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ヨーロッパフットボール回廊『ロナウドがMUに! そして、世界のストライカー対決!』

21・09・16
 
 9月11日はアメリカ、ニューヨークのツインタワーの陥落から20年を経過、今年は土曜日、英国プレミアリーグの試合が行われる日。各試合前には黙祷が捧げられた。

 プレミアリーグが開幕して既に4節が経過、この11日はマンチェスターユナイテッド(MU)にとっては復活の日となった。世界のストライカー、クリスチャン・ロナウドをユベンタス(JV)から獲得、初のお目見えを地元オールドトラフォードで迎えたのだ。

 2003年(18歳)MUに加入、2009年まで在籍し俊足ウインガーからストライカーとなり、レアルマドリッド(RM)へ当時の記録的移籍金80万ポンド(現在価120億円)で移籍。バロンドール(世界最優秀選手)も既に5回も獲得した世界のストライカー、クリスチャン・ロナウドがマンチェスターに帰って来たのである。

 36歳ながら一日6回の食事、毎日のチームトレーニングだけではなく自宅にジムを設置、2時間の筋トレをストイックに行い、鉄の肉体を作り上げたロナウドが救世主として2013年以来、リーグトロフィーレスのMUに戻って来たのだ。

 移籍金はわずか12.9百万ポンド(19.3億円)+成果金6.9百万ポンド(10.3億円)で最大でも29.6億円と格安であった。年齢もあり、いつかはMUの恩返しをしたいという気持ちでの移籍であったからであろう。

 MU移籍が決定する前はもっぱらM−Cityが獲得すると見られていたが、最後に決断させたのはMU入団当時の監督ファーガソン監督の個人的な口添えがあったからと言われている。育ててくれたボスの言には逆らえなかったのであろう。

 MU第一期のリーグ戦では、196試合84点の得点を挙げ、移籍したRMでのリーグ戦で292試合311点、そしてJVではリーグ戦98試合81点、更にポルトガル代表として、180試合111点を挙げた救世主ストライカー、ロナウドの初戦は対ニューカッスル戦。過去数年にわたる低迷とアメリカ資本家グルジエ一家に牛耳られている鬱憤を払拭するため、レッズのサポーターはこぞって、エポックメーキングの試合を応援したいとオールドトラフォードに駆け付けたのである。

 その待望の移籍後の初戦は期待を裏切らなかった。ロナウド効果は相手のニューカッスルをもびびらせたのである。ロナウドの復帰1点目は前半45分に決めた。MUのFWグリーンウッドのシュートを相手GKがはじき、詰めていたロナウドがタップイン。MU復帰初ゴール!!

 そして後半にも左FBのショーがドリブルで持ち込み、ロナウドにパス、強烈なシュートが相手GKの股をくぐり抜けネットに突き刺さる。MU復帰初戦2得点と彼の強烈さを見せつけたパーフォーマンスであった。結果は4−1とMU勝利。リーグトップに躍り出たのである。まさしくメシア(救世主)、ストライカーロナウドの再デビューであった。

 このプレミアに先立つFIFAワールドカップ(カタール2022年)予選が9月8日、世界各地で行われた。ヨーロッパでも世界のストライカー対決が実現した。この日のハイライトは何と言ってもイングランドのストライカー、ハリー・ケーン(スパーズ)対ポーランドの至宝バイエルン・ミュンヘンのストライカー、ロベルト・レバンドフスキーとの対決であった。

 ハリー・ケーン28歳、レバンドフスキー33歳。ケーンがスパーズ育ちのストライカーなら、レバンドフスキーはポーランドではレック・ポズナムで活躍、その実績が認められドイツ、ボルシアドルトムンドへ移籍しストライカーとして花を開いた逸材である。

 スパーズでの生涯得点はハリー・ケーンが221点、イングランド代表得点が40点と合計261点を叩き出していて、いずれルーニーの持つ代表最多得点53点を抜くのではと期待されるストライカーである。さらに、イングランドキャプテンとしてチームをまとめる役割も務めている。

 一方、レバンドフスキーはポーランド時代の2005年デビューから2010年までは78点の記録を持っているが、ドイツへ移籍してからはボルシアの4年間で103点、ミュンヘンへ移籍後は現在まで289点、代表では72点、合計542点を挙げている。ポーランドのキャプテンとして来年のカタールW杯への試金石となる一戦となった。コロナの影響もあり、イングランドからのサポーターはおらず、ワルシャワのスタジアムはポーランドの国旗赤一色。

 試合を決めたのはやはりこの2人のストライカーであった。最初に決めたのはハリー・ケーン。後半27分、中央ペナルテイエリアの外10メートルの地点から強烈なシュートを放つ。ボールはポーランドデフェンダーをかすめ、ゴール右隅に吸い込まれたのだ。GKはデフェンダーの陰でブラインドとなり、1点献上となった。一瞬、ワルシャワのスタジアムは沈黙が走る。

 その雰囲気を変えたのはやはりレバンドフスキー。後半44分に、左サイドペナルテイエリアの中で後ろからのロングボールをジャンプし空中トラップ(非常に難しい技術)からシュートまで持っていく。

 これは決まらなかったが、イングランドの逃げ切り勝ちかと思われたアデイショナルタイム、レバンドフスキーがこぼれ球をペナルティーエリア内で拾って左から完璧な浮き球のクロスを上げる。そのボールをゴール前へ飛び込んだスジマンスキーが、イングランドFBショーに競り勝ちヘッド。ポーランドは貴重な同点弾を挙げた。さすが世界のレバンドフスキーの技術であった。

 試合は引き分けに終わったが、正しく世界のストライカー対決の見本ともいうべき試合であった。予選I組からは、イングランドとポーランドがW杯出場切符を取ることは間違いないと思わせるストライカー対決戦であった。

 このCロナウド、Hケーン、そしてRレバンドフスキーは間違いなく世界に冠たるストライカーである。そして来年のW杯には、ブラジルのネイマール、フランスのエムパベ、アルゼンチンのメッシ、そしてベルギーのルカクといった強烈な個性を持ったストライカーが勢ぞろいすることであろう。

 フットボールの醍醐味はやはり強烈な個性と直感的な感覚、そして枠に入れるシュート技術を持つ唯我独人たるストライカーを擁することが必至と思われる。

 日本にも昔、釜本がいた。しかし今は誰もいない。やはり直感的なストライカー育成が急務ではないかとつくづく思わざるを得ない。1試合1点でもいい。得点を入れる選手が必要である。

 あまりにボールポゼッションにこだわり、ボールを持てる選手が良い選手という風潮を打破する、ワンタッチシューター、野人ストライカーの出現を期待したいと思うがいかがでしょうか?


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08:JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫