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ヨーロッパサッカー回廊『2018/22ワールドカップの行方』

10・09・15
 ヨーロッパは2012年ポーランド・ウクライナ共同開催のユーロ予選が始まった。
 
 南アでのワールドカップで惨敗したフランス・イタリア・イングランドがどう戦うかに注目される予選である。そのフランスは初戦のベラルーシにホームのサンドニで1−0と敗れ、ローラン・ブラン監督のデビューは飾れなかった。強豪フランスも南アでの監督と若手の対立、ストライカー・アネルカの追放劇もあり国の威信もついえただけにショックは大きい。しかし2戦目ボスニアにはアウエーで2−0と勝ち、今後に期待を持たせるものとなった。
 
 南アでは予選敗退となったイタリアとイングランドが選手を大幅に替え共に2戦2勝と再出発の門出を飾った。イングランドはカペロ監督の更迭問題もあと2年の契約(1年6百万ポンド)が残っており多くの批判を浴びながら続投。南アでドイツに1点を報いたデフォーが初戦ブルガリアにハットトリックを達成、4−0と快勝。チェルシーのテリー、ランパードを怪我で欠いた新布陣ながら生きの良い若手ウォルコット、ミルナー、ジョンソンの活躍もあり、世代交代を示唆するチームとなり今後の期待を寄せている。スペイン、オランダ、ドイツは順調に2戦全勝ユーロへの切符を確実のものとしている。
 
 さて、ユーロ2012年後のカレンダーは2014年ブラジルでのワールドカップが決まっているだけで、その後のユーロ2016年もFIFAワールドカップ2018、2022もこれから開催国が決まる。
 
 そのうち、FIFAワールドカップ2018年、2022年はこの12月のFIFA理事会で開催国が決定される。FIFA会長ブラッターの提唱する大陸持ち回り開催も今年の南アでのアフリカ初の大会、そして2014年ブラジル開催(南米)が一巡し終わりを告げた。
 
 さて、どこが開催国となるのか。
 
 2018年は現在最有力イングランドに対しロシアが得票を稼ごうと懸命な努力を続けている。ご承知の通り、開催国の決定はFIFA理事24名での投票により決まる。一番票の多いのは8票を持つヨーロッパであるが、イングランド対ロシアとなるとそれぞれの理事の思惑もありかなり票が割れるのではないかと予想される。
 
 しかし運営能力からみればスタジアムなどのインフラ設備されたイングランドが1966年以来のフットボール母国への回帰を訴え有利であることは皆の認めていることではあるが、UEFAの会長プラチィーニの「イングランドFAは会長不在」(現在新会長候補者を募集中)とあたかも運営能力を疑うかの雑音も聞かれる。もともと歴史的にもロシアと近いフランスの後押しと更にロシアのオイルマネーによる理事切り崩し(今回からは理事に対するあらゆる供与を禁止しているが)により、最終段階でアフリカ、中南米あたりの票が流れる可能性もあり、予断を許さない。
 
 FIFA関係者は“ロシアはまだ南アが決まる以前のインフラ(スタジアムも含めて)に比べても整備が遅れている”としてイングランド有利とみているようだ。
 
 一方2022年は、アメリカとオーストラリアの一騎打ちとなる可能性がある。日本も韓国もそしてカタールも手を挙げているが、1994年以来のアメリカはオバマ大統領の後押しもありトップランナーで走っている。一方オーストラリアもまだ唯一オセアニアでの開催がないだけにキャンペーンに熱を入れているが、果たしてアメリカとオーストラリアということになると、多くの理事はアメリカになびくことになると予想されている。
 
 日本の可能性はというと皆無ということはないが、全くスリムである。投票の第一ラウンドでアメリカ、オーストラリアが抜き、アジア勢のチャンスは無いと見るのが妥当な予想であろう。カタールはエアコン付きのスタジアムを建設すると言ってはいるが、6月に40度を超える酷暑の中、プレーが出来るのか、また32カ国のチームのキャンプ地が狭いカタールであるかといった問題は運営面でのハンディキャップとなり、開催地の可能性は少ない。しかしAFC(アジアフットボール連盟)会長ハマン氏(カタール)がその政治力でどこまで理事を抱き込めるか。
  
 第一ラウンドで落ちても第2次ラウンドへの影響力はあり、アメリカ・オーストラリアも彼の力を無視できないであろう。となると、日・韓はいわゆる“記念受験”に終わってしまう。FIFA関係者も日本の芽はないとみているのではないであろうか。政治力(スポーツ政治だけでなく国際政治、外交、経済関係も含めての)を駆使したこのワールドカップの招致に対して、2002年当時の熱とパワーと経済力は人材も含めて今、日本にあるのかいささか疑問である。
 
 
◆筆者プロフィル
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
現在:T M ITO Ltd.(UK)代表取締役
伊藤 庸夫