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ヨーロッパサッカー回廊『トップフットボーラーは大都市から生まれるのか』

19・03・11
 2018年のロシアW杯で優勝したのはフランス。そして4位になったのはイングランド。その主力選手はどこから生まれてきたのか、そこに焦点を集めてみると、意外にも大都市出身者が多いのに気が付く。

 まず優勝したフランスは、23人中16人が主にアフリカにルーツを持つ移民3世である。白人フレンチは7人と少数派に属す。1998年のフランスW杯でもフランスが優勝したが、一般のフランス人がフットボールに熱中し出したのは、フランスが勝ち残って準々決勝に進出してからである。

 まさにその時、テレビの取材でパリに滞在していたが、一般市民のパリジャンは全くフットボールに興味を抱かず、さっさとパリを脱出してバカンスに行ってしまっていた。お蔭でその休暇で空いたマンションの一室を借りて取材を続けていたほどである。

 メンバーはデシャン(現在の監督)、ジダン(アルジェリア移民2世)など、白人系がチームを支配し、わずか3人の選手がアフリカ系黒人移民選手であった。一般フランス人がアングロサクソンのスポーツに熱狂する程ではなかったのである。

 当時のPSG(パリサンジェルマン)のジュニア、ユース選手の多くは白人であり、日本のユース大会へ招待した際もPSGユースのメンバーはほとんどが白人であった。しかし、フランスの優勝後は、パリ近郊に居住していたアフリカ系移民の3世のメインスポーツはフットボールとなってきたのである。移民にとっては息抜きでもあり、プロ選手になり生活を謳歌できることは、移民3世の夢となった。町もフットボールが出来るスポーツセンターを整備し、移民3世が将来のプロ選手になれる道を開いていった。

 その結果が、ロシアW杯でのアフリカ系移民が主力の代表チームの優勝となったのである。ちまたでは「フランス代表ではなくアフリカ代表が優勝した」と揶揄する論評も出たほどだった。W杯優勝の立役者、ポグバ、カンテ、マチュイデイ、19歳の若手エムバペ。彼らもパリ郊外の『Ile−de−France』(イル=ド=フランスとはパリを中心とした地域圏のこと)出身である。パリ出身、大都市出身選手である。

 多くの移民労働者が居住する『Ile−de−France』こそ、フットボーラーの将来の宝庫となってきた。地域にも人工芝のピッチを設置し、貧困と犯罪から逃れる術(すべ)を子供たちに提供し、今ではヨーロッパ各国からスカウトが押し寄せ、青田刈りをするほどになり、「フットボール町」化したのである。多くの過去のフレンチ領アフリカから流れてくる移民の憩いの地域となったことが、首都パリから代表選手が生まれてくる源となったのだ。このパリ郊外の町『Ile−de−France』無くしてフランスのフットボールは成り立たなくなっている。

 さて、フットボール起源のイングランドもフットボーラーの生まれてくる土台、地域がドラスティックに変革してきている。

 過去、フットボールの中心は産業革命発祥の地、マンチェスターを中心とするミッドランドであった。労働者人口が多かった、マンチェスター、リバプール、ニューキャッスル、バーミンガムの産業都市であった。

 選手はほとんど、例外なく労働者階級から生まれて来ていた。1966年W杯を制したイングランドのチャールトン兄弟は、ニューキャッスル育ち、最近亡くなったGKゴードン・バンクスはストーク。そして90年代マンチェスターユナイテッドのギグス、スコールズ、ネビル兄弟はマンチェスター地域で育った。唯一、首都ロンドン育ちと言ってもいわゆるコックニー(強いロンドン訛りの英語を話す人たち)としてロンドン北東部郊外から、W杯優勝時のキャプテンのムーア、そしてハーストなどが出ているが、この地域も産業革命時期は、ロンドン港を軸とした労働者階級の町であった。

 その後、現在は世界一の経営規模に発展したプレミアリーグの恩恵も受けて、フランスと同じ社会現象とし、移民3世の選手が首都ロンドンから続々と誕生してきているのだ。2017年のW杯U17の優勝時、コックニーのロンドン北東部出身の選手はわずか1名となり、7名がいわゆるテームズ河南出身の選手で占められるようになったのだ。もはやミッドランドでもない、コックニーの町でもない、新しいフットボール育成コミュニテイーがテームズ河南に生まれたのである。

 筆者がロンドンに駐在した1980年代、多くの英国人でさえ「テームズの南に住むな、テームズの南へ行くな」と忠告してくれるほど荒れた町であった。カリビアン系黒人も多く、極貧にあえぐ犯罪の多い地域であった。

 しかし、今や様変わりし、テームズ河南は再開発により町は近代化し、黒人街からミックスしたダイナミックな街に変貌した。1950年代、カリブ海の国から受け入れた黒人移民もミックスし、3世の時代となり町の様相も変化。スポーツにおいても、ロンドンオリンピックを契機として、人工芝のスポーツセンターが各地に地域振興のため設立され、手軽にスポーツを楽しめる環境が生まれた。プレミアリーグクラブもアカデミーを設置し、若手選手の育成制度を確立。このようなダイナミックな改革があってこそ、ロンドン南出身選手が主力となってU−17W杯優勝を遂げたのである。

 主な代表選手を輩出しているロンドン南地域は、リバプールのゴメス、チェルシーのロフタス・チークはLewsham地区、ボルシアドルトムンドのサンチョはCamberwell地区、そしてチェルシーのハドソン・オドイはWansworth地区出身である。

 更に南のクロイドンにある、私立パブリックスクールの『Whitgift校』からは、上記のハドソン・オドイが輩出されている。この学校は、ラグビーでは多くの代表選手が出ているが、フットボールにも力を入れ、地元のクリスタルパレスの監督であったケンバー氏をコーチに採用し育成に従事している。

 今やロンドン南地区は、町のクラブだけではなく、学校も積極的にフットボールの育成に注力しているのだ。英仏の大都市首都圏から、トップ選手が生まれるようになった大きな要因は、移民3世の時代となり、彼らがストリートフットボールからスポーツ施設の充実、そして育成コーチによる指導が充実してきたからに間違いない。

 果たして、日本はどこから代表選手を輩出していくのであろうか。ミックス化した社会からなのか、純粋培養型社会からなのか。

 ちなみにWhitgift校は筆者の母校浦和高校と姉妹校であり毎年交換学生交流を実施する間柄でもある。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫