学中、大学選手権などで大活躍。
その後、日本リーグのフジタ工業(現、湘南ベルマーレ)入り、MFとしてチームのリーグ優勝、天皇杯優勝に貢献。
1982年から1987年まで、日産自動車(現、横浜Fマリノス)に在籍し、チームの原動力として天皇杯優勝に貢献、日産サッカーの黄金時代を築いた。
1987年に現役を引退。通算137試合に出場し、50ゴールというMFとしては驚異的な数字を残した。
1998年から2000年まで、アジアフットサル選手権(ワールドカップ予選)日本代表監督を務めた。
その後、全国で繰り広げるサッカー、 フットサルクリニックを中心に、テレビ解説、雑誌のコラムなど、サッカー、フットサルの普及に関わる様々な仕事に携わっている。

アデマール・P・マリーニョ